2008年10月29日 (水)時論公論 「どう防ぐ? 産科救急の悲劇」
<キャスター>
ニュース解説時論公論です。妊娠中の女性が、都内の病院から受け入れを断られた後、死亡した問題は、都会の産科救急システムの危うさを浮き彫りにしました。どう立て直せばいいのか、飯野解説委員がお伝えします。
<イントロ>
こんばんわ。
今回と同じような悲劇は、2年前にも奈良県で起きています。今回は、最も医療体制が整っているといわれる東京で起きました。おととい会見した亡くなった女性の夫は「妻が死をもって浮き彫りにした問題を、力をあわせて改善してほしい。妻の死を無駄にしないでほしい」と訴えていました。その思いにどう応えるのか。今夜は今回の問題から見えてきた産科救急の課題を考えていきます。
<ネットワークの機能不全>
まず、確認しておきたいのは、今回起きた問題が、安全なお産を目指して整備されてきた周産期医療ネットワークというシステムの中で起きたことです。
このシステム、妊婦さんの急変などで、かかりつけの医師が手に負えないと判断した場合、産科と新生児科の両面から高度な医療を提供する病院が対応しようというものです。「総合周産期母子医療センター」は、極めて高度な医療を提供する、いわば最後の砦ともいえる病院。「地域周産期母子医療センター」は、中程度のリスクのお産を扱う病院です。これらの病院が、かかりつけの医師から要請を受けて、妊婦さんを受け入れるか、もし難しければ、要請を受けた病院がほかの受け入れ先を探すことになっています。
今回は、自宅から救急車で運び込まれた女性に脳内出血の症状がみられたためかかりつけの医師が、総合センターに指定されている都立墨東病院に要請しました。ところが、受けいれを断られてしまい、かかりつけ医と救急隊員が、ここに示された別の7つの病院に要請します。
ところがそこでも次々に断られ、結局女性は、都立墨東病院に運ばれましたが、赤ちゃんを出産した後、亡くなりました。最初の要請から搬送されるまでに1時間あまりかかっていました。
今回の問題では、墨東病院が、このシステムとは別の一般の救急でも、どんな患者も受け入れる「東京ER」に指定されていることから、最初から対応していればという声もきかれます。
しかしほかの病院も、センターに指定されるなど、高度な設備を備えているところばかりです。一病院の問題というより、システムそのものが機能しなかったということだと思います。
<問題の背景>
では、具体的にどんな問題があるのでしょう。
▽根底にあるのが、産科医不足です。
墨東病院では、当直の医師を複数確保できなくなったことから、今年7月から、土日と祝日の急患の受け入れを原則断っており、この日はたまたま土曜日でした。複数当直医がいたほかの病院でも、医師が別の出産に追われていることを理由に、要請を断ったところもあります。
▽赤ちゃんを対象にした集中治療室「NICU」が足りないことも原因の一つです。難しい症状の妊婦さんの場合、赤ちゃんにも問題があることが多いので、NICUに空きがないと受け入れが難しくなります。今回、NICUがいっぱいだったために、受け入れを断った病院もありました。
医療技術の進歩で小さな赤ちゃんの命も救えるようになってきたことから、NICUを増やす必要性は以前から指摘されていました。ところが生まれたばかりの赤ちゃんを診る小児科医や看護師が少なく、思うように進んでいないのが現状です。こちらも根底には、人材不足があるわけです。
<システムの不備>
この二つが、病院が受け入れを断った直接的な理由ですが、今回の経緯をたどってみると、周産期医療システムの運用に問題があったことも見えてきます。
▽まず、要請を受けたセンターの側が受け入れ先を探す責任を果たしていなかったことです。墨東病院の医師不足がわかっていたから、かかりつけ医自ら対応したということのようですが、他のセンターはどうだったのでしょう。
▽医療機関同士のコミュニケーション不足もあります。かかりつけの医師と要請を受けた医師の間で、女性の状態に対する認識のずれがあったといわれています。そのずれが受け入れを遅らせた可能性があります。
▽ 妊婦さんを対象にした周産期医療ネットワークが、一般の救急システムと連携していないのも、大きな問題です。今回、要請を受けた墨東病院の周産期医療センターは、同じ病院内にある一般救急の「東京ER」には連絡していませんでした。
▽ネットワークに参加する医療機関の間で、受け入れ可能な病院を検索できる情報システムも役立ちませんでした。墨東病院が、最初に受け入れを断った際、「受け入れ可能」となっていた3つの病院をかかりつけ医に紹介しましたが、いずれも要請を断っています。もしどこも受け入れ不可と、最新の正しい情報が入っていたら、墨東病院の対応もちがっていたかもしれません。
<都市圏ならではの問題>
そしてもうひとつ、都市圏ならではの要因もあります。地方と違って病院の数が多いために、他が対応してくれるだろうという考えになりがちだからです。
これは、妊婦の救急搬送の際、病院から何回受け入れを断られたか、救急隊員を対象に聞いた調査です。今回と同じように8回以上断られたケースが去年一年間に、全国で111件もありました。地域別にみますと、東京が半数近くを占めもっとも多く、大阪、神奈川、埼玉など病院の多い都市圏に集中しています。受け入れ拒否が少ない東北地方の病院の医師に聞くと、自分のところが断ると他に行き場がないので、どんな妊婦も受け入れざるをえないということでした。ただし、だからといって、どこでも無理に受け入れればいいというわけではありません。今回、土日の受け入れを制限していた墨東病院は、都立だからとほかのセンターの2倍程度妊婦をうけいれ、そのことが医師の負担を増やし、離職者が相次ぐことにつながった面があるからです。
<対策は>
こうみてきますと、今回の悲劇が、様々な要因が重なって起きたことがわかります。再発をどう防ぐのか。医学部の定員を増やすなど政府が進めている長期的な取り組みも必要ですが、もっと即効性のある対策を、全国共通の問題と都市圏特有の問題に分けて、講じていかなければなりません。
●まず全国的な問題ですが、▽医師を確保するために思い切って産科救急の診療報酬をあげること。そして、産科や小児科に女性医師が多いことに、配慮することです。昼間だけの勤務を認めたり院内に保育所を作ったりして、子育てを理由に離職した医師が戻ってくれば、現場で働く医師の負担も軽減できます。
▽周産期医療システムと一般救急との連携、とりわけ脳外科との連携が重要です。妊娠すると、胎児や胎盤に大量の血液を送るので血管への負担が大きくなって、脳血管障害を起こす恐れがあるからです。妊婦1万人に一人程度の発生率ということですが、母子医療センターの中で脳外科と連携できるところをはっきりさせて、役割分担する必要があると思います。
●病院の数が多い都市圏では、▽受け入れ先を調整するコーディネーターのような機能が必要です。病院の医師に受け入れ先を探してもらうのでは、負担が大きいからです。大阪では、府のセンターに産科のベテラン医師を配置して、救急患者の受け入れ先を一元的に紹介する取り組みを始め、搬送までの時間短縮につながっています。今後、脳外科などに対応できる病院を識別するなど、情報検索システムの改善にも、取り組むということです。
<まとめ>
周産期医療ネットワークは、誰もが安心して赤ちゃんを産めるようにと整備されました。ところが、厚生労働省も東京都も、システムを作るだけで、それがどう運用されているのか。医師の数がそろっているのかさえ確認してきませんでした。今回の問題を教訓に、このシステムの問題点を徹底的に洗い出し、二度と悲劇が起きないよう、一刻も早く安心の医療体制を整えることが、行政と医療関係者に、強く求められています。
投稿者:飯野 奈津子 | 投稿時間:23:51