教育・受験に携わる社員として〜「和顔愛語 先意承問」

Z会Web戦略統括の寺西隆行です。タイトルは最も大事にしている言葉です(意味は左下「プロフィール」を参照)。
普段の仕事のことや教育に関すること、子ども達のこと、ネットのことなど、いろいろ思うままに書いていこうと思います。

     
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「自分で調べましょう」と回答することの是非。
[2008年11月11日(火) ]

<時事ネタ>
Q.福島県郡山駅前のすし店「海味(うみ)」が始めた裁判員制度PRのおすし。「いかに裁くか」で「イカ」「カニ」「サバ」や手巻き寿司、そして茶碗蒸しなどがつき、お値段は?

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mixi内、「東京大学コミュニティ」にて、11月3日に下記のような質問が挙がりました。

=====
自分は東大の理科3類を受けたいのですがどのくらいのレベルなのかや倍率や問題数とか教えてもらえたら幸いです。
=====
※mixiですから18歳、来年3月に受験される方のようです。





いろいろな回答がつき、いろいろなやり取りがなされていますが、(やり取りを実ながら)僕自身いろいろ考えてしまいました。

まず、僕がこの質問をした方と近しい関係、つまり

・学校の先輩
・年下のいとこ
・近所に住んでいる年下の若者

のような場合は、間違いなく

「今の時期それがわかっていないと合格まではそーーーーーうとう厳しいよ。」

と伝えた上で

「そのことを自分で調べることから始めよう。
人に聞く前に“調べる方法”を模索して解答までたどりつくことが大切です。」

と言い切るでしょう。
本気で質問者が東大の理科3類を狙っているのでしたら、合格へ導くために、質問を受けた時点での最適解が上記回答だと思いますから。


これくらい自分で解決するだけの問題解決力がないと合格できませんよ、
いや、この時点で問題解決力がなくても、「これくらい現時点で解決できるようにならないといけないんだ」と認知させた上、行動させることが最も大事ですので。



手に入れる果実が簡単なものだったら、このような(言葉上は)「突き放した」言い方はしなくてもいいでしょうが、手に入れる果実がちょっとやそっとじゃ手に入らない果実であるときには、
「あなたの求めているものはそんなに簡単に手に入らないよ」
という認知から
「本気で欲しいのであればガムシャラに学習する意欲が大切だよ」
という意識改革につなげ
「他の何物もさておき実際に(手に入れるために)行動する(今回の場合は、「学習する」という行為)」
という行動につなげることが、相手にとって最も大切ですよね。


しかし、インターネット上で見知らぬ第三者から、このように質問された場合、どういう態度を見せるのがベストでしょうか。

・「自分で調べましょうよ」と答えること

表情を見て話せるわけではありませんので、上記の認知・意識改革・行動という流れを起こさせるのは至難の業。
現時点で「このくらいは自分で調べないと、最終的には求める果実が得られる自分にならないんだ」と分かっていない人には、「自分で調べましょうよ」と言ってもわからないでしょうし、

「このくらいは自分で調べないと、最終的には求める果実が得られる自分になりませんよ」

と丁寧に言っても、わからないでしょうね、きっと。


・「答えない」こと

質問者の「問題解決力」不足ということを気づく機会を与えることにつながりません。
僕の感覚では、「答えない」より「自分で調べようね」と答える人のほうが「親切」に映ります。
※「答えない」ことが不親切、というのではないですよ。


・丁寧にレベル、倍率、問題数を教えてあげること

レベルや倍率について含めると話がややこしくなりますので、単純に「問題数」(つまり、普通に東大合格に向けた学習をしていれば、どれだけ遅くても夏休みまでには把握している情報の類です)を教える、という行為についての是非、とします。

問題数を教えて、質問者は新たな知識を得ます。
しかし、この知識を得た、ということで、また別の問題が生まれます。

◆理3に合格するために必要な問題解決力への最初のハードルを越えようとする機会を失わせる。
◆そもそも「人から得る情報は嘘もある」ということに気づかないまま進んでいくかもしれない。

また、回答者からしても、「そのときはたまたま時間がたんまりあって教えてあげられた」かもしれませんが、同じレベルの質問の回答を期待され続けると、時間がいくらあっても足りないことが想起されます。


本当に優しさを発揮するのであれば

「レベル、倍率、問題数を解答し、“これくらいは自分で調べる問題解決力がないとまず合格できるレベルではないですよ”と諭す」

のが一番いいのかもしれませんが、諭しても本人が「わかってくれる」か「教えてくれる人がここにいた(だかた次回からも聞けばいいんだ)」という状況に(無意識に)甘えるか…どちらに転ぶか、わかりませんね、正直。


mixiではほとんどが、半ば批判染みた「自分で調べましょう」的回答でした。
それで本人、少しは気づく部分もあったようなコメント返しをされていました。


質問への回答として「自分で調べましょう」という回答を用意することの是非、考えることが多いです。教育に携わっていると…。


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Tracked on 2008年11月12日(水) 14:21

コメント
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>寺西さま
もったいない褒め言葉をいただきました(苦笑)
#自分もZ会のスタッフですし,言うなれば寺西さんの「後輩」にあたりますので・・・.丁寧な心遣いに感謝です.
#諸般の事情もありますので,匿名を通させてください.

自分も質問掲示板の「解答」側に立つことが多いので,いろんな状況を経験しております.
ついでなので乗っかってしまいますが(そして寺西さんはすでにご存知のことと思いますが),ネット上のやり取りの大きな問題点のひとつが「広い意味での『匿名性』」,名前だけでなくその他のプロファイルも秘匿される,詐称できることにあります.
基本的なことを知りたいがゆえに「中学生(以下)」を名乗る高校生も,背伸びしたいがゆえに「高校生(以上)」を名乗る小学生もいます.謙遜のために身分を下げる回答者もいるぐらいですから.
そういう意味での「工作」は得てして露見しやすいのですが,それでもうまく見破れないこともあります.
名乗りどおりに対応したら実はもっと幼い対象で・・・というのが一番困りもの(自業自得ですけどね)ですから,個人的にはなるべく「やさしい」対応をするようにしています.
「ことば」だけのコミュニケーションですから,すでにこちらの思っているよりも冷たく印象付けられやすい,というのもありますしね.

昔辞書を引くことによっていろいろな付帯情報を得られた喜びと同じように,今はgoogleで検索することによって(辞書と比べてもはるかに多く興味深くゴミも多い)付帯情報が得られるわけで,これを一度経験してもらうことが,今後の生活においても大いに実になるものと思っています.
Posted by:某(なにがし) at 2008年11月12日(水) 13:39
>某さま

コメントありがとうございました。
大変クリアーな提案で、しかも僕が心の中で感じていることを明確に文章にしていただき、お世辞抜きに素晴らしいコメントを頂戴できた、と感じました。。


率直に申し上げると「インターネット上の質疑応答」では

・質問者が小中学生であれば〜手法も含めて提示するのがベスト
・高校生以上であれば〜手法は提示しないのがベスト

と思っています。あくまでも私見ですし、場面場面に応じて使い分けが必要ですが。


完全な経験則に基づくものなのですが…

まず、自分自身を振り返った場合、突き放された回答、大学生の頃など、仲良かった先輩に「お前そんなことも知らないの、勉強しろよ、バカ」と言われてきたことが、一番「わからないところから何かを見つけ出す」行動に直結してきたのです。

次に、高校生は、小中生とは違い「精神的な狡猾さ(とでもいうのでしょうか)」も発達していますので、「調べ方を教えた後はちゃんと調べなさいよ」と啓示しても、「めんどくさいからまた聞こう」という意識に傾く方が少なからずいます(肌感覚では、そちらの方が多いと感じています)。
※小中生は、こと「狡猾さ」においては、かわいいものですから、しっかり調べてくれるんですけどね、ほとんどの場合。

もう1つ。今の世の中は「調べ方もわからない」問題がどんどん増えており、そこから見つけ出す姿勢が過去に比べて求められているのでは、であれば早い段階でそういう状況に慣れさせないといけない、と感じてもいます。
※まさに世の中の難しさと子どもたちの甘えがどんどん乖離している現実もあるのですが…。


ただ、精神的にも弱くなっていますので、高校生における上記の突き放した言い方、というのがはまる場合、はまらない場合、下手すると短期的にとっても傷つけてしまい立ち直りまで時間がかかる場合…いろいろあることはケアしなければいけない、なので本当に難しいと思っています。
で、言葉での(あるいはアドバイスでの)強さや突き放し度(とでも言いますか)を決める因子の一つとして「求める果実の大きさ」があると思っているのです。

どこまで「ないものねだり」度が高いか、それによって回答を変えるのが実際のところです。
Posted by:Z会スタッフ:寺西 at 2008年11月12日(水) 13:01
>タカバタケさん

いつか書きたかった記事だったのです
つい最近、質問ばかりして自分で解決しようとしない(しかも相手に質問の意図を汲み取ることまで執拗に要求する)いい大人とやり取りしたので、一気に記事にしちゃいました。
※質問は、相手の時間を頂戴している、ありがたい、感謝、という気持ちがない人間はダメですね。その気持ちから「なるべく自分で解決しなきゃ」という姿勢が芽生えてくるものですから。


「できるだけ分かってもらいたい」「分かるように回答したい」という思いは、一般の方以上に、教育に携わっている人間であれば持ち合わせている感覚だと思います。
“分かる”の定義が“質問に対して回答する”だけではなく“その後の自らの問題解決行動につなげられる”ことまで(当然)含みますけど。

ただ1つ、制約条件があります。
回答者も24時間という時間が限られていることです。
それまで無関係な人間まで含め、すべての人間に自分の知っていることをできる限り、という「姿勢」は大事ですが、その姿勢をそのまま発揮すると、答えられる「量」が減ります。


そこで自分のとっているスタンスー「(相手への)関与度」を尺度に入れる、が含まれてきます。
関与度の深い人間(仕事でも、個人的にも)に最適のソリューションを提供することにほとんどの時間を費やすことがベストなのではないか、と。
一方で、この姿勢は「できる限りのことをやる」姿勢を遠ざけてしまうキライもありますので、注意しなければいけません。

僕が今回、相手によって回答を分けることを前提としたのは、この「関与度」という因子が多分に影響するからです。


ネット上のような「無関係な人」であれば、質問者の態度を見ます。態度は質問文にも表れますし。
「相手の時間を奪っている、申し訳ない、今度からは自分で解決するよ、だけど今回だけはどうしても…」
という姿勢が感じられない人は、僕は回答しないことが多いと思います。
1分1秒でもその時間を、関与度が深いけれどベストのソリューションを提供していない人間たちに伝えたいので。

その姿勢が感じられれば「そのときの気分で」回答することもあるとは思います。


1つ1つの事例で明確な正しさは存在しませんが、「関与度」と「質問者の姿勢」が大切な(ベストソリューションに向けた)判断因子だとは、はっきりと思います。
Posted by:Z会スタッフ:寺西 at 2008年11月12日(水) 12:23
どうなんでしょうね。
最近の子達はきちんとした「調べ方」を知らない,という一つの好例なんじゃないかと思うんですが。
最近は「なんとか知恵袋」とか「教えて!なんとか」とか,そういう質問・解答に特化した掲示板システムすらあるわけで,「ネット上で気軽に人に聞く,聞ける,答えもそれなりに得られる」というのが常識化しつつあります。
(逆にいうと,「お手軽に答えてしまう思慮のない大人」がかなりいる,ということでもありますが。)
(ついでに言うと,上記のような「質問掲示板」は,智の集約という意味では大変優れたシステムなのですが。)

昔はいいとこ「近くの大人に聞く」が精一杯だったのが,今は「不特定多数の大人に聞ける」という(「人に聞く」ということで言えば一番効率がよく,答えを知っている人も見つけやすい)質問者から言えば非常に効率のいい状況になっている。

ですから,まずすべきなのは
 ・ネットにある情報は有限(それも,かなり狭い)ことを気づかせる
 ・その上で正しい「調べ方」を身につけてもらう
ということなんじゃないですかね。
「自分で調べよ」と突き放すのではなく,調べる道具,使い方はきちんと指南した上で「じゃぁあとは自力で」と送り出すのがよい場合が多いように思います。
Posted by:某 at 2008年11月12日(水) 09:15
久々コメントします。
すごく面白く、考えさせられる記事ですね。

模範解答が思い浮かばないまま書き始めましたが、
自分だったらどうするかな。

まず、「近しい関係」の人にするときの答えを、
どんな場合でも伝えようとする、気がします。

そして、その答えを、
できるだけ正確な言葉で伝えることに
心を砕くような気がします。

自分のベストと思える解答を
自分のベストの言葉で伝えようとする。
まあ、それがうまく行かないことが多くて、
無力さに苛まれる日々でもあります。

あ、本題とズレましたが、
もちろん「自分で調べましょう」が正しくて、
それをどれだけ相手の気持ちに届かせることができるか、
のような気がしました。

そう。
「どちらに転ぶかわからない」んですよね。
でも、できる限りのことはしたい。

うーーん。やっぱり難しいなあ。
長くてしかもまとまりつかなくてスイマセン、
もう少し考えます。
Posted by:タカバタケ at 2008年11月12日(水) 02:31