2008-11-09
「日本語が亡びるとき」なんか読む暇があったら「あたし彼女」でも読んどけ
[コラム] 水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
これ、要するに誰も読んでいないから盛り上がってるんじゃないの。
その点は元エントリ執筆者の苛立ちも頷けるんだが。
日本語が乱れている、というような話ではない。
『あたし彼女』でも読みつつ誰かがレビュー書くのを待っとけよ。その上で興味持ったなら買えばいいよ。ただ買え買え全員買えと言われて買う阿呆は壷や浄水器でも買っとけ。amazonで品切れするほど阿呆がいるとはね。
『新潮』9月号に載った前半部読んだ感想としちゃ、読めたもんじゃないよ。
何の説明もなく日本の文学は一人で幼稚なものになっていっていたと断じている作家が、この『ひとり』をひらがなに開く言語センスすら持ち合わせない作家が、<叡智を求める人>は今の日本文学など読まないなどとぬかしているのだよ。
しかも、自分のバイリンガル生活、自分の小説が著しく可読性に劣る和英混合文である理由を説明しながら。知るかよ、作品で語れや。
漱石激萌えで自分は漱石の後継者で今の日本文学はクズでオワタ、ってとこだ。
いやもっと構造的な話をしていて頷かされる部分も多々あるんだが、上記の認識が説明もなく通奏低音として流れてる。
1章の終わりで突然、今の日本文学は幼稚と私感で決め付け、それを憂える同志に向けて書くから不快なら帰れと言い出す。
絶賛する人はここで僕は選ばれた知識人なんだって思っちゃったんじゃないの。
まともな神経持った人間なら辟易して途中で捨てるわ、こんなもん。
読み始めた人がちらほら出てきてもフランスに渡米した経験のある俺は激しく頷きまくりですみたいなコメントばっかりってことは、そういう本なんだろ。日本と外国の両方に住まった者だけにクリティカルヒットする言説。何が、すべての日本人が読むべき本だか。
大まかに言ってこんな感じ。
この小論は、明治の近代日本文学を崇拝し、文学の名に値しない日本語で書かれた現代文に絶望と諦念を覚える、選ばれた知識人に向けて書かれている。 今の日本文学が幼稚だと言われて不快を覚える人々には用がない。 ヨーロッパにおいては、<叡智を求める人>はラテン語で読み書きしていた。次第にヨーロッパ各国の現地語で読み書きされるようになるがみなラテン語に近い言葉であり、同じ世界観の言語なので、やはり叡智の結集に触れていた。これが学問である。学問の真理は言語に依存しない。<普遍語>で扱われるが、訳されても内容は変わらない。 しかし、特定の言語でしか語れないニュアンスを含む文章が紡がれるようになった。それが文学であり、文学の真理は文体に宿る。これは<現地語>を高めた<国語>でしか扱えず<普遍語>に変換できない。 従って<叡智を求める人>、知識人は、母語と<普遍語>の二重言語者である。 現地語で書かれた文学は固有の世界観を持つ。<国語>によって書かれた<国民文学>が持て囃されたこともあった。そうしたローカル文学はしかし、ヨーロッパ的世界観で捉えられるものしか訳されて評価されない。<普遍語>の世界観は訳されて世界に広まるが、一方ローカルの世界観は世界に送り出せないという非対称性がある。 今では英語が唯一の<普遍語>となり、フランス語さえ没落して<国語><現地語>となってしまった。また<国民文学>も衰えた。英語以外の文学は、世界に問われないローカル文学になってしまった。 文学が現地語で書かれない地域さえある中、日本は恵まれている。近代日本文学は啓蒙的であり、なんかものすごいものだった。世界の中で、主要な文学に数えられた。 しかし今の日本文学はカスである。<叡智を求める人>はそのカスっぷりを感じ取っているので日本文学など読まない。日本文学は世界から取り残された、俗な<現地語>文学になっている。日本文学は亡ぶ。
前半(『新潮』掲載分)は、非英語文学の大衆化・ローカル化を死と決め付けるものだった。
後半(単行本初出分)でどう纏めたかは知らない。
まあぶっちゃけおかしいよ、言ってることが。
構造的な理解:ヨーロッパ語の世界観に沿わないローカル文学は世界に羽ばたけない。国民文学による啓蒙が必要とされる時代も終わった。英語の一人勝ちだ。
私情での認識:漱石萌え。今の小説はカス。
これを(因果関係はないといいつつ)結び付けているから、どうにもこうにもだ。
ともかく文学の域に関しては、この筆者の認識には首肯できない。そこから繰り出される繰り言も読みたくないね。
学問の域に関しては、筆者はむしろ単一の<普遍語>で取り扱われることを学問の本質とまで言っている。後半でいきなり否定するとは思えない。
しかし冒頭に引いたエントリ(コメント欄含む)や、英語が唯一の<普遍語>になり他の言語が軽んじられる危惧を書いているエントリを見ると、後半は学問の域の話であるように思われる。
つまり、叡智がインターネット上において英語で結集される時代に日本語はどうするかというような話に見える。
だとしたら論理の展開方法がかなり変だ。
あるいは、学問の域に関心のあるブロガーが自分の興味に沿う部分を取り出して論じているのかもしれない。
ここはわからない。なぜなら後半(単行本)など読まないからだ。
11/10追記
ごめん、珍しくホッテントリ入りした社会派(笑)エントリが流れてピキピキ来たんだ。
ここまで貶すほどでもない。もちろん、あそこまで賞賛するほどでもない。
そして『あたし彼女』の真価はここのgif動画で分かると思う!
気になる『日本語が亡びるとき』後半については
素晴らしい大意約
http://d.hatena.ne.jp/elastica/20081110/1226247158
素晴らしい抄訳
http://anond.hatelabo.jp/20081108170922
そして、分析
http://d.hatena.ne.jp/elastica/20081110/1226295874
の各エントリで満腹。文化論かと思ったらライフハック(笑)だったと。
エリート
<普遍語>を習得した選良たる多重言語者が叡智のライブラリに触れ大衆ノ蒙ヲ啓クヘシという論調は、英語を読む(機会のある)日本人の危機意識に訴えかけると共に、優越感をもくすぐることだろう。そこが「ライフハック(笑)」。
日本語の危機と聞いて胸をざわつかせた諸氏は、
中途半端な国民総バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版の伝統を維持する。作文を書かせるより、古典をたっぷり読ませる教育を積む。それが日本語の生命を保つ現実的な方策。もちろん小説家は密度の高い文体を全力で築く。さもなければ日本語はやがて亡(ほろ)びゆく。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm
かような主張だとは思わなかったのでは?
あと、エントリ書いた時にはまったく思わなかったのだけど
http://blog.livedoor.jp/unknownmelodies/archives/51147189.html
これ読んでしまうとある疑念が萌すね。