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【コラム】危ない日本(下)

 日本政府もメディアも、田母神氏の問題で思い出す歴史的史実があるだろう。ただ、背筋が寒くなるから言及しないだけだ。軍部の暴走をコントロールできなくなり、アジアを火の海にした1930年代以降の歴史だ。当時、日本政府が軍国主義の理念にどっぷりと漬かり、侵略戦争を起こしたと考えられがちだが、実は軍部の越権行為が民主的だった日本を軍国化させた、と逆に考えるほうが正しい。武力の暴走にスキを見せれば、理念などいつでも風前のともしびのようなものだ。

 今、田母神氏がそうであるように、当時の日本軍部は少佐クラスの将校まで米国との戦争を公然と主張するほど生意気で差し出がましかった。このような軍部を統制できず、顔色をうかがううちに統帥権の軍部独占を許してしまった1930年代の政治家や元老の逃げ腰な姿勢が、世紀を越え、今の日本に引き継がれてしまっているようだ。

 「飛躍しすぎだ」といわれるかもしれない。だが、隣国の視点から見れば、満州事変の首謀者・石原莞爾(満州事変当時の関東軍参謀)を、天皇の統帥権を侵害した大逆罪で処断できなかったかつての日本政府も、田母神氏を懲戒処分にすらできない現在の日本政府も、大差ないようにみえる。いや、かえって今のほうがもっと不吉だ。かつての明治憲法では、統帥権の規定があいまいだったが、現行の憲法は統帥権の「シビリアン・コントロール(文民統制)」をうたっている。にもかかわらず、何を理由に首相は手にしている権限さえ投げ出すのだろうか。

 記者(鮮于鉦〈ソンウ・ジョン〉)は平和主義を理念の土台とした戦後の日本は、戦前とは違うと信じていた。日本に好感を持つ人々の多くが、同じ思いを持っているはずだ。だが、もはや信じられない。田母神氏の幼稚な主張のためではない。現代版の「軍部の暴走」に対する日本政府の対応が、1930年代と本質的に違わないということを、この目で見てしまったからだ。

 日本が今後どのような未来を描くかは、100%日本の自由だ。だが、田母神氏の件をこうした形で処理する日本政府の対応は、必ずや日本の未来に不吉な影響を与えることだろう。隣国の懸念など眼中になくとも構わない。記者が日本の首相なら、子供たちの未来のために田母神氏を懲戒免職にしただろう。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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