少年Aの散歩/Ecology of Everyday Life このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-07-22

斎藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 (723))

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 (723))

 

 タイトルと中身が若干、対応してない気がする。と書いて、「いや、すべての内容が「私塾」という言葉に関連しているんです」と言われれば、あ、そうなんですか。と納得するしかない。

 

 「直感を信じよう」(P35、梅田)については、細かく書くと膨大な分量になりそうなので別の場所に書くが、僕は自分の直感が正しすぎて怖くなる。まぁ、正確に言うと悉く「正しかったことにしている」わけだが。

 

 「「ノー」と言われることに対して弱すぎる」(P129、梅田)というのも、これも本当に、的確。意気地がないとか、度胸がないとか、それもそうなんだけど、「断られるのが怖い」これね。

 「ノーと言われる」、否定される、拒否されるということに対して、全人格を否定されたような気になってしまう人のあまりに多いこと。なんでそうなっちゃうんだ?

 

 「今度の日曜、一緒に映画行かない? チケット二枚あるんだ〜」(古典的表現)

 「ごめーん、バイトなの」

 「きっ、きみはぼくの全人格を否定するのかっ。きい」

 

 的な。

 かりに「ノー」と言われて「あ、今全人格否定された」とか思っても0.01秒後には「いやいや」と思い直すんじゃない普通。だって頭で考えれば、「ノー」の対象は「日曜の映画」だけであって、「あなたの人格」でないことくらい、阿呆でもわかろうにね。

 直感を信じろつってもそういうことじゃない。

 

 オプティズム云々(P136、梅田)については、すでに書いた。

 

 梅田望夫さんという人は、「(ウェブに対して)楽観的すぎる!」とよく批判を受けるらしい。

 それに対して、彼は「わかってるよ、そんなもん」と言う。

 つまり、あのね、もっちー(愛称、okadaic提唱?)はかしこい子なんですよ。

 ウェブの持つ負の要素、負の側面くらいよくわかっていて

 それであえて楽観主義に立っている。これは『ウェブ時代をゆく』でも明言されていたと思うけど。

 ウェブの負の面とか、問題点とか、危険なところとか、いっぱいあるってことくらい、常識的に考えてわかるじゃない? それをもっちーほどの人がわざわざ言う必要ありますか? もっちーは「人と同じことがやれない」人なので、頼まれたって言わないと思う。そんなことを説明する時間があったらネットか将棋に費やすでしょう。

 『私塾のすすめ』で、「上を伸ばす」ことに興味があると言ってたけど、「楽観的すぎる!」などと的外れなことを言う人を「伸ばす」気なんて毛頭なくって、それでそういう批判はほっといているのかもしれない。以上たんなる邪推。

 (Ez 2008/07/13(日))

 

 要は、そういう批判をする人は、もっちー(愛称)のことを低く見積もりすぎ。というか、もっちーがどのくらい物事を考えている人なのか、文章から読み取ることができないのだと思う。僕が初めて彼の著書を読んだ時は、「うーん、あまりにも楽観的だが、これはあえて言っているのだろう。だって、このくらい頭の回る人が、そんな単純なことに気がついていないわけがない」と思った。よ。

 あ、ちなみにわかりづらいけど「わかってるよ、そんなもん」というのは引用でないです。僕の恣意的な曲解です。ひどい印象操作です。関係者各位すみません。管理人さん不適切でしたら削除してください。

 この「管理人さん不適切でしたら削除してください」という言い方は僕は大嫌(略。Ez参照)

 

 印象に残ったのは「これ以上会社も発展しないけれど、もうそれでいいや」(P179、梅田)という発言。梅田さんのような立場の人が、成長や発展を否定するようなことを言うのはそれだけでインパクトがある。成長や発展が自己目的化して大きくなることに意味なんかなくて、そんなことよりも酒飲んで笑ったりこだわりの盤と駒で名局の棋譜並べながらニンマリしてたほうが数億倍良いと、いうことなのかな。いや、それだから梅田さんは好きなのであるよ。

 

 斎藤さんと梅田さんが立ち向かう「まったく同じもの」(P204)、日本社会の閉塞状況に関して。

 僕は意味のない「進歩」や「発展」や「成長」は嫌い。が、意味のない「保守」も同様に嫌いである。なんでも進歩すればよいというものでもないし、保守すればよいというものでもない。大事なのはよーく考えて、検討することでしょうよ。その「考える」ってのを放棄している大人たちってのが、許せないってことなんでしょう。

 必要があれば変化は必要なんだが、その「必要」を感じ取る能力すらない、頭の固い日和見のオッサン方が、許せなくって仕方がない。ウキー。みたいなエネルギーが、この本からはごうごうと感じられることだなあ。