桜井淳所長の最近の講演内容-歴史的な名著が生まれる過程-
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筑紫哲也氏は、11月7日、73歳で永眠いたしましたが、桜井淳所長は、TBSテレビ「NEWS23」に複数回生出演し、本番前の打ち合わせ等で、筑紫氏の厳しさややさしさに接する機会を持ち、いつか、本音で、この国の未来について対談したいと申し出ておりましたが、残念なことに、実現することなく、筑紫氏は、永眠されましたが、桜井所長が、一番印象的だったのは、1995年の「もんじゅ」事故の時に、桜井所長が「朝日新聞」にコメントしたわずか20行の内容に対し、筑紫氏が、「頭を後ろからぶん殴られるような心境だった、あなたは、わずか、20行で、月刊誌論文ひとつの内容を世の中に伝えたが、我々は、なぜ、そのような指摘事項に気付かなかったのか、恥ずかしい」と言っていたそうです(筑紫氏は、現代社会に対し、厳しさとやさしさで見つめ続け、本音で物が言える数少ない硬派の論者のひとりであり、桜井所長が、最も高く評価したジャーナリストでした)。
文部科学省
担当者殿
東大原子力工学研究施設(茨城県那珂郡東海村)に設置されている弥生炉(定格熱出力2kW)は、研究用の高速炉であり、一定出力運転の他、パルス運転が可能ですが、同施設内からの情報に拠れば、過去のパルス運転時に、認可条件を逸脱(出力超過)した運転がなされた疑い(原子炉規制法違反)があります。よって、以下の質問にご回答ください。
(1)過去のパルス運転日時
(2)パルス運転条件
(3)実験責任者と実験項目
(4)運転日誌ないし関係頁のコピーの提示
(5)制御室に設置してある原子炉熱出力計の実験時の記録用紙ないしコピーの提示
(6)制御室の各種計器と記録計の時間応答(特に原子炉熱出力計)はパルス運転条件に十分対応できることの証明
以上、今月中にご回答ください。
桜井 淳
桜井淳所長に拠れば、桜井所長は日々活発な研究・執筆・評論活動を行うべく、食事・アルコール・運動・睡眠など絶えず健康管理には細心の注意を払っているそうですが、あるとき強烈なストレスに毎日見舞われることになったそうで、それは昔々原研を去る1年前に大部屋に引越しを余儀なくされ(大部屋といっても各自のスペースはパーティションで仕切られているそうですが)、それまで長らく味わったことのない大部屋での共同生活を体験し、色々な人間の生態に接したそうですが、同じ部屋に強烈なくしゃみを1日に何十回も発する同居人がいて(決して大袈裟ではなく、正の字を書いて数えていたところそれくらいの回数になったそうです)、そのパーティションが災いして、くしゃみが天井で反響増幅して(パーティションがなければくしゃみは周囲に拡散するので衝撃は大分緩和されるそうですが)、くしゃみのたびに心臓が止まるような強烈なストレスを毎日受け続けたそうで、くしゃみの主に苦情を申し立てようともしたそうですが、苦情を申し立てた別の人物がその後パワハラを受けたことを聞き及んでいたのでそれも出来ず、その1年間は健康上の重大な問題を抱えていたそうですが、いまだにそのPTSDは完全には癒えていないそうで、桜井所長が昔訪ねたことのある田園地帯では雀を追い払うために定期的に破裂音を発していたそうですが、桜井所長はまるで田んぼの雀のような惨めな扱いを受けたそうですが、雀ならどこにでも好きなところに飛んでいけるものの桜井所長はそういうわけにもいかず苦痛に耐え続けたそうで、大部屋への引越しも上司による嫌がらせかとも邪推したそうですが、もうひとつの"拷問"は、今度は別の同居人が発注先のソフト会社に計算の指示をするための何十分にも及ぶ要領の得ない電話を間近で聞かされたことだそうで(クライアントからの長電話に付き合わされるソフト会社の担当者もさぞかし大変だったろうと同情しているそうです)、その会話の内容を聞く限りでは、その人物は、計算も何もまったく分かっていなかったそうです。
文部科学省
担当者殿
米政府は、1977年、核不拡散政策を策定し、同盟国への高濃縮ウラン(93w%)供給を停止し、暫定的に中濃縮ウラン(40w%)、最終的に低濃縮ウラン(20w%)とする方針を定めました。
日本は、米政府の方針に従い、政策直後、濃縮度低減化計画に着手しました。私は、当時、原研材料試験炉(JMTR, 熱出力50MW)の炉心核計算を担当していました。
米国と同盟国の原子力施設の濃縮度低減化計画は、確実に履行されましたが、日本では、近畿大の原子炉(93w%, 熱出力1W)と京大炉の原子炉KUR(93w%, 熱出力5MW)・臨界集合体KUCA(93w%, 熱出力100W)について、30年経った現在でも、低濃縮化されていません。
ただし、KURについては、特別の事情(新設予定のKURⅡのために契約した高濃縮ウランについて、建設中止になったにもかかわらず、燃料製造契約をキャンセルせず、それをKURで利用し、すべて使い切るまでKURの高濃縮ウラン炉心を認可)があり、約30年後の2006年から、低濃縮ウラン炉心への移行のための許認可申請が実施され、すでに、認可され、来年3月運転を目指し、燃料製造に取りかかっているようです。
しかし、今日まで、近畿大の原子炉(93w%)と京大炉の臨界集合体KUCA(93w%)については、そのままの高濃縮ウラン炉心になっており、日本の対応として、米核不拡散政策の方針に反しており、ふたつの施設に対して、どのような根拠と理由で、特別扱いされているのか質問します。
(両施設とも原子炉熱出力の低い臨界集合体だからというのは、理由にはならず、原研材料試験炉臨界集合体(JMTRC, 熱出力90W)は、材料試験炉と同時に濃縮度低減化を達成しました。)
(近大炉の運転管理に携わっている教員が、私が講師を務める「核燃料サイクル施設の核的安全セミナー」に参加したため、上記のような歴史的経緯をお話ししたところ、まったく認識していませんでした。)
以上、今月中にご回答ください。
桜井 淳