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小説本文

    イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
     十世紀以上の長きに渡る宿願を果たすべく、アインツベルン家が送り込んだ、儚き冬の少女。
     その正体は魔術回路を人の形に生成したホムンクルスであると言う。
     同時に第三法に至る鍵の役目を担う、聖杯戦争のシステムの核とでも言うべき存在でもある。

     しかし、運命は流転する。
     巡り合わせの妙で、それは七騎揃った早々に現世から失われてしまった。
     ルールを破ってまで最強のカードを引き当てようとも、常人より虚弱なマスターが狙われてはどうしようもない。
     彼女は無慈悲に、完璧に死んだ。奇しくも"エミヤ"の従者の手によって、生命基幹の心臓を奪い殺された。
     これより先、白い少女について語られる言葉はすべて過去形になる……、筈が―――、

    "―――ね。そうなんでしょう? イリヤスフィール"

     遠坂の後継者は故人の名を口にした。
     あろうことか、殺人の加害者に向かって。

     ハサン=イリヤ。
     既知の事実のように話したが、凛のそれは、じつは当てずっぽうである。
     しかし、まったく根拠が無いというわけでもない。
     自分の目で見たものに限るとはいえ、凛もマスターである以上、サーヴァントの特性を知る共通の能力を持っている。
     セイバーを除き、もっとも凛と接触する機会に恵まれているのがこのアサシンであるから、当然、彼女はよく知っていた。
     即ち、根拠とは、そうしたアサシンの能力にある。
     似合わぬ幼い声と縮んだ背丈が推論を補強する。
     具体的には、肉体改造のスキルと宝具『妄想心音』―――"同化"と"略奪"の能力。
     アサシンはイリヤスフィールから個性・識別情報といったモノを収奪し、自身に取り込んだのだ、と。
     それが帰納的に導き出した結論の一つだった。
     とはいえ、ここまでは知識さえあれば誰でも思いつく。
     彼女は更にその先があることも見越していた。
     無機質で不確定な英霊"アサシン"から、確固たる人格を持つ"ハサン"へ。
     バーサーカーとの戦闘中、宝具の使用をきっかけに、アサシンは変化した。
     士郎が命名したことにより"道具"の印象が削げたのは確かだが、気のせいだけで済まない部分も否定できない。
     まるで人が変わったかのように見えたが、
     否―――本当に人が変わったのではないか?

     無論、凛はこれが暴論であることは承知していた。
     神秘に携わる者として士郎より一日の長がある彼女は、諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すことができる。
     仮にも魔法の域にあるとされる宝具持ちの英霊であるから、何があってもおかしくない。そんな一足飛びで生まれた発想だ。
     確率は一割を切り、凛自身がこの説を殆ど信じていなかった。
     が、当たらずとも遠からず。これにより何か引き出せるのではないか、と、そんな思惑があった。
     要するに、カマをかけたわけである。


    「……………………」

     ハサンは動きを止めていた。
     彼か或いは彼女である人物に戸惑いの色はなく、爬虫類のような無反応というのが、凛の詰問に対する答えだった。
     そんなタマではないから、「驚愕で身が固まった」などという人間らしい代謝の結果ではないだろう。
     もとより身体言語で思考を読める相手ではないが、その沈黙が何よりも言葉の重さを雄弁に語る。
     凛はそれで、自分がハサン・サッバーハの深層に踏み込んだことを確信した。
     ならば、再言は無用。
     開いた間隙に凛は唾を呑み込み、心の中で十を数えた。
     僅かばかり冷えた風が両者の間を吹き抜け、
     ―――そして、風の向きが変わった。




    「ふーん、さすがはリンね。そこに気づくなんて、褒めてあげるわ」










       Faceless token.     13 / Anybody









     自分で話を振っておきながら、結果、絶句したのは凛の方だった。


    "今、何て言った?!"


     逆光が陰影というものを奪い去っており、黒い外套で空が切り取られたかのように見える。
     反対に、棚引く衣を掴む露出した左手と、表情がない髑髏の仮面は、まるで太陽を知らない月のように白い。
     その容貌は、命だけを刈り取る不吉な存在―――"死神"を強く喚起させるに値する。
     暗殺者とはこういうものだという人々の幻想が、わかりやすい形で具現した良き実例だった。
     声こそ不釣合いなソプラノだが、普段のハサンの喋り方は平坦で抑揚の幅が極端に狭く、ゆえに少女の残滓を見出す機会は稀。
     選ぶ語彙も硬質であったから、無機質な死の体現者たるイメージはからくも固持されている。

     けれど、受ける印象や雰囲気と言ったモノは、見る側の心証によって如何ようにも変化する。
     まるっきりイリヤスフィールと同じトーンで、ハサンは肯定とも受け取れる言葉を口にした。
     幾つか単語を並べただけの短い台詞が、そうした先入観をひっくり返した。


    「まさか、アンタ、本当に……」


     夜の十字路で目撃した、あの白い女童の姿が頭から離れない。
     まるで、ぼろ布を頭からかぶったハロウィン仮装の子供、とまで凛は幻視し、不意な立ちくらみを覚えた。
     まさか本当だった場合の自分の行動を用意していなかったのは、凛の不覚だった。
     次に紡ぐ言葉に迷う。これは凛にしては珍しい。
     何かヒントになるものはないかとハサンを注視する。
     ふと、気のせいなどではなくて、仮面の奥、喉の奥から、微かに空気が漏れる音が聞こえた。

    「……?」

     数瞬遅れて、それが忍び笑いであることに凛は気づいた。
     何のことやら分からず、首を傾ぐ。すると、


    「冗談だ」


     ……………………
     ………………
     …………
     ……

    「―――はい?」


    「だから、冗談だ。わたしがイリヤスフィールなわけないだろう」

    「……えっと―――」

    「誘導尋問なのは透け見ていていたからな。担ぎたくなったのだ」

     ハサンは理由付きであっさりと前言撤回した。

    「……………………」

     上段でも、ジョーダンでもなくて、冗談?
     声が同じなのをいいことに真似をした。
     狼狽する姿を眺める娯楽。そのために嘘をついた、と。
     つまり、真実ではない。
     凛の瞳に理解の色が浮かび、がくりと肩が落ちた。


    「あんたねぇ―――、時と場所と、それから、自分のキャラってモノを考えなさいよ」

    「……む。空気が重いことを察して、わたしなりに気を使ったつもりなのだがな。
     まさか、本当に信じるとは思わなかったぞ」


     神妙に頷き、それから仮面が斜めに傾いた。凛の態度がよくわからないといったふうに。
     普段むっつりしてるヤツの言葉なんだから、冗談を冗談と受け止めれるわけないだろう、と、凛は内心で突っ込みを入れる。

     もしかして、天然なのだろうか。
     自分の言動が周囲に与える影響を理解していないタイプ。だから齟齬が生まれる。
     実情よりも自分を低く見積もったり、或いは自己そのものを考慮外にする者によく見られる傾向。
     サーヴァントはマスターに似るというが、思えば士郎も。
     逆に、もしこれが釣りだとすれば大したものだ、と、ある意味で尊敬する。


    「確認すれけど、違うのね?」

     あらためて訊く。

    「無論。一部例外はあるが、肉体を離れた魂は根源に還る。本人はおそらくそちらだ」

    「あ、そう」

     がっかりというわけではないが、当たり前のことを当たり前に説明されて、凛は拍子抜けする。
     しかし、話はそれだけで終わらなかった。


    「だが、いい勘はしてる。ある意味では正しい。『褒める』に関しては、わたしの正直な感想だ」

    「……どういうこと?」

    「わたしはイリヤスフィールからイリヤスフィールたらしめるモノを奪い、自身の礎と成した。おそらく、貴下が察している通りに。
     したがって、今ここにいるわたしは、言わば、イリヤの模造品と称すべき存在ではある。
     もちろん全てを奪い切れたわけではないし、戦闘技術などのサーヴァントに憑いている能力はそのままであるが」

    「なるほどね」

     少なくとも予想の前半部分は当っていたわけだ。

    「ついで言うと、彼女の体が特別製な所為かわからぬが、外套下の外形まで余計に複写されている状態だ。
     こうして貴下と会話できるのも、イリヤスフィールの人格と知性に因る部分が大きい。いや、そのものか」

    「ん?――― ってことは、アンタ、あっち<・・・>が"地"なわけ?」

    「どちらかが地ということはないな。
     今の語り口は、サーヴァントとして分相応の振る舞いを意識したもので、完全にわたしの中で身に付いている。
     意図的にか、もしくは不意でも打たれない限り、滅多のことで"あちら"が表に出ることはない」

     普段は演技している。で、不意打ちされるとイリヤ分が出てくる。
     それって、イリヤの喋り方が本性だと、そう答えてるも同然じゃないだろうか。

    「別にいいのよ。私は士郎じゃないんだから。格好つけずに、楽な方で話しても」

     凛は少し意地悪げに言った。が、



    「ふーん、リンはこっち<・・・>が好きなんだ。だったら、リンの一緒のときはずっとこっち<・・・>でお話してあげるわね」

    「……………………ごめん、お願いだから戻して。調子狂うわ」



     ハサンの方が一枚上手だった。
     最初に染み付いた印象は、頭ではわかっていても、なかなか拭い去れるものではない。違和感が凄まじい。
     外見は変わらないのに―――と、そこで思い出す。

    「そういえばさっき、その服の下の体もコピーした、みたいなこと言ってなかった?」

    「言った」

     それを確認した後、ずいっと凛は身を乗り出す。

    「見せて」

     前日に士郎のもとへ振って沸いた衝動が、凛にも降りてきたらしい。
     いろいろともっともらしい理由は思いつくが、本当のところ、一番大きいのは好奇心である。
     ただ、士郎の時と違っているのは、


    「いや」


     ハサンが速攻で断ったことだ。
     ついでに、イリヤ口調はまだ続いている。


    「どうして? 見せて減るもんじゃあるまいし」

    「だって、恥ずかしいじゃない」

    「うっ……」

    「減らないからって、リンは赤の他人の前で裸になれる? レディに対し失礼よ」

    「だったら、赤の他人じゃない士郎はいいわけ?」

    「とーぜん。とっくに見せてるわ」

    「え?―――じゃ、まさか、その先も、なんてことは……」

    「ふふん、それはどうかしらねぇ」


     身体接触による直の魔力供給……と、絵が浮かびそうになったところで、凛は、はっと我に返った。
     完全にペースに乗せられている。これではまるで、自分がただのエロオヤジみたいだ。
     いやいやと首を振り、呼吸を整えて言う。


    「ねえ、ちょっと訊くけど、今のやり取りで、どこからどこまでが演技?」

    「さあな。しいて言えば、すべて演技であり、真実でもある。境目はない」

     不意にいつもの口調に戻って、ハサンは凛に答えた。

    「アタマ、痛くなってきたわ……せめて、どっちかに統一してくれない?」

     凛は実際に頭を抱えて、溜息を吐いた。




    「……ま、だいたいのところはわかった。
     宝具までは無理なんでしょうけど、アサシンは敵の身体を奪い、コピーして利用できる能力を持っているのね。
     不可逆なようだし、その右手の宝具を使う必要があったりして、条件は厳しそうだけど、なかなかユニークな能力だわ。
     で、今はイリヤっぽくなっている、と。変わったんじゃなくて、混ざったと言うが正しいかしら。
     これで、もし奪ったのがバーサーカーの心臓だったらと思うと、ぞっとするわね。それこそ士郎を狙わなきゃならなくなる」

    「あの時は、バーサーカーを排除することが、何より先決だった。後のことは二の次だった。
     それにあの様子なら、ヤツの心臓を狙って『妄想心音』を使ったとしても、おそらくは無効化されていただろう。
     仮にうまく成功しても、今より体力バカになる程度のものだ。アレの強さはアレの宝具によるところが大きい」

     さらに、最優先で求めていたのは知性だったから、どのみちイリヤの方を選択していただろう、とも付け加えた。

    「それもそうか。しかし、最初は隠れてこそこそするだけの地味なサーヴァントだと思ってたけど、蓋を開けてみれば、とんだ変り種ね」

    「自分で自分の能力が選べたら苦労しないだろう。
     そもそもこの力は、むしろマイナス要因を逆手にとった事に由来する。
     抑止の輪から切り離され、呼び出されたばかりのわたしは、限りなく低脳で無個性に近い。
     誰かの知性を借りることで、ようやくまともになる。
     ―――わたしの真名が何であるか、知っているな?」

    「たしか、ハサン・サッバーハ」

     黒いサーヴァントは頷いた。調べればすぐにわかる事であるし、自ら凛の前で名乗ってもいた。

    「ハサン・サッバーハはわたしの真名として割り振られてはいるが、じつは個人名義のモノではない。
     わたしは史実に存在するハサン・サッバーハ本人ではなく、暗殺教団の首魁、山の老人の役割を与えられた大勢の一人」

    「前にもそんなことを言ってたわね。誰でもない暗殺者に与えられた記号、とか」

    「そう、ハサン・サッバーハは一人ではない。役目に準じた記号だ。
     英霊アサシンとは即ち、人々の暗殺への恐怖が具現化した、特定の誰かではない抑止の奴隷を指す。
     その実体は、ハサンの名を継いだ無名無貌の暗殺者の亡霊であり、その集団。
     故に群体で一と成し、個人の意思や人格を持たない。
     正確には英霊ではなく、英霊候補と称されるのも、それが所以であろう」

     ふっと声から力が抜けた。

    「もっとも、生前からわたしは似たようなモノだったがな。
     性別不詳になるまで体を弄られ、顔を潰された生前のわたしは、とても"誰"と呼べるような存在ではなかった。
     霊長の抑止がわたしを輪に組み込んだのも、そうした無個が奴隷として都合がよかったからかもしれない」

    「………………」

     少しだけ紐解いたハサンの身の上話に、凛は言葉もない。
     それでは、生前も死後も、まるきっり救いがない、と、頭の隅で微かに考えた。


    「わたしの成り立ちが、これでわかった事だろう。
     真名がハサンであるというなら、同レベルで、イリヤスフィールの名前もそうだと言える。どちらも本人からの借りモノだからな。
     最初に言った『ある意味』とは、つまり、こういうことだ」

    「で、本当のところは、どちらでもない―――と、たしかにこれじゃ、あんたの正体暴きが意味ない筈だわ」

     近い将来、確実に敵となる相手に、同情は心の贅肉。
     と、生まれかけた感傷を追い出し、凛は矢継ぎ早に次句を紡いだ。

    「よく考えれば、当たり前の話よね。
     肉体を真似るだけなら可能でしょうけど、魂を加工して他に移したり、複写したりなんてこと、できるわけがないわ。
     噂だけ綺礼から聞いたことがある『アカシャの蛇』か、それこそ、魔法でもないかぎりムリ。まるっきり不老不死の実現だもの」

    「―――『天の杯<ヘブンズフィール>』」

     ぽつりとハサンが言った。

    「ん? 何か言った?」

    「いや、わたし自身も知らない言葉だな……。おそらくイリヤスフィールの残滓だろう。だから気にしなくていい」

    「―――?」

     口にした本人も知らないというのは間違いないようで。
     問い詰めても無駄であるようだから、凛は言われた通りに気にしないことにした。

     会話に一応の一区切りがついて、凛は黙考する。
     思ったのは、その内容と別の事だ。
     この件について、ハサンはよく喋った。マスターである士郎よりも詳しくなったかもしれない。
     どうして、そこまで協力的なのか。
     一時的な共闘関係を敷く事情があるとはいえ、不自然に思った。


    「どうして?」

     内奥に収めるのは止めて、凛は直接訊く。

    「随分と親切じゃない。仮初めの相棒に話すにしては度が過ぎてるわ。
     語る必要のない自分の内情を、どうしてそこまで私に説明したの?」

    「わたしの在り方が知られたところで、こちらに有利不利はない。
     アサシンの能力を知り、イリヤスフィールに関わる事まで察していた貴下が相手ならば。だから話した」

    「それは嘘―――いえ、それはそれで本当なのかもしれないけど、私が訊きたいのはそんな理由じゃない。
     話しても話さなくてもいい事なら、間違いなく、あなたは"話さない"方を選ぶ。違うかしら?」

    「――――――」

     奇妙なところで鋭い、と、ハサンが思っのたかどうかはわからないが、押し黙る。
     少し間を空けた後に、あらためて別の答えを言った。

    「……大したことじゃない。気にしてるみたいだったから」

    「気にしてる? 私が? 何を?」


    「イリヤを殺した事」


     その一言が凛の呼吸を止めた。
     ずきりと心臓に白木の杭が打たれたような衝撃を覚える。

    「聖杯戦争を競う敵として以上にわたしを敵視し、怖れていた事は知っている。
     それは、わたしが加害者だから。わたしを通して、直に触れた"殺人"行為に怖れと憎しみを抱いているから。
     同時に、その感情は内にも向けられている。
     殺す羽目になった事、殺させてしまった事を後悔している。
     魔術師だから仕方が無いと思う一方で、幼い少女なのに赦せないと思う、そんな二律背反がある。
     だから、わたしがイリヤスフィールと同一人物などという発想に行き着いた。
     わたしの能力を知って、縋ったのではないか? ――― もしかしたら、彼女はまだいきているのかもしれない、と」

    「………………だから、何だというの?」

     勝手な思い込みだ、と凛は憤る。
     彼女はそれが、自分の無意識を代弁する言葉だと思わないし、認めない。
     ただ、形はどうあれ、秘せられていた一面に触れている事実までは否定できなかった。
     イリヤの死は、凛の中に小さなしこりを残している。
     喉の奥に小骨を引っかけたような居心地の悪さがある。
     そこに気づかれたのは、完全に彼女の誤算だ。

    「別に魔女殿を罵る為に言ったわけではない。
     障害となる誰かが立ち塞がった時に、その者を殺すか、殺さないか。その死に心を痛めるか、否か。
     魔女殿が何を思い、何を選ぼうとも、わたしに口出しする権限はなく、はっきり言えば、どうでもいい」

     突き放すように言う。但し、

    「但し、凛 ――― 選ばないというのは無しだ。
     迷いや不覚悟は視野を狭め、決断を鈍らせる。必ず大きなミスにつながる。
     魔術師として幾ら優秀でも、もっとも大事な勝負時に、その価値は霧散する。
     ……だから話した。
     わたしの身上を曖昧にしておけば、そのまま迷いを引き摺るだろうと判断したからだ。
     知った上でどうするのか、後は好きにするといい」

     意外。まるで人生の先達者みたいなことを言った。
     らしくもなく、自分を気にかけたのか、と、凛はちらりと思う。

    「言っておくが、魔女殿のために言ったわけではないぞ。
     不本意ながら、結界の件に関して行動を共にする以上、足を引っ張られてはかなわない。
     それに、士郎殿のこともある。サーヴァントである以上、主の意思は尊重せざるを得ない」

    「まあ、そうでしょうね。助言にしては全然優しくないもの。遠慮とか、気遣いもないし。
     アンタに親愛を求めているわけじゃないから、安心して」

     そう、互いに憎まれ口を交換した。

     "士郎か……"

     このサーヴァントの主であり、じつはモグリの魔術師だった同級生。
     今日はまだ一度も会っておらず、今はセイバーと一緒にいる筈のこの人物に対して、彼女は思いを巡らせる。

     たぶん、バカなのだ。
     あのバカは、口では何と言おうとも、自分たちを完全には敵と見なせないでいる。
     アサシンの態度もこれに由来するのだろう。忠節だけが理由じゃない。
     イリヤスフィールの混じり物な人格に、少なからず士郎の意思が介入して、影響を与えている。
     たぶん、そういうことなのだ。

     士郎は言った。
     聖杯のためじゃなく、犠牲になりそうな人たちを助けるために参加する、と。
     その決意は今でも変わっていない。
     そういうヤツだって断言できる。
     そういう不器用な生き方を選んだ。

     では、自分はどうなのか―――?


    「わかったわ」

     凛はハサンにそれだけ告げた。その一言だけでわかると思った。
     考えるまでもなく、凛の意思は決まっている。

     十年の孤独と努力は何のためか。
     死んだ父が託した財産と刻印は何のためか。
     養子に貰われていった妹は何のためか……

     必要とあれば、例え身内が相手でも容赦しない、と、ここに誓う。


     彼女は"魔術師"だった。








    「ずいぶん回り道しちゃったけど、話を戻しましょう」


     らしく、理路整然とした態度に、凛は切り替えた。
     魔力を検知できる者にしか見えない、魔力で編まれた魔術式。
     赤紫色でぼんやりと光る七画の刻印を凛は指で示した。

    「コレについて何かわからない? もともとはそういう話だったんだけど」

    「………………ダメだな。先も言った通り、わたしには理解できない代物だ」

     ハサンは結界の端末に一応は目を向ける。
     だが、すぐに目線を外し、そう言った。


    「でも、今までの話だと、イリヤの記憶とかがあるんじゃないの?」

    「たしかにイリヤスフィールの記憶はあるにはある。しかし、役立つようなものではない。
     穴だらけで散漫、混然としていて、そこから特定の知識を汲み上げるのは不可能に近い」

    「でも、何かに引っかかるかもしれないじゃない。藁にも縋るような感じだけど」

    「記憶はイリヤでも、それを読み解くのは、当のアサシンであるわたしなのだぞ。
     そもそも彼女に結界を理解できるのか否か、そんな漠然とした区分けすら、わたしにはできない。
     例えば、そう ―――」

     執拗とみて、わからせるためにハサンは例をあげる。

    「例えば、ゲール語で書かれた文章があったとする。現世、話者がもっとも少ないとされる古き言語だ。
     当然、単語の意味や文法、発音も知らない。文字の羅列を絵的に認識するだけ。
     普通は言われなければ、それがゲール語であることも理解できない」

    「あら、ゲール語だったら少しわかるわよ。日常会話程度だけど。ランサーと日本語以外でお話できるんじゃないかしら」

     宝具を見ている凛は、ランサーの正体がアイルランドの光の皇子であることを知っている。

    「ものの喩えだ。何だったら、アセンブリやフォートランでもいい。
     それで記述された内容がわかるか? 魔女殿にとっては専門外だろう」

    「うっ……それはちょっと、わからないわね。どこの国の言葉?」

     凛の質問はさらりと無視して、ハサンは話を先に進める。

    「イリヤスフィールの記憶の中に眠る魔術論とは、わたしにとってそんなものだ。
     雪深い森の中をバーサーカーと散歩したとか、そうしたレベルの思い出は理解できても、高度な専門分野の知識にあたっては匙を投げるしかない。
     だいたい、魔術回路も心臓についていた分しかなく、起動のさせ方もわからない」

    「うーん……」

     魔術師として、凛はイリヤスフィールを高く評価していた。
     精神性はともかく、性能は人間の域を越えている、と、己の目で見て確認している。
     だからこそ期待を寄せていたのだが、模造品のハサンはどうあっても魔術面で役に立たないと主張する。


    「仕方ないわね。最初の案で行きましょ。
     結界の基点をすべて見つけ出し、潰せるようなら潰す。それが無理なら、抑え込むような処置を施す。
     それから正体を暴いて、そいつをコテンパンにやっつける。いいわね?」

     てきぱきと凛は建設的に物事を決める。

    「今度は役に立たないなんて言わないでよ。
     気配遮断は"アサシン"の方についている能力なはず。
     相手に気づかれない、隠れるって事は、自分だけの問題じゃなく、周囲の環境に鋭敏である素養も求められるはずだわ。
     アンタがあちこち歩き回って、空気が違うとか、そんな違和感を覚えたら場所があったら当たり。
     探し物は得意でしょ? だって、黒い服着てるし」

    「まあ、そのぐらいであれば協力できるな。しかし、ふと思ったのだが―――」

    「―――?」

    「結界が校舎・敷地に配置されているというなら、それごと物理的に破壊し尽くしたほうが早いのでは?」

     ハサンの考えはこうだ。
     深夜、人が誰もいない時を見計らって、学校そのものを破壊する。
     ハサンには無理だが、セイバーの宝具を使えば現実的にそれが可能。
     例えそれで結界を除去できなかったとしても、徹底的にやれば必然、休校になる。
     通う者がいなくなれば、犠牲者も出ない。
     結界を逆利用する考えはないのだから、それが一番確実な方法だった。

    「ええ。私も最初にそれを考えたわ。でも、校舎の破壊はあくまで最終手段よ。
     目立つ上に魔力もごっそり減って、此方としては骨折り損。なにより、解決になってないのが問題ね。
     首謀者を捕まえなきゃ、ここを潰しても、すぐ次の結界が別の場所に仕掛けられる。
     敵だって学習するから、次はもっと慎重にやるでしょう。
     だから、今のうちに何とかするのが得策なのよ」

    「了解した。では、何から動く?」

    「そうね。先ずは―――」


     と、その時、昼休みの終わりを告げる鐘が、冷たい空気触れて高く響きわたった。


    「時間切れね」

     凛は力を抜き、呟いた。

    「でも、方針は決まったから、実際の行動は後からにしましょう。また放課後に、ここで。いい?」

     ハサンは頷いた。
     それを確認した後、凛は立ち上がって、スカートについた埃を払う。
     皺を伸ばしてから歩き出して、ハサンの隣を横切り、屋上の出入り口に向かった。


    「―――あ、そうだ」

     金属のドアノブに手をかけたところで思いつき、凛は振り返った。


    「これは私の個人的な好奇心。だから、答えたくなかったら、答えなくてもいいわよ」

     と、前置く。

    「貴方はイリヤスフィールじゃない。かといて、ハサン・サッバーハ本人とも違うと言う。それなら―――」

     その言葉は風に乗った。



    「――――――貴方は、いったい誰なの?」









     しばらく待ったが、黒いサーヴァントからの返答はない。
     凛は苦笑し、無言で校舎の中へ消えた。
     階段を下りる音がだんだんと遠くなり、やがて静寂。

     屋上に残されたハサンは、その中心で微動だにせず、佇む。
     自動的な動きで、鬱々とした鉛色の天蓋を眺めた。
     そこで、誰にも聞かせない、独り、答えとなる言葉を呟いた。





     ――― 私も、それが知りたい。

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