小林 節
十月三十一日に、アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文・最優秀賞を受けた、田母神俊雄・自衛隊航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」を読んだ。その要点は次のものである。
(1)あの大戦等で、日本はアジア近隣諸国を侵略したのではなく、欧米諸国による植民地支配から解放したのである。(2)あの大戦は、日本が始めたものではなく、欧米諸国と中国とソ連に仕掛けられ、日本は招かれ嵌(は)められただけである。(3)アメリカに一方的に守ってもらう日米関係は改善すべきで、自分の国を自分で守る体制を整えることが必要である。
このような主張自体は特にめずらしいものではなく、よくある「民族派」の主張そのものである。しかし、それに対して、私は次のような疑問を禁じ得ない。
(1)日本がアジアを欧米による支配から解放した…という主張であるが、アジア近隣諸国の人々(つまり被害者)にしてみれば、日本は、先に来た侵略者(つまり欧米諸国)に次いで「後から来た『侵略者』」にすぎないのではなかろうか。また、日本が、欧米諸国と違い、植民地に教育を与え「日本化」しようとした…と肯定的に語られているが、それ自体が、相手国にとっては、押し付けがましい「余計なお世話」であったのではなかろうか。そして、そこに彼らを「見下す」意識があったからこそ、今日に至るも、彼らの中に根強い反発があるのではなかろうか。
(2)あの大戦が諸国から仕掛けられ招かれたものだ…という主張は、一面の真理を衝(つ)いていると思われる。しかし同時に、当時の日本の側に、それを承知であえて出て行き勝とうとする「覇気」があったのも事実であろう。だから、その上で負けたわが国が、今になってあれは「嵌められた」のだと言ってみても、仕方ないのではなかろうか。
(3)わが国が、独立主権国家として、過度の対米依存を改め、自主防衛体制を整えるべきだ…という主張は、私は正論だと思う。しかし、それを現職の空幕長が活字で公刊してしまっては、それこそ、軍事力に対するシビリアン・コントロール(政治の優先)に反することになる。この問題は、軍人が論ずるべき事柄ではなく、有権者の監視の下に政治の場で語り合って決定されるべきものである。
それにしても、このような高度な政治問題にはあえて論及しない節度こそが自衛隊将官の矜持(きょうじ)であったはずである。
(慶大教授・弁護士)
0120-728-468 |