ビートルズの本格的?評論をやるつもりがなかなか進んでいない。過去の記事を見てみると、”ビートルズは日本人だ”の論は、内容が悪すぎた。タイトルが意味がないし、論旨も酷過ぎた。気が向いたら消去するかもしれません。すみません。
今日、少し筆を進めてみる気になったのは、ポールマッカートニーが、イスラエル講演を行ったとの記事に接したからである(下記に記事転載)。今、思えば、優等生的なビートルズの音楽が、当時はどのような意識で世界の人々に捉えられていたか、今日の若い人はもう知る由もないだろう。保守的な国イスラエルでは、全盛期のビートルズは公演できなかったのもむべなるかなとの思いがする。
そして注目すべきことは、ポールは名前からしてアイルランド系だから、当然カトリックということになり、ナチスとカトリックの関係を想起すれば、いわゆる反ユダヤ主義としてユダヤ教と距離があることになる。このあたりは、亡くなったヨハネパウロ2世が、先年、イスラエルを訪問し謝罪したことからも、根深い対立構造が歴史上続いていたことがうかがえる。ポール自身は、そのようなわだかまりが持っていないはずであるが、この時期のポールの公演は、和解路線の過渡期に発生する事象であると力学的な読解をすべきことがらである。単なる音楽シーンでの出来事ではない。
ビートルズ時代は、ジョンと違って、ポールは政治への深入りは避けた姿勢との印象があるが、しかしあの"Give Ireland back to the Irish"なんて歌を歌ったことを英語が弱い日本人は、当時思わず看過してしまったものである。BBCで放送禁止になったことは知っているが、その背景については、日本人は関心を持たなかったことをよく覚えている。後のIRA闘争なんかの歴史を鑑みても、この曲の衝撃はジョンの”Power to the people”程度のものではなかった。
(転載はじめ)
(産経ニュースより 2008.9.26)
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/080926/mds0809261125000-n1.htm
幻の公演、43年経て実現 イスラエルで元ビートルズ
25日、テルアビブでのコンサートで熱唱するポール・マッカートニーさん(AP) ビートルズのメンバーだったポール・マッカートニーさん(66)が25日夜、イスラエルで初のコンサートを開いた。ビートルズは1965年に同国で公演を計画したが、政府高官が「若者を堕落させる」として中止させたとされる逸話があり、43年を経ての実現となった。
駐英イスラエル大使は今年、元メンバーらに「深く後悔すべき歴史的怠慢」だったと謝罪の文書を送付。マッカートニーさんはイスラエル側から建国60年記念事業の1つとして公演を依頼された。
中部テルアビブの野外ステージには、若者から中高年まで約4万人が詰め掛け、マッカートニーさんはヘブライ語とアラビア語の両方であいさつ。「イエスタデイ」などのヒット曲を披露したほか、中東和平に思いを込めて「ギブ・ピース・ア・チャンス」(邦題「平和を我等に」)を観客と掛け合いで歌った。(共同)
(転載おわり)
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