田母神俊雄航空幕僚長の解任が話題となっている。この事件?はいろいろなカテゴリーから日本の病理を指摘するのに格好の分析対象であろう。当代随一の論客である植田信先生、太田述正氏がいち早く取り上げている。
植田信先生は、田母神論文については、それがスティムソンの東京裁判の範型の中で動いていることを一瞬にして看取された。この表現は流石(私程度がいえないが)というべきである。先般、丸山、小室の思想がヘーゲル哲学圏内のエピゴーネンであることを喝破なさったことを思い起こし思わず唸ってしまった。
太田氏は、こんな風である。(引用はじめ)職を賭すのであれば、もっと他に訴えるべきことがあるだろう、と私は思う。私は、「航空自衛隊の組織の内情は無茶苦茶なのが実状だ。そうした環境の下、空自はパワハラが数多く見受けられ、また陸海空の中でも最も業者との癒着がひどい組織だといえよう。」と『実名告発 防衛省』の37〜38頁で記したところだ。(引用おわり)
ということで、その純粋な?意図とは裏腹に自衛隊の改革に大きな水を差すことになったと指摘されている。
私は、今回の田母神俊雄問題について、両雄がご指摘なされた以外の視点から述べたい。
それは、田母神俊雄航空幕僚長の解任は間違いであるということである。
理念型として言い切れば、単なるイデオロギー表明にすぎないことに対して、たとえ政府中枢の組織に属する人間に対してであっても、国家権力が、人間の内面の自由に対して干渉することは絶対に避けなければならないことである。田母神俊雄氏は、この論文を大いなる意図を持って発表したかもしれないが、政治的統制(シビリアンコントロール)には服すはずであり、そのことはアプリオリに設定すべき前提だ。仮に少しでも服さない態度を表明した時は、その時こそ間髪入れずに解任すべきである。
この主張の根拠は、近代国家の大きな特徴が、中性国家であるということにある。
あの丸山真男氏の論文「現代政治の思想と行動 丸山真男 著 未来社 増補版 P13/7-9より」から引用しよう。
(引用はじめ)
それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的な立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。
(引用終わり)
このことは一般国民に対してだけの適用ではない。総理大臣に対しても同様である。麻生総理大臣が、端的にいえば歴史修正主義に近い史観を持っていることは、これまでの麻生総理の言動からつとに知れ渡っていることである。村山談話なんぞ相いれないことは明らかであろう。もちろん総理就任後の言質ではないことはいえるのだが、思想が人生後半期に変わる人はいない。
同様に麻生氏の部下である田母神俊雄氏がどこかの懸賞論文に応募してイデオロギーを表明したからと言って上述の中性国家としての理念型の貫徹の趣旨からいって問題とすべきことではない。加えて中性国家が村山談話なんぞを正史?としているかのごとき現況は、相も変わらず日本が近代国家以前であることの証である。斯様に前提から崩れている話についてあれこれ論及する虚しさが漂う。
(転載はじめ)東京新聞より
空幕長論文 不祥事続発省内怒り 『内容は持論』認める
2008年11月1日 朝刊
航空自衛隊のトップが政府見解に公然と反旗を翻した。日本の過去の侵略や植民地支配を正当化した田母神俊雄航空幕僚長の懸賞論文。浜田靖一防衛相は三十一日夜、空幕長解任に踏み切った。イラクへの自衛隊派遣をめぐる司法の違憲判断に「そんなの関係ねえ」と言い放った人物。その立場をわきまえない主張に「あきれ果てた」「あまりにひどい」と批判が渦巻いた。
(転載おわり)
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