2008年 11月 09日
航空幕僚長の論文及びそれに対する反論 PART2 |
田母神俊雄の論文に反論を試みたが、まだ、わからないネットウヨがうじゃうじゃいるようなので、再度、宙水の立場を述べる。
田母神俊雄の論文は、まともに読むに耐えない理論構造をしている。
■ 第一に、1901年の条約に基づいて日本軍は、北京郊外に駐屯したのだから、侵略でないという。(この条約は1911年に清が滅び効力に疑義があったが、その後も口実を付けて、日本軍は北京や天津に居座り、勝手に人数を増強していた。)
そして、中華民国の蒋介石が挑発やテロを行ったので逃げる蒋介石を追っかけて行ったのだから重慶まで攻め込もうが、侵略ではないとネットウヨは言うが、通州事件(昭和12年7月29日)は、盧溝橋事件(同年7月7日)の後、日本の北支駐屯軍が総攻撃を開始(同年7月28日)した後に一気に対日感情が悪くなり起こったものだ。
また、明らかに1937年の上海占領や南京占領は条約に基づくものではない。
天津や上海を占領し、イギリスやフランスやアメリカ租界を強制的に封鎖し、彼らの権益を犯し、怒らせたのも条約に基づくものではない。アメリカの公館や艦船を攻撃したのも(バネー号事件)も条約に基づくものではない。
したがって、条約に基づいて軍隊を置いたのなら侵略でないというのなら、条約に基づかない中国の領土や欧米の権益を犯す行為は、侵略と言われても仕方が無いのではないか。ここにこの論文の破綻がある。
欧米列強の権益を奪っておいて、「いやー、蒋介石が悪くて、テロするもんで日本人が守れないのですよ。」と言い訳したって、「自国民も守れないようなそんな弱い軍隊なら、俺たちの権益を侵さずに、満州いや日本列島まで戻ったらどうかね。そうしないと許さんぞ!」と言われるのに決まっている。
事実、盧溝橋事件が起きた時点では、欧米の権益を害する恐れがあるので政府外務省及び陸軍中央は不拡大方針だった。「もし日本が、中国本土に出兵したら泥沼にはまり、長期戦に陥る可能性がある。欧米の権益を犯し、国力を消耗し、その間列強に漁夫の利を与えかねない。それより満州経営に専念し、ソ連を中心とした共産主義の脅威にそなえるべきだ。」というのがその理由であり、石原莞爾らが中心となって不拡大を決めていた。
しかし、当時の現地軍の連隊長は皇道派の牟田口廉也大佐で、中央の停戦命令や日中双方の停戦協定に背いて独断専行で戦線を拡大していった。石原莞爾が怒ったときに「あなたも満州事変で勲章をもらったじゃないですか」と言ったという。 後に、インドに攻め込もうとして補給も無い強引な作戦で7万5千人の将兵を殺したインパール作戦(昭和19年3月)の牟田口廉也中将だ。作戦が敗色濃厚と知るや、第15軍の撤退を待たず「北方撤退路の視察」を名目に敵前逃亡した。自分は真っ先に日本に逃げ帰っている。
そのように現地の皇道派のバカ指揮官とそれに呼応する軍閥が、政府及び陸軍中央の決定に背き、現地の北支派遣軍及び関東軍が戦線を拡大して泥沼にはまってしまい、英仏アメリカと対立する原因を作ったのが事実である。条約どころか、中央政府の方針にも背いて欧米及びアメリカと戦争せざるを得ない状況を自ら作り出したのである。これをコミンテルンのせいにしているのは、皇道派というのはコミンテルンだったという主張かね?ばかばかしい論文だ。
それを条約に基づいて日本軍は中国の南京、武漢、インドシナを占領したのだから侵略ではないとよく言えたものだ。
■ 第二になぜ、石原莞爾らが主張したように、満州経営に専念していれば、帝国の崩壊はなかったかと言うと、
アメリカが航空燃料やくず鉄など戦争に必要な物資の輸出に制限を
加えたのは、日本軍が中国本土を占領し、
日本軍がバネー号事件など起こしてアメリカの権益を侵し始めた
昭和15年になってからだ。(満州事変は昭和6年、満州建国は昭和7年、日露戦争後、日本が満州に権益を持つのは、明治38年からだ。)
満州に引いていれば、大慶油田は日本人のことだから
もっと早く発見しただろうが、
油田がなくてもあっても、
石油の入手が困ると言うことは無かったのだ。
もっと言えば三国同盟など結ばず、
中国本土のアメリカの権益を損なわなかったなら
第一次大戦に参戦したが、何もアメリカに利得もなく感謝もされなかったことに懲りて
米議会が制定した中立法に縛られたアメリカ政府が
日本に対して航空燃料やくず鉄の輸出制限をする理由も必要も全く無かった。
日本軍が中国本土まで侵略し、アメリカの租界を閉鎖し、アメリカの艦船まで攻撃したことから米国内世論や議会は急激に変化したのである。
■ したがって、日本は当時既得権益であった満州,朝鮮,台湾,樺太をしっかり抱き込んで,欧米のナチとの戦いによる疲弊を横目で見ながら、国力を増強して居ればよかったのだ。その方がよっぽど日本や東アジアは発展し、国際的地位も高くなっている。少なくとも共産党にやられるより朝鮮も中国の人民も日本のサヨクもコミンテルンに洗脳されずに幸福であったのだ。(田母神論文でも一度成立した既得権益は国際間では変更が極めて困難と言っている。その点でもこの論文に対し多いに矛盾を感じる。)
■ ようするにナチスの跳梁に幻惑されて馬鹿軍部が大欲をかいて中国やインドシナまで征服して、満州で味をしめた勲章をもらいたかっただけでなのだ。南に行けば英米と衝突するのは火を見るより明らかで、本来、陸軍は北に行くはずだったが、ノモンハン事件でソ連に大敗し、ナチスの跳梁を頼り南に勲章の調達を求めていった。それは天皇のためでも資源のためでもない、利己主義の軍閥に侵略の原因がある。そのような陸士陸大の成績上位者で固めた軍閥高級参謀は部下を殺しながらほとんどいち早く逃げ帰っている。軍閥中枢でなかった栗林中将などは玉砕を命じられている。戦後、高級参謀は死んだやつらは頭が悪いからだとうそぶいている。
■ また、恥ずべき北部仏印への武力進駐などしておいて、よくも侵略してないなんて言うもんだ。ナチの占領下となったフランスペタン政府と平和的な話し合いで軍隊を置こうとしていた日本政府外務省の交渉を無視して、旧陸軍は、フランス軍を撃破してインドシナ半島にを侵略し、世界の非難を浴び、フランスで交渉を続けていた政府代表駐在武官はあっけにとられ「統帥乱れて信を中央に問う」と東京に打電したのは有名な話だ。この仏印進駐でアメリカとの間は決定的となる。論文が言っているハルノートなんて最後の最後、連合艦隊がヒトカップ湾からハワイに向けて出撃する頃のアメリカの時間稼ぎにすぎない。
「侵略とは濡れ衣だ。」とはよくも言ったものだね。自衛隊も旧軍と同様、ネットウヨと連携して、統帥を再び乱そうとしているのに違いない。
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田母神俊雄の論文は、まともに読むに耐えない理論構造をしている。
■ 第一に、1901年の条約に基づいて日本軍は、北京郊外に駐屯したのだから、侵略でないという。(この条約は1911年に清が滅び効力に疑義があったが、その後も口実を付けて、日本軍は北京や天津に居座り、勝手に人数を増強していた。)
そして、中華民国の蒋介石が挑発やテロを行ったので逃げる蒋介石を追っかけて行ったのだから重慶まで攻め込もうが、侵略ではないとネットウヨは言うが、通州事件(昭和12年7月29日)は、盧溝橋事件(同年7月7日)の後、日本の北支駐屯軍が総攻撃を開始(同年7月28日)した後に一気に対日感情が悪くなり起こったものだ。
また、明らかに1937年の上海占領や南京占領は条約に基づくものではない。
天津や上海を占領し、イギリスやフランスやアメリカ租界を強制的に封鎖し、彼らの権益を犯し、怒らせたのも条約に基づくものではない。アメリカの公館や艦船を攻撃したのも(バネー号事件)も条約に基づくものではない。
したがって、条約に基づいて軍隊を置いたのなら侵略でないというのなら、条約に基づかない中国の領土や欧米の権益を犯す行為は、侵略と言われても仕方が無いのではないか。ここにこの論文の破綻がある。
欧米列強の権益を奪っておいて、「いやー、蒋介石が悪くて、テロするもんで日本人が守れないのですよ。」と言い訳したって、「自国民も守れないようなそんな弱い軍隊なら、俺たちの権益を侵さずに、満州いや日本列島まで戻ったらどうかね。そうしないと許さんぞ!」と言われるのに決まっている。
事実、盧溝橋事件が起きた時点では、欧米の権益を害する恐れがあるので政府外務省及び陸軍中央は不拡大方針だった。「もし日本が、中国本土に出兵したら泥沼にはまり、長期戦に陥る可能性がある。欧米の権益を犯し、国力を消耗し、その間列強に漁夫の利を与えかねない。それより満州経営に専念し、ソ連を中心とした共産主義の脅威にそなえるべきだ。」というのがその理由であり、石原莞爾らが中心となって不拡大を決めていた。
しかし、当時の現地軍の連隊長は皇道派の牟田口廉也大佐で、中央の停戦命令や日中双方の停戦協定に背いて独断専行で戦線を拡大していった。石原莞爾が怒ったときに「あなたも満州事変で勲章をもらったじゃないですか」と言ったという。 後に、インドに攻め込もうとして補給も無い強引な作戦で7万5千人の将兵を殺したインパール作戦(昭和19年3月)の牟田口廉也中将だ。作戦が敗色濃厚と知るや、第15軍の撤退を待たず「北方撤退路の視察」を名目に敵前逃亡した。自分は真っ先に日本に逃げ帰っている。
そのように現地の皇道派のバカ指揮官とそれに呼応する軍閥が、政府及び陸軍中央の決定に背き、現地の北支派遣軍及び関東軍が戦線を拡大して泥沼にはまってしまい、英仏アメリカと対立する原因を作ったのが事実である。条約どころか、中央政府の方針にも背いて欧米及びアメリカと戦争せざるを得ない状況を自ら作り出したのである。これをコミンテルンのせいにしているのは、皇道派というのはコミンテルンだったという主張かね?ばかばかしい論文だ。
それを条約に基づいて日本軍は中国の南京、武漢、インドシナを占領したのだから侵略ではないとよく言えたものだ。
■ 第二になぜ、石原莞爾らが主張したように、満州経営に専念していれば、帝国の崩壊はなかったかと言うと、
アメリカが航空燃料やくず鉄など戦争に必要な物資の輸出に制限を
加えたのは、日本軍が中国本土を占領し、
日本軍がバネー号事件など起こしてアメリカの権益を侵し始めた
昭和15年になってからだ。(満州事変は昭和6年、満州建国は昭和7年、日露戦争後、日本が満州に権益を持つのは、明治38年からだ。)
満州に引いていれば、大慶油田は日本人のことだから
もっと早く発見しただろうが、
油田がなくてもあっても、
石油の入手が困ると言うことは無かったのだ。
もっと言えば三国同盟など結ばず、
中国本土のアメリカの権益を損なわなかったなら
第一次大戦に参戦したが、何もアメリカに利得もなく感謝もされなかったことに懲りて
米議会が制定した中立法に縛られたアメリカ政府が
日本に対して航空燃料やくず鉄の輸出制限をする理由も必要も全く無かった。
日本軍が中国本土まで侵略し、アメリカの租界を閉鎖し、アメリカの艦船まで攻撃したことから米国内世論や議会は急激に変化したのである。
■ したがって、日本は当時既得権益であった満州,朝鮮,台湾,樺太をしっかり抱き込んで,欧米のナチとの戦いによる疲弊を横目で見ながら、国力を増強して居ればよかったのだ。その方がよっぽど日本や東アジアは発展し、国際的地位も高くなっている。少なくとも共産党にやられるより朝鮮も中国の人民も日本のサヨクもコミンテルンに洗脳されずに幸福であったのだ。(田母神論文でも一度成立した既得権益は国際間では変更が極めて困難と言っている。その点でもこの論文に対し多いに矛盾を感じる。)
■ ようするにナチスの跳梁に幻惑されて馬鹿軍部が大欲をかいて中国やインドシナまで征服して、満州で味をしめた勲章をもらいたかっただけでなのだ。南に行けば英米と衝突するのは火を見るより明らかで、本来、陸軍は北に行くはずだったが、ノモンハン事件でソ連に大敗し、ナチスの跳梁を頼り南に勲章の調達を求めていった。それは天皇のためでも資源のためでもない、利己主義の軍閥に侵略の原因がある。そのような陸士陸大の成績上位者で固めた軍閥高級参謀は部下を殺しながらほとんどいち早く逃げ帰っている。軍閥中枢でなかった栗林中将などは玉砕を命じられている。戦後、高級参謀は死んだやつらは頭が悪いからだとうそぶいている。
■ また、恥ずべき北部仏印への武力進駐などしておいて、よくも侵略してないなんて言うもんだ。ナチの占領下となったフランスペタン政府と平和的な話し合いで軍隊を置こうとしていた日本政府外務省の交渉を無視して、旧陸軍は、フランス軍を撃破してインドシナ半島にを侵略し、世界の非難を浴び、フランスで交渉を続けていた政府代表駐在武官はあっけにとられ「統帥乱れて信を中央に問う」と東京に打電したのは有名な話だ。この仏印進駐でアメリカとの間は決定的となる。論文が言っているハルノートなんて最後の最後、連合艦隊がヒトカップ湾からハワイに向けて出撃する頃のアメリカの時間稼ぎにすぎない。
「侵略とは濡れ衣だ。」とはよくも言ったものだね。自衛隊も旧軍と同様、ネットウヨと連携して、統帥を再び乱そうとしているのに違いない。
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Tags:日本の政治