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便所の落書き2nd

2008-11-08

議論の無限地獄へ1

23:35

 TPについて考えてみる。TPとはあるブロガーを中心にした集団のことである。TP氏とはその集団を構成する個別のブロガーのことだ。

 TPには<遊び>がない。車でもバイクでも、アクセル、ブレーキには<遊び>がある。急発進と急ブレーキを防ぐためだ。そしてTPは<議論>が好きである。遊びのない議論が大好きなのである。TP氏はネットでは純粋な言論活動が行えると言っている。それはリアルでのややこしい人間関係と政治的配慮が必要ないからだという。純粋な議論というのがそうであるならば、世間で戦わされている議論は不純なのかという突っ込みを入れたくなるがそれはさて置き、しかしリアルにおいても、ひとたび仕事の関係性を外れれば「純粋な議論」が成立する可能性は高くなるのではないだろうか。ややこしい人間関係と政治的配慮が必要ないことがネットの議論の特徴ではない。ネットの議論の特殊性はその反復性にある。すなわち入口は無数にあるが出口は目的意識的でないと見つからない。TPとはその反復性に巣くう党派性のことである。党派性というと反発する人もいるだろうが、TP氏自らそのことを語っていることである。

>kojitakenさんお一人が誤解されるだけならかまいませんが、私を含めた「たんぽぽ集団」まで差別主義者のように誤解されると迷惑です。<

TPに対して、誤解を招くような個人の表現は規制されるべき、と言っているわけである。これは発言者の、自覚的にせよ無自覚的にせよ、彼の党派性の宣言に他ならない。べつに私は党派性を帯びる事を悪いと言っているのではない。その党派性がどういう方向性を持っているのかということである。残念ながらこの党派性は議論の無限地獄をめざしているようだ。本筋には踏み込まずにそこから派生する二次的な現象にこだわるのである。出口を作ってしまうと議論が終わってしまうからであろうか。

水伝」などはあのランキーブログエントリーに【追記】がでた時点で終わりなのだが、なぜか1年近くも燻り続けるのである。議論と言うからにはそこには自分なりの<落とし処>がなくてはなるまい。一般に整理とか、まとめとか、止揚とかいわれていることだ。TPにはこれらのことをする意志も能力も持ち合わせていないように思える。そうであるが故に、「セクハラ」もまた二次加害議論のオンパレードになるのではないのか。燻り続ける議論は、TPが党派性を帯びているが故に、他者に対しては「踏み絵」の効果を持つことになるのである。

 ネット言論(大げさな!)とは<言葉の遊撃戦>だと私は考えている。マスメディアに載らない分野の情報伝達スピードにはやはり注目すべきものがあるし、自らが何時でも情報の発信者になれるという点では上下が無い、というのも特色のひとつであろう。自らの思い、世間の動き、政治の言葉、ブログエントリー等々に触発されてネットに参戦することもありである。このようなネットの在り方がTPには理解不能であるようだ。自分に敵対するブログを立ち上げているのは、自分が知っている自分に敵対する人間に違いない、複数の、お互いにあずかり知らぬ人間が、それぞれブログを立ち上げるなどとは、あるはずがないと。ネットの世界を如何様にお考えなのか、外の人間に向かっては「小さな世界にすっこんでろ」と言うのだが、そのお言葉、そっくりお返ししたいと思う。また2チャンにも言及されているが、毒を吐きたければ2チャンに行けとは如何なる意味か?あなたが考える色にブログ界を染めたいと言うことだろうか。自己愛が過ぎるというものだろう。可能性は「無限」だが、畢竟小さな世界にすぎないネットの世界をさらに小さくしているのだということをTPは自覚すべきなのである。念のため言っておくが私はfugouri0830であって、さめ氏ではない。