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ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。
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山本寛氏と対談(追記あり)
投稿日時:2008年11月08日11:50
こんにちは。和解イヤーの流れは止まるところを知らず、5年ぶりに村上隆氏よりメールが来たり、7年ぶりに岡崎乾二郎氏と再会したりしている東浩紀です。
ほんと、阿部くんが言ったとおり、ぼくは死ぬのかもしれません。というか、天がそう言っている感じがします。不気味です。
さて、ザ☆ネットスターの反省会でさんざん番組批判をしてクビになりかけたり、ついにゼロアカ/文学フリマ前日を迎えたりといろいろ語ることはあるのですが、今回はちょっと別の話を。
上記写真のように、一昨日の木曜日、アニメ監督の山本寛氏と対談をしてきました。『アニメージュ・オリジナル』の次号に掲載される予定です。
山本さんは『涼宮ハルヒの憂鬱』の演出と『らき☆すた』(4話まで)の監督でいちやく有名になったかたで、アニメには批評が足りない、と随所で熱く語っているめずらしい監督さんです。というわけで、当日も(『かんなぎ』や『らき☆すた』の話もありつつも)、なぜアニメには批評がないのか、あるいは少なくとも、なぜ内部からそう言われてしまう状況があるのかを、実作者の山本さんと批評家のぼくが双方の立場から分析するようなかたちで対談が行われました。たがいに毒舌ばかりになってしまったので、おそらく掲載時にはほとんどカットなのではないかと思いますがw、楽しい時間を過ごしました。
そして、そんななか、ぼくにとってとくに嬉しかったのは(これもカットされるかもしれませんが)、山本さんが、ぼくがいまから10年以上前、『エヴァンゲリオン』のときに行ったアニメ批評の仕事について、「たいへん刺激をうけた」と言ってくださったことです。
古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった)のですが、そんな経験をもつぼくにとって、山本さんのその発言は——むろん、ぼくのアニメについての知識は実際に貧弱なので、山本さんは例外的に好意的なのだと思うのですが——、なんか、むかしの仕事がようやく報われたような気がして、素朴に嬉しくなりました。そうか、読んでくれている関係者もいたのだなあ、と。
帰り際に、山本さんより、「東さん、もういっかいむかしみたいにアニメについて熱く語ってください」と言われて、少々元気も出てきました。実際、ぼくの立ち位置も多少は変わってきたのだし、今後はアニメ(テレビアニメ)について趣味的に語ってもいいのかもしれません。
あ、そうそう>山本監督
ぼくは『涼宮ハルヒの憂鬱』第9話は傑作だと思いますよ! ギミック志向ではない山本さんの魅力は、あそこに十全に現れている。当日、それを言うのを忘れてました。今度、一緒にご飯でも食べましょう。
■■10時間後ぐらいの追記■■
内容が内容だけになんか来るかなと思っていたら、さっそくどこかのサイトで、「東はハルヒについて第9話とか言っても意味がないことを知らないからエヴァでも叩かれたんじゃないでしょうかね」とか嫌みを書かれていました。
あらためて言うまでもなく、ハルヒのアニメは放映とDVDでは収録順が違う。くだんのひとはぼくがそのことすら知らないと考えたようです。しかし、ぼくもむろん、そんなことは知っている(疑うひとはぼくと私的にハルヒの話をしたことがあるひとに聞くとよい)。ぼくとしては、そもそも文脈的に、ぼくが山本氏が監督の回を指しているのは明らかなので、DVDの話数を調べるのも面倒だし、放映時の記憶で話数を記したまでのことです。というわけで、ぼくが指していたのは、「サムデイ……」というタイトルのエピソードでした。キョンが暖房器具取りに行くやつです。
まあ、考えてみれば、確かに不親切、というか、むしろこれくらいのほうが通っぽくっていいのかな、といった変な邪念がありました。すみません。でも、嫌みを書かれるほどのことじゃないと思いますが……w。
☆
さて、そのコメントはどうでもよいのですが、それを見て考えたので追記。
まず大前提として、批評とはなにか。それは、書評や宣伝文とは違います。批評はそれそのもので自律した論理をもっている独自のジャンルです(とくに日本では)。したがって、批評家は批評家で誇りをもって仕事をしているのであって、独自の判断で対象作品やジャンルを選んでいる。裏返せば、いくら作品が好きでも、面倒な作家や読者がいるジャンルには手を出さないことがある。蓮實重彦が映画を選んだのは、彼が映画が好きだったからだけではない。彼の批評にとって、映画が必要で、また(言葉は悪いですが)映画が利用できたからです。創作と批評はそういう共犯関係を結ぶときがある。
したがって、アニメに批評がないのは、アニメへの愛が足りないからだ、とかいうのはきわめて一面的な見方です。そのようなことを言うひとは、批評家の心理について無知すぎる。
ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。具体的に言えば、一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎるからです(これは、山本さんも同じことを「妄想ノオト」の出張版で書いていますね)。だから、ほかのジャンルについても批評が書けるひとは、もはやアニメについて批評を書かなくなっている。『思想地図』に『らき☆すた』論を書いた黒瀬さんも、ネットで枝葉末節ばかり突っ込まれていたので、そのあとはすっかり現代美術の世界に戻ってしまいました(ぼくの印象だから本人の意識としては違うかもしれないけど)。そうやって、アニメについてしか書けないひと、語らないひとばかりが、アニメ批評を占有していくことになる。
したがって、もし今後、みなさんがアニメについておもしろい「批評」を読みたいと思うのなら、言いかえれば、多角的なジャンルについて批評が書ける才能をアニメについての批評にひきずりこんでいきたいと思うのならば、まずはこの状況を変えたほうがよい(どうせ批評なんてくだらないんだから、と考えているひとは、むろんこの意見は聞かなくていいんですよ)。アニメ批評が育たないのはなぜか、ライターが既得権益を守っているからだ、編集者が怠慢だからだ、というのはやさしいけれど、本当の原因はぼくはそこにはないと思う。アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。批評というだけでヒステリーを起こし、くだらない揚げ足取りをするひとばかりが目立つのでは、だれもアニメについて批評なんかしなくなるに決まっている。そもそも悪口は褒め言葉より目立つものです。アニメについてなにか新しく書こうと思ったとき、そのひとが信じられる読者がどれくらいいるのか。アニメ批評の未来はそこにかかっているのではないでしょうか。
ま、これはアニメ批評以外にも言えることではあるのですが……。
☆
というわけで、山本さんの情熱にほだされてしまったのか、ひさしぶりにフレーミングを起こしそうなエントリーを上げてしまいましたw。
こういう話題についての「議論」は経験的に不毛なだけなので、ぼくは今後、この話題を続けるつもりはありません。書きっぱなしですみませんが、とにもかくにも、ぼくはそんなふうに思っているということです。
蛇足まで。
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