めいちゃんを救う会公式サイト

名前:

佐野めい

住所:

東京都世田谷区在住
(現在、東京大学医学部附属病院に入院中)

生年月日:

1992年5月11日 
(16歳 日本工業大学駒場高校1年生)

好きな色:

オレンジ色、あまがえる色

好きなこと:

食べ歩き、読書、ゲーム、動物と遊ぶ、ぬいぐるみ集め、映画鑑賞

特技:

料理、動物の絵を描く

性格:

優しく、人を思いやることができる、ちょっと甘えん坊

めいちゃんの両親から

<あきらめきれないめいの命>

 

「ママ、もう私のことはあきらめて。みんなに迷惑かけられないよ」。
娘の病気が悪化し、医師から渡航心臓移植しかないと言われたことを本人に話したときの、めいの叫びです。親子で、泣きました。
  私たち夫婦の娘めいは、2003年3月に拡張型心筋症を発症しました。突然の重い病の告知に、めいも私たち家族も驚き、<なぜ、あんなに元気だっためいが……>と嘆き悲しみました。幸いめいは、発症から3年間、定期的な通院、薬の服用と生活管理で、制限つきながらも小康状態を保っていました。その後数回の入退院を繰り返しながら中学3年生のめいが高校進学を考えたとき、厳しい現実に直面しました。一時は、高校進学もあきらめようと考えましたが、担任の先生にあきらめるべきではないとご助言いただき、めいの病気のことを理解してくれる高校を探しました。
  そして、病気も含めてめいを受け入れてくれる高校にようやくめぐり合い、めいの話を親身になって聴いてくださる先生たちに感謝する気持ちでいっぱいになりました。そのときのめいの目の輝きは、私たち夫婦に多くのことを気づかせてくれました。めいが病気発症以来、死の恐怖と闘いながらどれだけいろいろなことをあきらめ、我慢してきたか。そして何よりも将来への希望を持ち、少しでも長く生きたいとどれほど願っているか――。高校に進学する道を自らの努力で切り開いためいは、本当によく頑張ったと思います。そして今年4月、めいは晴れて高校生となり、楽しい学校生活をスタートさせました。
  でも、その幸せは長く続きませんでした。めいの症状は悪化し、6月末に東京大学医学部附属病院に入院し、担当医から体が小学生並みに小さいめいを救うには、海外渡航移植しかないと言われました。私たち家族は、経済的な理由で、当初国内心臓移植を希望していましたが、予想外の急激な病状悪化のため、めいの命を守る方法が渡航移植ただひとつだと知ったのです。家族で話し合い、めい本人も納得した上で補助人工心臓装着手術を受け、渡航移植を目指すことを決意しました。手術前に、めい本人も家族も、めいの右心室の状態が極めて悪いため、左心室だけでなく右心室にも補助人工心臓装置をつける可能性があることを医師から説明を受けていましたが、実際に両心補助人工心臓装着となった娘の術後の状態は、想像を絶するほど厳しいものでした。もう、だめかと夫婦で覚悟しながら、息を詰めて十数時間待機したことも何度もあり、涙を止める薬を飲みたいと思う毎日が続きました。
  いろいろな局面で常にめいの命を守るということで一致団結した医師団のご尽力と、「めいちゃんを救う会」を作り私たち家族を応援してくださる皆様に支えられ、めいも重い機械を2つもおなかに付けながら、つらいリハビリに耐えています。前例がなくても、リスクが高くても、なんとかめいの命を守るため、皆様に感謝しながら、これから先の様々な苦難を乗り越えて、めいの元気な笑顔を取り戻すべく精一杯の努力をしたいと思います。
  皆様の温かいご支援、ご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。

佐野一也
智子

私たちも応援しています
=ハンドボール=
日本代表
宮崎 大輔選手
=フジTV 月9=
「CHANGE」出演
堀内 敬子さん
=ARTA=
プロジェクトプロデューサー
鈴木亜久里さん
応援コメント

めいちゃんへ

 とても大きな挑戦をするメイちゃんを心から応援します。
 必ず元気になって戻ってきてください。

ARTAプロジェクトプロデューサー
鈴木亜久里さん

 めいちゃんが元気になることを心よりお祈りしております。

ハンドボール 日本代表
宮崎 大輔選手

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