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von_yosukeyan (3718)

von_yosukeyan
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他人の不幸をメシの種とする狂信的市場原理主義過激派タレコミニスト
すべての事象は神の見えざる手に委ねられている。抵抗は無駄だ
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  • 2003 年 09 月 11 日
    PM 08:13
    お金 大分前のニュースなのだが、りそな銀行の人事部長が、新たに外部から招聘される、というニュースがあった

    銀行業界では極めて衝撃的な事件だったのだが、なぜ人事部長一つでこのような衝撃が走るのか、ということ自体が銀行の閉鎖的で硬直化した組織を物語っていると言える。銀行の人事問題に関しては、外部取締役に就任した元LTCBの箭内氏が、その弊害を指摘していたことが今回の決定に繋がったのではないか、と個人的には思っているが

    ■金融エスタブリッシュメント

    いわゆる護送船団方式と呼ばれるシステムが金融業界に定着したのは、1940年ごろのことである。昭和恐慌によって、経営危機に陥った銀行を吸収していった大手銀行は、財閥系や独立系大手に寡占化し、さらに戦時体制下による金融機関の整理統合計画によって、特殊な権益と独占を餌に合併を繰り返した。

    銀行は、大蔵省銀行局(金融監督庁を経て現在の金融庁)による、不明朗な行政指導と権益のぶら下げによってコントロールされ、また日銀は資金供給を武器に銀行との間に強い関係を築いた。一方で、大手銀行は地方銀行などの中小の金融機関に対しては、銀行間貸出やボリュームや金利面で有利な大企業融資を紹介する代わりに、人事や経営、資金の融通などに介入する体制が出来上がった。

    この中で、金融エスタブリッシュメントといわれた関東に地盤を置く大手金融機関は、他の大手都銀とは別格の扱いを受けていた。富士銀行を筆頭に、三菱、三井、後には第一勧業銀行の四つが全銀連の会長行を持ちまわりで兼ね、事実上の政府機関と位置付けられていた興銀がその四つの上に君臨していた。三和や住友が、金融エスタブリッシュメントの仲間入りをするのは、1980年代後半のことでそれまでは関西の雑金として蔑視されてきた

    銀行は、もちろん商法上の株式会社であるが、それ以上に銀行法による銀行免許を受けた存在である(興銀などの長銀は長期信用銀行法上の長期信用銀行)。銀行法の運用を行っている大蔵省銀行局は、通常の行政機関以上に銀行法の運用を恣意的に行っており、支店の設置一つ取ってみても、場所や規模に対して厳密な規制が行われてきた。

    例えば、戦前には最大の財閥として君臨した三井財閥は戦後凋落していったが、その原因として三井銀行が戦後の大衆化に失敗したため、財閥に対して十分な資金を供給できなかったことが挙げられる。元々、三井財閥はエリート主義的な財閥で、官僚などのパワーエリートに対して強い対抗意識を持っていたが、これが災いして大蔵省の不興を買い、厳しい出店規制によって凋落していった、という話もある。真偽のほどは定かではないが

    しかし、金融業界では常識的な話としては、銀行局による検査がある。貸し出しや資本状態の状況を検査するもので、通常検査は抜き打ちで検査が行われる。しかし、なぜかいつ検査があるのか、というのはどこの銀行も知っていて、検査前になると本部や検査が入る主要な支店では大事なものを隠したり、ヤバイ案件の説明をどうするのか、といった対策が行われる。

    ■MOF担/BOJ担

    こう言った情報が何故漏れるのか、というと銀行の企画セクションに置かれたMOF担/BOJ担の存在がある。

    大蔵省過剰接待事件で有名になったMOF担だが、彼らが大蔵省との間で情報交換のパイプ役となっていた。指導や通達に至る前に、担当官の意思を阿吽の呼吸で汲み取り、企画セクションに伝達する。そのためには、日ごろから担当官と個人的なコネクションを確立しておく必要があるので、連日の接待に連れ出す、という構造が生まれた。

    大蔵省に限らず、官庁との調整役には担当官と同じレベルのMOF担が付く必要がある。このため、東大、京大、一橋といった国公立、慶応、早稲田といった名門私立の法学部及び経済学部出身の30代前後の銀行員がMOF担となった。

    #キャリア官僚の出身大学が上記の5大学の法学部・経済学部に集中していることが関係しているが、実際にはキャリア官僚は文学部のような教養系の学部出身者もいるし、30代から40代の官僚には学閥意識は希薄である場合も多い。
    #検査官などは、キャリア官僚よりもむしろ二種合格者などの準キャリアが大勢を占めており、実際には準キャリアを担当するMOF担などもある。また、大蔵省や日銀以外でも通産省や経済企画庁などの担当者もいる

    このため、大手都銀ではMOF担経験者が取締役や頭取候補となる事実上のエリートコースになっており、これらの採用枠は通常の銀行員の採用枠とは別格になっている。かつて、富士銀行にはA採用からD採用までの採用枠があり、採用枠自体がその後の出世を厳密に規定していた。

    ■人事部と企画部

    銀行に限らず、日本企業では人事部が組織に対して重大な影響力を振るうことで知られているが、銀行の場合には取締役への確実な道は人事部と企画部となってる。

    日本の金融エスタブリッシュメントが大蔵省と日銀を中心に興銀や上位都銀によって構成されていることは先ほども述べたが、銀行の内部においても全く同じことが言える。銀行は完全に本部からの上意下達主義で、末端の銀行員には全く裁量権が与えられていない。

    支店長や役席でも同じことで、基本的には直属の上司よりも本部の命令が優先される。こういった硬直的で官僚的な組織は、むしろ行政よりも極めて硬性な組織である。しかし、それは「確実な組織」であることが求められていた時代においては、銀行に対する信頼の源でもあった。実際に、何らかの不祥事が発生した金融機関には、上司と部下の関係が濃密な場合が多い

    しかし、そう言った利点に対して常に銀行員は上司よりも本部の方を見て仕事をしていることになる。最近では銀行にも成果主義が導入されているが、実際には銀行員一人一人の能力を計測することは不可能なので、人事や給与は完全な減点主義によって評価される。

    給与水準が一般に比べて高いといわれる銀行員だが、年功序列が重視される銀行では大半が40代前後で関連会社に片道切符で出向や転籍を迫られる。給与も年齢に応じて配分される、といっても20代の銀行員の給与水準は一般企業に比べてかなり低いが、勤続年数に応じて急激に給与は増えるので、40代前後で転籍や出向を命じられるとかなりの給与ダウンに繋がる

    しかし、入行時に完全に「限界」が規定される銀行においては、減点が決定的な「限界」ラインの低下を意味する。関東系都銀のA採用であっても、山手線外の支店長(例えば同じ新宿でも高田馬場支店長は完全に左遷である)に就任した場合には、そのまま40代の終わりには確実に子会社への出向を迫られることになる

    ■銀行員の人材流動性

    銀行は、護送船団時代を通じて企業の融資シェアや株式の持ち合いによる「メーン行」制度によって、企業との強いつながりを持っている。それは単に融資や株の持ち合いだけでなく、人材の派遣などを通じて銀行との関係を持つと言う事に他ならない

    しかし、一方では余剰な銀行員の処分先という位置付けで、企業への人材の移転が行われることも少なくない。80年代初期から発生したメーン行体制の崩壊によって、実際にはすべての銀行員が企業への天下りが不可能となってしまっている

    企業によって有益な銀行員とは、財務部や審査部、法務部といった銀行のエリートコースとは異なる部門で、ましてや支店の人材ではない。メーン行体制の崩壊によって、これ以外の部門の人員は企業に嫌われ、事実上彼らの天下り先は、銀行の関連会社に限定されてしまうのだ

    銀行の子会社には、不動産、システム子会社、人材派遣会社など様々なものがあるが、銀行の天下り人材はほとんどが子会社採用の者のよりも優遇される。例えば、銀行のシステム部門などでは銀行業務に明るいC採用以下の元銀行員よりも、銀行業務自体にも暗いB採用以上の元銀行員に権限が集中するために、人材ミスマッチが発生する

    相次ぐ銀行のシステム障害には、こういった銀行と子会社の人材問題がほとんどの場合で原因となっている。それは不良債権飛ばしの対象となる不動産子会社やノンバンク、親密企業などでも同じことだ

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