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筑紫哲也さん死す、がん全身転移

11月8日10時0分配信 日刊スポーツ


筑紫哲也さん死す、がん全身転移

96年6月、坂本堤弁護士のビデオテープ問題で猛省を促す筑紫哲也さん

 ニュースキャスター筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが、7日午後1時50分、肺がんのため、東京・聖路加国際病院で死去した。73歳。昨年5月、レギュラー出演していたTBS系報道番組「筑紫哲也ニュース23」で、肺がんであることを告白していた。7月に鹿児島の病院に入院したが、すでにがんは全身に転移していた。10月末、都内の病院に転院し、一時、危篤となったが、危機は脱していた。葬儀は密葬で営まれる。喪主は妻房子(ふさこ)さん。後日、お別れの会が行われる。
 がんは全身に転移し、肺や膵(すい)臓にも水がたまり、激しい痛みとの闘いだった。都内の病院で息を引き取ると、遺体は午後5時ごろ練馬区内の自宅に運ばれた。
 筑紫さんは、がん告白後、都内で入退院を繰り返していた。7月7日、痛みをやわらげるペインクリニックの名医の治療を受けるため、鹿児島県内の病院に転院した。その時には、すでにがんは全身に転移していたという。直前の同5日、ネット上で続けていた「ニュース23」の人気コラム「多事争論」の収録を屋外で行った。「この国のガン」と書いたボードを掲げ、国内の問題点に切り込んだのが最後の「多事争論」だった。
 親しい関係者によると、10月15日に肺に水がたまり、呼吸困難で危篤状態になったという。その後、同県内の別の病院に転院し、危機を脱したため、10月末には都内の病院に転院した。だが、病魔の勢いは止まらなかった。たんを切る力がなく、11月1日には再び危篤状態となってしまった。必死に闘う筑紫さんは、のどを切開する手術を行い、何とか2度目の危篤状態も脱していたという。関係者は「危篤の状態は脱したものの、手足がやせ、目に力がなく、予断を許さない状態だった」と明かした。最期は家族にみとられ、旅立った。
 筑紫さんは、5月に日本記者クラブ賞を受賞。6月23日に、都内で受賞を祝う会を自ら主催して行った。知人ら約300人の前で、「皆さんにお会いするのもこれが最後になるかも…」とあいさつした。当時は1人で歩くことも困難な状態で、会が終わると、房子夫人に抱えられるように会場を後にした。参加者から祝う会の会費は一切、受け取らなかったという。死が近いことを覚悟し、世話になった知人や友人らに礼とともに別れを告げ、ペインクリニックのある鹿児島に向かったようだ。
 肺がんは昨年5月上旬、毎年行っている検査入院で発見された。メーンキャスターを務める「ニュース23」の放送内でがんを告白した。「がんを生きぬく」と自筆のフリップを掲げ、番組を休んで治療に専念することを視聴者に明かした。放射線治療のほか、東洋医学とも出会った。
 落ち込んでいた気持ちを立て直すことができたようで、「病は気から」と周囲に語り、食欲も上向きとなり、一時はこのまま全快に向かうのではないかと思えるほどだった。昨年10月8日には147日ぶりに番組に復帰し「ほぼ、がんは撃退した状態になった」と語った。マルボロやハイライトなど強いものを好んだたばこの量を控えめにし、多少、顔も丸みを帯びていた。髪形の頭頂部がつけ毛であることを明かし、髪を引っぱりながら「抗がん剤で一時的に髪が2割くらい減って、まだ発展途上中」などと、照れ笑いを浮かべた。
 テレビ報道の第一人者は、視聴者に宣言した通り「がんを生きぬき」、生涯を終えた。

最終更新:11月8日10時0分

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