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田母神 俊雄 平成16年7月

航空自衛隊を元気にする10の提言

〜パートV〜


目    次
  はじめに 6 機種は複数にする
1 攻撃は最大の防御なり 7 異民族支配を歓迎せよ
2 指揮官は求道者にあらず 8 部隊長権限の増大
3 危険の確率を考える 9 指揮官はわがままを言え
4 装備品等情報の収集 10 留学生を増やす
5 月刊誌へ論文を投稿する   おわりに ―防衛産業を守る―

 はじめに 
 民主主義国家においては言論の自由は保障されなければならない。しかし戦後の我が国には本当に言論の自由があったのかというと極めて疑わしい。米国占領下の6年半に、公職追放や出版物の徹底的な検閲等により作られた我が国言論界の方向性は、独立を回復した後も、つい最近まで修正されることはなかった。いや若干改善されては来たが、今なお修正されていないと言った方が正しいかもしれない。戦前の我が国や旧軍を悪し様にいう自由は無限に保証されるが、我が国を弁護する言論の自由は極めて限定的に認められるのみである。南京大虐殺は無かったと言って何人の大臣が辞めたのだろうか。日本は戦前、中国や韓国に対し良いこともしたと言ってその責任を問われた政治家もいる。しかしこれらはいずれも大臣や政治家の言っていることが歴史的真実である。今では多くの研究によってそれは分かっている。それにも拘わらず大臣を辞めなければならなかった。政治家が自分の信念を披瀝してその職を辞すということは言論の自由がないということだ。少しでも戦前の我が国や旧軍のことを弁護するような発言をするとマスコミなどで袋叩きにあう。だから政治家を始め多くの言論人でも我が国を守る発言は極めて少ない。あるいは極めて控え目にしか行わない。その結果、弁護してもらえない我が国や旧軍は次第に悪者にされていく。嘘も百回言い続ければ真実になってしまう。「いつか分かる」は善良な日本人の間でしか通じない。それは武士道のベースがあって初めて成立することなのだ。反日的日本人やカネをもらうためには如何なる手段も排除しないような国に対しては徹底的に反論する以外に道はない。しかし徹底的に反論しようとすると大臣の首が飛んだり、国会が止まったりするのがつい最近までの我が国だったのだ。思うに我が国には反日的言論の自由は無限にあるが親日的言論の自由は無かったということなのだ。

 戦後我が国においては、日本国民を萎縮させるような力がずっと働いてきたような気がする。我が国は戦後の占領政策の影響から未だ抜けきれずにいるのだ。戦後の日本人の考え方の方向性は、いわゆる東京裁判において決定づけられた。日本軍は残虐非道の軍であった、軍人が暴走した、韓国人や中国人にひどいことをした、南京大虐殺を行ったとかいう無実の罪を背負わされた。それでも真実を体験した人たちが我が国の実権を握っている間にはあまり不具合は起きなかった。今では信じられないことであるが、サンフランシスコ講和条約締結直後は、旧社会党の議員でさえ占領軍から押しつけられたとして憲法改正を国会で主張したのだ。国会の議事録もちゃんと残っている。しかし政治家も役人も財界人も戦後世代が我が国の大勢を占めるようになると我が国がおかしくなり始めた。無実の罪が真実として一人歩きをするようになってきたからである。彼らは戦後教育が真実の歴史だと思っている世代である。日本の国が悪い国だと信じ込まされている世代である。だから国家や日の丸や君が代や自衛隊に対して反対運動を実施する。

 戦後これを煽ってきたのが我が国のマスコミである。本来マスコミは、国民のために公正、公平に情報を提供すべきである。しかし産経新聞など一部のマスコミを除き、我が国の多くのマスコミは、どこの国のマスコミかと思われるほどに徹底的に我が国の暗部のみを暴き出す。よその国の暗部も公平に暴いてもらいたいものだと思う。比較の問題で言えば我が国は戦前から他の列強ほどのひどいことはしていない。米、英、仏、蘭などの国がそれぞれの植民地で何をしたのかは勉強すればすぐに分かることだ。よその国がやったから日本がやっていいという理由にはならないが、日本だけが悪く言われる筋合いもないと思う。我が国は戦前から人種差別を排し、日本民族、満民族、朝鮮民族などがともに仲良く暮らせるように民族共存を唱えてきた。これに対し列強はキリスト教の宣教師などを使い民族自立を強調し、満州や朝鮮半島における民族独立を煽った。それが現地における反日運動を高揚することになった。当時の中国大陸や朝鮮半島はいまのイラクのようにテロが日常的に起こり、多くの日本人が殺害され続けていたのだ。治安は不安定でいわゆるゲリラ戦状態である。日本軍が進出したことにより治安は安定こそすれ、決して悪くなることはなかった。テロに会い続けながらも日本は、日本本土に投資する金を削って満州や朝鮮半島に金をかけ続けた。日本の投資があったことにより満州も朝鮮半島も住民の生活は飛躍的に改善されたのだ。我が国は、投資よりは持ち出しに重きを置く列強とは全く違った植民地政策を実施したのだ。

 それでも当時は日本人に対するテロはあっても、白人に対しては中国人や朝鮮人が大々的にテロを起こすことはなかった。そのために米国なども日本の苦労を十分には理解できなかった。米国がゲリラ戦やテロの怖さを理解するのは後年のベトナム戦争によってであると思う。戦前は白人から有色人種が人種差別を受けるのは当然と思われていた時代である。米国が黒人に白人同様の選挙権を認めたのは第2次大戦終了20年後の1965年である。有色人種の日本が、満州や朝鮮半島に対し白人国家と同じようなことをするのが米国など列強には目障りであったのだ。しかしいま米国の国内において戦前から日本が唱え続けた民族共存が実現されている。日本の主張の正しさが歴史的に証明されたのだ。

 もちろんこんなことは相手の国が言い出さなければ、いまさら我が国から言い出すことではない。我が国の歴史については日本人の誇りとして心の中にしまっておけばよい。昔は悪かったとか、未熟であったとかいうことは現在の2国間関係を悪くするだけである。ウチのカミさんは時々この手を使うが夫婦げんかになるだけである。現在の価値観で昔を断罪することは無意味なことだ。日米関係においても、それぞれの相手国に対する昔の悪行を話題にするようなことは努めて避けるべきである。今の米国には出来るだけ国際社会の声に耳を傾けようとする姿勢が見える。米国は国際社会のリーダーとして相応しい国家であり、これに変わりうる国家は当分現れそうもない。いま日本国民の平和で豊かな生活を守っていくためには、我が国には米国と仲良くしていく以外の選択肢はない。韓国の現在の政権にはやや反米的なものを感ずるが、我が国の政治指導者が反米になることは絶対に避けなければならないと思う。親米であってこそ、日米の利害が対立する場合にも、米国に対し意見を述べることが出来る。反米の国には米国を動かすことは出来ないと知るべきである。

 それにも拘わらず我が国の多くのマスコミが、今なお反日、反米の論調を展開する。親日、親米の代表である自衛隊などはマスコミの絶好の攻撃対象となる。しかし最近になって風向きが少し変わってきた。この4月のイラクにおける邦人拉致に関するマスコミの反応も、従来に比べれば大きく変わった。テロリストの要求に屈してはいけないという論調が大部分である。ソ連の崩壊、教科書問題、尖閣諸島への中国人の不法上陸問題、そして北朝鮮拉致問題等を通じて日本国民がどうもおかしいと気づき始めたからであろう。産経新聞や新しい歴史教科書をつくる会などの地道な活動も成果を上げ始めている。今では政治家が戦前の我が国の行動を弁護してもそれによって大臣の首が飛ぶことはないと思う。冷静に意見を戦わせることが出来るようになってきた。やがて総理大臣の8月15日における靖国参拝も可能になるであろうことを期待している。また昨年有事関連3法案が成立したが、今国会においては更にこれらの法案を実効性あるものにする関連7法案を審議中である。5年前に誰が我が国において、いま有事法制が成立すると予測したであろうか。我が国政府が、自衛隊を諸外国の軍と同様に使う日が予想以上に早く訪れるかもしれない。

 自衛隊を取り巻く情勢は急速に変化しつつある。私たちはこの変化に後れを取ってはいけない。自衛隊こそは国家、国民が最後に頼りにする大黒柱なのである。そのために自衛隊はいつでも元気でいなければならない。自衛隊は、どんな困難な状況におかれようと、常に前向きでチャレンジ精神に溢れていることが大切である。そのような思いで昨年7月号に初めて「航空自衛隊を元気にする10の提言」を投稿させて頂いたが、今回で3回目になった。またかと思われる向きもあるかと思うが、今回で最後にしたいと思うので、どうかお付き合い願いたい。例によって本小論に述べる内容は私の私見である。読者の皆さんは、前2回と同様、大いなる批判精神を持って読んで頂きたいと思う。皆さんの隊務運営上何らかの参考になれば幸いである。


1 攻撃は最大の防御なり
 近年自衛隊と周辺諸国の軍との間で、国家間の信頼醸成のために相互訪問等が頻繁に実施されるようになった。その一環として昨年11月下旬に第5回日韓スタッフトークスが防衛庁内で実施された。自衛隊と韓国軍からそれぞれ約10名程度の制服の人たちが参加した。その席上で韓国側から、自衛隊の統合の強化、防衛庁の省昇格問題などの周辺国に与える影響について懸念が示されたという。当然のこととして日本側から反論が行われた。日本側は、もともと日本国内には自衛隊に対する不信感を持った人たちがおり、それがアジア諸国に輸出された面があると主張した。韓国や中国が我が国の歴史認識や自衛隊の戦力強化について注文をつけ、日本側がこれに対する反論ないしは言い訳をするといういつものパターンである。私はこの会議に出席したわけではなく、人づてに話を聞いただけなので詳細については承知していない。しかし今なお日本と韓国、中国などの間には時々このような事態が起きてしまうことがある。我が国はこれに今後どのように立ち向かえばよいのか。

 日本は、これまで周辺諸国から何か注文をつけられると、これに反論することは実施してきたが、それ以上のことは考えなかったような気がする。そんなに言うならこちらも相手の弱点を攻撃してやろうと思っても良さそうだが、我が国はそれをやったことはないのではないか。相手の法外な要求に対しても謝罪したり、お金を出したりしてその場を収めてきた。すべて我が国の譲歩により一件落着してきたのである。国会答弁における政権与党の立場を貫いてきたようなものだ。国会答弁では質問事項以外には答えないことになっているので、質問者側は一方的に政府を攻撃するだけで、自らの質問によって火の粉をかぶ被ることはない。だから安心してどんな質問でも、或いはどんな攻撃でも実施することが出来る。

 特殊な思想に染まった人は別として、日本人というのは本当に善人であると思う。郷に入っては郷に従えという諺があるが、日本人は日本国内においてさえ外国の人には何でも合わせようとする。日本に来たのだから、あなた達は日本人のやり方に合わせなさいとは思わない。アメリカ人に会えば英語で話さなければならないと思うし、中国人に会えば中国語で話さなければいけないと思ってしまう。またロシア人に会えば抱き合って頬を合わせてしまうし、インド人に会えば両手を会わせてお辞儀をする。ごく自然にそうしてしまっており、多くの人は心の中にわだかまりがあるわけでもない。外国に出かけるときは、イスラム圏では子供の頭を手のひらで撫でてはいけないとか、イギリスではレディーファーストであるとか話を聞かされる。そしてそれを守ろうと一生懸命努力する。このように日本人は外国人に接する場合、いつでも相手のことを考え、相手に合わそうとする。日本人のような善人は他にはいないのではないだろうか。アジアでも中国人も韓国人も日本人のような性向は持っておらず、日本人に特有の性向といえるのではないか。日本人にとってはこのような気配りは当然のことなのだが、日本人以外はいつでもどこでも自分流の生活パターンをくずさない。

 日本人のこのような気配りは、日本人同士の中では大変に心地良い。日本人は相手が譲歩すればこちらも譲歩することが多い。しかし、これは国際交渉の場では通用しない。国益がぶつかる外交の場においては、日本流の気配りは相手に利用されるだけである。我が国が気配りをすれば相手国もやがて気配りをするだろうと思うのは幻想である。我が国が気配りをして、ロシアの北方四島に経済支援を実施しているが、経済支援を続けている限り北方四島が帰ってくることはないと思う。経済支援を止めて、北方四島が返還された暁には経済支援をすると言わなければ永遠に帰らない。北朝鮮に対しても拉致被害者をすべて帰すまでは一切の支援をしないと言えば拉致被害者が日本に帰される可能性は高まるように思えるのだが。もっと尤もそれが出来ない事情が何かあるのかもしれない。

 国際関係においては、気配りは、いい人ではなく弱い人と受け取られる。相手はかさ嵩にかかって攻撃してくるだけである。戦後50数年の歴史がそれを証明している。我が国は決して反撃しないということが分かってしまうと、周辺諸国などから安心して攻撃されてしまうのだ。攻撃すれば反撃されると相手に思わせておくことが重要である。気配りや反論だけで攻撃をや 止めさせることは出来ない。専守防衛は相手にとっては痛くも痒くもない。相手は自分に関することで議論しなくていいから、いつも安全圏に身を置きながら議論ができる。

 だから我が国も相手国に対する攻撃ポイントを準備しておいてはどうかと思うのである。相手の出方に応じて、相手の攻撃相当分以上の攻撃を日本も実施するのだ。相手が攻撃するのはそれによって何か利益を得ることができるからだ。相手に一方的な利益を与えないためには日本も相手を攻撃し利益を引き出すことが必要である。それらの利益が相殺され、トータルで利益が得られなければ相手は攻撃を止(や)める。外交とはそんなものだと思う。交渉相手国に対しては、そのための攻撃リストが準備されていなければならない。攻撃こそが相手の攻撃を止(や)めさせることが出来る。

 また攻撃を考えることによって相手の弱点が見えてくる。そしてそれが投影されて自分の弱点もまたよく見えるようになり、より抜けのない防御の態勢を造ることが出来る。我が国は専守防衛を旨とする国防の態勢を維持しているが、防御のみを考えていては効果的な防御態勢は出来ないのではないか。攻撃を考えないといつも攻撃する側に1歩遅れてしまうのだ。準備が後手になる。自衛隊の中にも相手国への攻撃について徹底的に考える人たちが必要であると思う。そしてその人たちのアイデアで我が国に対する攻撃について考えてみるのだ。それが我が国の防衛態勢をより効果的なものにする。このような観点から米軍ではインターネット攻撃の専門部隊があると聞いている。この面でも我が国は後れをとっている。基地対策やマスコミ対策でも似たようなところがある。相手の攻撃に対して専ら守りばかりを考えていては、1歩ずつ後退するだけである。ここでも攻撃を考えれば後退しないで守ることが出来るかもしれない。「攻撃は最大の防御なり」である。


2 指揮官は求道者にあらず
 自衛官の中には真面目、素直、純情というような言葉がぴったり当てはまる人が多い。こう言うと反論したい人もあるかと思うが、30数年の自衛隊経験でいえば本当に誠実な集団であると思う。個人の権利ばかりが主張される世情においても我が国古来の武士道の精神を立派に受け継いでいるといってよい。だからこそ戦後の逆風の中でも徐々にではあるが国民からの信頼を高めてくることが出来たのだと思う。自衛隊は国家の大黒柱である。さて若い人の中には人格が完成されない自分に嫌気がさしている人がいるかもしれない。しかし人間は、ごく一部の特別な人をのぞいて、不完全で当たり前なのだ。貴君がそんなに悩む必要はない。やがて時(とき)が貴君を解放してくれる。

 今から26年前の昭和53年5月に私は沖縄の第5高射群第17高射隊からSOCに入校した。当時市ヶ谷にあった部隊の食堂に昼食のため並んでいると、後ろから私の名前を呼ぶ人がいる。昭和42年防大に入校したとき1学年2班で同じクラスだったO君だった。O君は陸上自衛隊に進んだが防大卒業後7年ぶりの再会だった。彼も仕事の都合でしばらく市ヶ谷駐屯地に来ているということだった。当時の市ヶ谷の食堂では昼食の列はいつも5分ぐらい並ぶのが普通だった。私たちは並びながら昔のことなどいろいろな話をした。その後何度か昼食の列で前後になることがあり、ある時特別昇給の話になった。丁度その年の4月に私は初めての特別昇給を頂いていたがO君はまだだということだった。O君が「お前はいいなあ、俺はまだなんだ」と言っていると、後ろから「おい、O1尉、そんな馬鹿な話は止めろ」と言う人がいる。振り返るとミスター自衛隊、いわゆる軍神という感じの人だった。軍人がお金になどこだわるべきではないというのだ。O君の話によると自分にも後輩にも厳しい陸自の立派な先輩であるということだった。私たちは当然先輩の指導に従いその話は中止した。

 これに先立つ数年前に私は、空自において防大の先輩から、1円でも国からお金を頂いていれば全身全命を投げ打って国のために尽くすのだという指導を受けたことがあった。その先輩もまた自分にも後輩にも非常に厳しい人だった。それは確かに自衛官の心構えとしてあるべき姿である。こういう心構えを持った人が多ければ自衛隊は強くなる。当時まだ20代だった私は、こういった先輩の指導を受け入れ、人間の欲求や欲望を超越し、早く立派な人間にならなければと漠然と思っていた。そして多くの人はやがてそうなれるのだと思っていたような気がする。

 幹部候補生学校を卒業して初めて部隊に配置されたとき私は23歳になったばかりであった。23歳の私から見れば40歳も過ぎた人は完成された人格に見えた。まして1佐や将補などの高級幹部については、多分あの人たちは毎日、俺たちとは違ったことを考えて生きている。あの人たちは恐らく人間の欲求とか欲望とかいうものはすでに超越してしまっていると思っていた。俺も早く人格を完成させなければという思いがあった。そして自分の年齢が30歳に近づく頃それに到達できない自分に焦りを感じていた。当時はその心構えに到達できない自分に嫌気がさしたこともあった。ひょっとすると俺は人間失格なのかもしれない。まじめに悩んでいたことを思い出す。そして私は、今なおその境地に到達できていない。しかし今はもう悩んではいない。

 30歳を過ぎた頃であろうか。所詮人間はいくつになっても未熟なままで死ぬことになるのだ。人間にはいい心もあるし悪い心もある。だからできるだけ悪い心が表面にでないような生活をしようと思えるようになった。かつて先輩から指導を受け、完成された人格というか宗教家や求道者のような人格を目指していた。しかしどれほどの人がこの境地に達することができるかと言えば、一般の人の99%以上は達することができないと言えるだろう。人間とはそんなもんだ。そう思い出したら気が楽になってきた。また人を見る目が変わってきた。それまでは私はどちらかというといわゆる堅物といわれるような人を立派な人だと思っていた。

 かつて先輩から「遊びを大事にしろ」と指導を受けたことがあった。これに対し私は、この先輩は自分のことを弁護しているという受け止め方だった。若い頃の私は遊びたいと思う心は怠ける心と同じであると思っていたような気がする。怠けるとは任務達成に真剣にならないことである。任務達成に最大限の努力をしながら、疲れたときには疲労回復のため遊ぶことも必要なことだ。或いは人間関係の構築のためにも、一緒に遊ぶことは大事なことだ。私は入隊後まもなくゴルフをするようになったが20代の頃はゴルフをすることに少し後ろめたい気持ちがあったことも記憶している。本来はゴルフなどより隊員と銃剣道に励むべきなのかもしれないというような気持ちもあった。しかしSOCを終わった頃からこの考え方は徐々に変わっていったような気がする。心の健康を維持するためには遊ぶこともまた必要であることが理解できるようになった。「遊びを大事にしろ」という言葉の意味を理解できたのだ。それはほとんどの人が宗教家や求道者にはなれないのだから、もし部隊指揮官が部下にそれを要求した場合、ほとんどの人はその指揮官に本音の気持ちを申し述べることが困難になる。つまり厳しすぎてついて行けないということになる。遊ぶことも大事にしないと部下の気持ちを理解できない。もちろん遊び中心で仕事が次等視されてはいけない。大切なのはバランス感覚なのだ。

 また私心を無くせという指導が自衛隊の中ではよく実施される。しかしこれも永遠の課題であり私心がゼロという人もまたこの世の中にほとんど存在しない。もちろん私心があからさまに見えることは、他人の目には嫌なものとして映る。だからできるだけ他人からは見えないようにしなければならない。隠す努力が必要である。しかし人には私心がある。人間の欲求は無視できない。指揮官はそこのところを理解して部隊の統率にあたらなければならない。指揮官は寛容の心が必要である。少し悪い心が見えたからといってその人の全人格が否定されるものではない。悪い心を超える良い心も同時に持ち合わせているのが普通の人間だ。心に遊びが無く徹底的にあるべき姿を追求する人には、厳しすぎて多くの人はついて行けない。この人について行けばいい思いが出来るかもしれない、美味いものが食えるかもしれないという気持ちが無くならないのがまた人間である。上着の下に私心が見え隠れするぐらいが丁度いいのかもしれない。そう言っていつでも私は自分のことを弁護している。


3 危険の確率を考える
 昨年12月、アメリカで狂牛病の牛が見つかり、日本ではアメリカからの牛肉の輸入を一時停止することになった。焼肉店や牛丼の吉野家などは牛肉の在庫が底をつき、牛肉を使わない料理で急場をしの凌ごうとしている。日本政府はアメリカに対し、肉牛の全頭検査を要求しているが、アメリカはそんなことは出来ないし、必要性も認められないと反論している。そしてアメリカの人たちは現在もアメリカの牛肉を食べ続けている。しかし日本は、危険であるとの理由で、アメリカからの牛肉の輸入禁止を継続したままである。

 また今年の初めに、中国及び東南アジアのタイやベトナムで鳥インフルエンザによる死亡者が数名発生したとかいう噂があり、これらの国から鶏肉を大量に輸入している我が国では、鶏肉を使った料理も食べられないと大騒ぎをした。しかし冷静に考えてみると、少し騒ぎ過ぎではないかという気がする。鳥エンフルエンザに感染した鶏肉を食べても、またその鳥が生んだ生卵を食べても人間が感染することはないと細菌学のお医者さんも言っている。鳥エンフルエンザに感染した鶏と濃厚に接触し、大量のウィルスを吸い込まない限りはまず安心だとか。

 もし牛肉や鶏肉を食べ続けた場合、いったいどれほどの被害が出るのだろうか。どれほどの人が命を落とすことになるのだろうか。私は多分亡くなる人は限りなくゼロに近いのではないかと思っている。殆ど人が死ぬことがないことに、どうしてそれほど気を遣うのだろうか。我が国においては交通事故で毎日20〜30名の人が亡くなっているというのに。誰もそのことは大騒ぎしない。

 第2次大戦では人類史上初めて米国の原子爆弾が我が国の広島と長崎に投下され、多くの人たちが亡くなられた。このため我が国には原子力アレルギーが根強く残っている。国民は原子力がほかの何よりも怖いものだと思っている。従って海上自衛隊の潜水艦等のエンジンに原子力を使用することは出来ないし、原子力発電所の原子力の管理、運用に関しても、我が国の法令等は諸外国に比較してがんじがら雁字搦めであると聞いている。5年前に茨城県東海村でJCO社の臨界事故があった。確か作業中の3名の方が亡くなられた事故であったが、事故現場周辺の住民が避難するほどの大騒ぎであった。また現場周辺の野菜など農作物もあらぬ疑いをかけられて大量に処分されたと記憶している。しかし実際に危険にさらされたのは作業のため建物の中にいた人たちだけであり、放射線の強度で見る限り、建物周辺の人たちは全く安全であった。ましてその周辺で育成された野菜などは全く放射能に汚染されていることなどなかったのである。しかし現実には大騒ぎになった。

 原子力は安全であると思う。我が国は、これまで何十年も原子力を使用してきたが、原子力の事故で亡くなった人は先の3名以外にいないのではないか。少なくとも交通事故よりはずっと危険の度合いが低い。しかし日本人は風評に弱い。噂が広まると冷静な判断が出来なくなる。北朝鮮のミサイルが怖いという。しかし私は部外で講演するときなど、あんなものは殆ど恐れる必要はありませんと言っている。北朝鮮が核弾頭を持っているかどうかは明らかではないが、金正日だってもし核を使えば自分の身に何が及ぶかは知っている。日米安全保障条約が機能している限り、米国の核で報復を受ける。彼の身にどんなことが起ころうとも、彼らが滅亡する、死んでしまうというところまで追い込まれない限りは核を使用することは出来ない。核兵器は政治的な恫喝に使われるだけなのだ。もし我が国がミサイル防衛態勢を整備すれば、その恫喝さえも困難になる。中国や北朝鮮が専ら防御的なシステムである我が国のミサイル防衛に反対するのはそのためである。

 核ミサイルでない限りミサイルの脅威もたかが知れている。通常はミサイル1発が運んでくる弾薬量は戦闘機1機に搭載できる弾薬量の10分の1以下である。1発がどの程度の破壊力を持つのか。航空自衛隊が毎年実施する爆弾破裂実験によれば、地面に激突したミサイルは直径10メートル余、深さ2〜3メートルの穴を造るだけである。だからミサイルが建物の外で爆発しても鉄筋コンクリートの建物の中にいれば死ぬことはまず無いと思って良い。1991年の湾岸戦争でイラクがイスラエルのテルアビヴに対し41発のスカッドミサイルを発射したが、死亡したのはわずかに2名のみであった。北朝鮮が保有しているミサイルを全て我が国に向けて発射しても、諸々の条件を考慮すれば、日本人が命を落とす確率は、国内で殺人事件により命を落とす確率よりも低いと思う。我が国では毎年1千200〜1千400名の人が殺人事件の犠牲になっている。1日当たり3〜4人がテロにより殺害されていることになる。しかし多くの日本人は、日本は平和で治安の良い国だと思っている。テロの恐怖におののきながら生きているわけではない。しかし北朝鮮のミサイルについては怖いと思っている。ミサイルが着弾すると東京中が火の海になるようなイメージを持っているからだ。決してそんなことはないのであるが。

 交通事故に目を向けてみれば、我が国では毎年、交通事故で8千名から1万名くらいの人が死亡する。事故発生から24時間以内に死亡する人を交通事故による死亡者というのだそうだ。毎日20名から30名の人が亡くなっている。事故発生からの時間を1か月に伸ばすと交通事故が元で亡くなる人はその2倍にも3倍にもなると聞いている。それでも交通事故が怖くて道路を通らない人もいないし、車の運転を諦める人もいない。これだけの死亡者がいるにも拘わらず国民には不安感はない。しかし北朝鮮のミサイルは怖い。だが冷静に考えてみれば北朝鮮のミサイル攻撃により命を落とす確率は交通事故の100分の1以下だと思う。だから北朝鮮のミサイルなんかに恐れおののくことはないのだ。いかなる国家政策も100%の安全を保障することは出来ない。交通事故以下の危険の確率についてはそれほど心配してもしょうがない。これを私は「タモちゃんの交通事故理論」と呼んでいる。

 自衛隊の業務を処理する場合も危険の確率を適正に認識しないと業務の非効率化を招き、いろいろな問題が発生する。これまで自衛隊機の墜落事故で、何カ月も、時には1年以上も航空機を飛ばすことが出来ないことがあった。部隊の練度や士気が低下し、その回復には長期間を要することになる。パイロットや整備員の心には、国家や国民から疎(うと)んじられているという深い傷跡を残すことになる。どれほど危険であるかは現場をあずかる彼らが一番よく知っている。民間航空だって、米軍だって事故原因がわかるまでフライトをしないなどということはあり得ない。当面の安全対策を終了すればフライトを開始している。自衛隊員には自衛隊の日頃の安全活動は諸外国の軍に比較しても決して負けてはいないという自負がある。事実、飛行時間当たりの航空自衛隊の事故率は諸外国の空軍に比較しても低い数字になっている。事故発生当初の一時的な飛行停止はやむを得ないとしても、フライトの停止が半年にも1年にもなってくると難癖をつけられているような気分になってくる。

 事故の原因が完全に究明されない限り飛行再開は認めないという人たちがいる。これを機会に自衛隊を虐めてやろうとか、何か得をしてやろうとか思う人がいると話は一層複雑となる。基地対策も困難を極めることになる。しかし事故原因の究明には通常数カ月を要することが多く、またそれでも事故原因が明確にならないことも多い。民間航空や米軍その他諸外国の軍では、事故原因の究明は飛行を継続しながら実施される。それは5年も10年も飛び続けている航空機が1機墜落しても続いて墜落する可能性は限りなくゼロに近いという判断に支えられていると思う。自衛隊の場合1機落ちたら、また落ちるかも知れないと考えるが、今日事故があったら、明日は多分事故はないだろうと考えるのが真理に近いというものである。自衛隊は事故等の発生に対しもっと楽観的になって良い。何も準備しないで楽観的になることは無責任というものであるが、自衛隊ほど悲観的に考えて各種の準備をしている組織はないと思う。各級指揮官は自衛隊という組織にもっと自信を持って良い。


4 装備品等情報の収集
 日本経済の低迷が始まって久しいが、戦後の高度成長により日本のGNPは、今では世界の15%ほどを占めるに至っている。これだけの規模になると今後はかつてのような高度成長は考えにくい。我が国が更に高度成長をするようなことは、世界経済や環境への影響が大き過ぎるからである。今後景気が回復しても着実な低成長にとどまるものと思う。自衛隊の各種装備品についても、従来は経済成長のおかげで装備品等の価格の高騰にも拘わらず、逐次所要数を確保することが出来た。しかしこれからは相当の価格低減の努力がなければ装備品等の近代化を進めることが困難になるであろう。

 さて装備品の価格を低減するに当たり、最も大事なものは何だろうか。それは情報である。情報というと我々は航空機等の動態情報に目が行き易い。そして国家として自衛隊として動態情報の収集には大きな努力をしている。一方装備品に関する情報に関してはこれまで我々はそれほど関心を払っていなかったのではないか。自衛隊がすでに取得し運用している装備品等については、空幕装備部や補給本部に於いて関連情報の収集に相当の努力をしている。しかし自衛隊が使っていないものに関しては情報収集努力がやや不十分だったような気がする。航空機等の機種選定の時期が来たときに初めて真剣に情報収集を始めるのが従来のやり方だった。しかし近年では科学技術の進歩が非常に迅速であり10年以上も同じ性能のもの、同じ型式のものを使用することはまれである。空自が新しい装備品等を運用開始したと同時に他に更に良いもの、安価なものが無いのかどうか世界中に目を向ける必要がある。

 テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電化製品は、それらが初めて世に出たときは大変に値の張るものであった。しかしいまでは性能的に何倍にもなったそれらの製品は、昔の何分の一かの値段で売られている。パソコンもいまでは随分値が下がった。その出始めの四半世紀前には、いまでは全く使い物にならないと思われるような大型パソコンが現在のパソコンの何倍もの値段で売られていた。テレビはいまデジタル化されるとともに薄型のものに変換されつつある。従来のテレビに比較すると値段はだいぶ高い。しかしこれもほんの2、3年で値段は下がってくるだろう。そう思って私は従来型の厚手のブラウン管を使っている。

 さて自衛隊の使用する航空機やミサイル、通信電子機器などは、ある特定のものを機種選定しても、すぐにまたより高性能、安価なものが出てくる。一昔前であれば一度機種選定すれば10年ぐらいは次のものを考える必要はなかったが、これからは常時情報収集が必要となる。特にC4I関連の装備品、補用部品等は2、3年で性能は2〜3倍、価格は2分の1、3分の1になるので効果的な予算の執行に情報収集は欠かせない。世界の関連会社等の動きをホームページの検索や会社研修等により把握することが必要である。その意味で空幕装備課あたりに装備品等に関する情報収集機能を強化する必要があるかも知れない。当該部署は国内のメーカーのみならず世界のあらゆる防衛産業についての製造情報、開発情報等について精通しておかなければならない。それらの情報が不足すると、ある特定の装備品等を紹介された場合に、他にもっと良質で安価なものがあるにも拘わらず飛びついてしまうことがある。いま現在自衛隊においては国内のメーカーについてはほぼ掌握しているものの、米国はじめ海外のメーカーに関する情報はきわめて限定的に把握しているのみではないだろうか。今後は、国内のメーカーや商社を通じ、海外のメーカー情報についてもその取得に努めるとともに、海外の会社研修も積極的に実施し、その実態を把握しておく必要がある。毎年誰かはアメリカにも、ヨーロッパにもそしてアジア諸国にも海外企業の研修に出かけなければならない。わずかな外国旅費で大きな効果が期待できると思う。

 会社を使って情報を収集する際に注意すべきことがある。それは現に使用中の装備品等を提供している会社は自分の会社が不利になるような情報は提供したがらないということである。会社の立場に立てば当然であり、これを責めることは出来ない。だから自衛隊としては、自衛隊が現に取引中の企業の情報だけではなく、対抗する企業からも情報を取得することが大切である。その情報によっては装備品等の新たな機種選定等が行える態勢にしておかなければならない。こうすることによって会社間に常時競争関係が維持される。その結果装備品等の適正な価格が維持されることになる。

 世界の各地で実施されるエアショーなどには積極的に研修員を送るべきであると思う。従来はエアショーへの参加は開催国の招待に応ずる付き合いという程度の認識であったが、今後はこの認識を改め、情報収集という明確な目標を持つことが大切である。広く薄くではあるが、あれほど集中的に会社研修が出来る機会はない。また諸外国の空軍参謀長はじめ軍人たちとの意見交換の機会もある。2月の下旬に私はシンガポールのエアショーに参加した。シンガポール国軍司令官から石川統合幕僚会議議長宛に招待状が届いたものであるが、代理として統幕学校長が出席することとされたものである。世界中の航空宇宙産業、軍需産業がそれぞれの製品を展示している。これに参加して、いろいろな情報を得ることが出来たし、ずいぶんと勉強になった。今後は自衛隊の将来を担う多くの若い人たちにも、エアショーに参加する機会を作ってあげられればいいと思っている。エアショーで世界の航空宇宙産業、軍需産業の全体像を把握しながら、特に情報収集を必要とする会社には、改めて研修に出かければよい。ほんのわずかな外国旅費で、何十億円、何百億円というお金を節約できることになるかも知れない。情報の優越は、作戦遂行のみならず装備品の分野にも言えることだと思う。

 蛇足であるが、今回のエアショーの会場に我が国からは航空宇宙工業界の事務所がひっそりと置かれていた。我が国は政府の方針により、現在のところ武器輸出が出来ないので、国内の防衛産業からの装備品等の展示もない。やむを得ないことと思うが、日本国民の一人としては仲間はずれになっているような感じでやや淋しい気がする。中国や韓国でさえも大きなブースを準備し装備品等の展示を実施していた。


5 月刊誌へ論文を投稿する
 中国や韓国は相変わらず靖国神社、教科書、慰安婦、遺棄化学兵器問題など不当な物言いを続けている。そんな場合には、きちんと反論すべきであろうが、これまでわが国はそれを実施して来なかった。短期的な関係悪化を恐れ毅然と反論しなかったことが長期的には国益を損なっている気がする。日本に対し愛国心を持つ普通の国民から見れば、何故日本政府が、外務省がもっと強く反論しないのかと、いらいらすることも多かったと思う。日本全体が外国向けには言論の自由を放棄してきたようなところがある。そのような日本国内において自衛隊は更に言論の自由を放棄してきた。いや、放棄させられてきたというのが正しいのかもしれない。これまで財務省や経産省の局長などが国家政策のあり方等について意見を述べ新聞等で報道されることは多かったが、各幕僚監部の部長等が国の政策について外向けに意見を表明することは殆ど無かったといってよい。自衛隊はその発言がマスコミなどで取り上げられることを避けたいと思っていた。私たちも若い頃はマスコミ等に対し不用意な発言をしないようにと指導を受けることが多かった。自衛隊は、軍人の独走などとマスコミなどで報道されることを極度に恐れていたのだ。そんなことが今の日本で起こり得るわけはない。しかしこのような自衛隊に対する不当な攻撃に対し、将官等の高級幹部でさえも反論できないということが自衛隊の士気を低下させる。反日グループはそれを狙っている。

 昭和53年に栗栖弘臣統合幕僚会議議長が、北方四島にソ連が本格的な基地を建設していることを指摘された。また外国の侵略があった場合、有事法制のない我が国は自衛隊が超法規的に行動せざるを得ないとも発言された。栗栖議長の発言は、自衛官から見てごく当たり前のことであったし、多くの国民もそう思っていたのではないだろうか。しかしマスコミの反応だけは違っていた。栗栖議長は危険な思想の持ち主というような報道が繰り返された。結果的には議長は、国民に対し無用の不安を煽ったとかの理由で、福田総理大臣、金丸防衛庁長官により更迭されることとなった。ソ連の北方4島への本格的基地建設はその後事実であることも明らかになった。当時私はSOCに入校中の1等空尉であったが、仲間うちで、これで更迭されるようなら自衛官は何も言えないというような会話を交わした記憶がある。栗栖議長の更迭は、どれほど自衛隊の士気を低下させたか分からない。制服自衛官にとっては残念無念であった。しかしこれを境に多くの自衛官が不用意な発言はしないという方向に向かったことは事実である。自衛隊の高級幹部でさえも口をつぐむことが多かったと聞いている。国家や国民のためにと思って発言し、その結果も特に悪くはないのに更迭される。そうなると人は自分のことだけ考えようということになってしまう。自衛官が国家や国民を忘れ、自分のことだけを考えるようになったらおしまいである。

 しかし時代は今変わった。自衛隊はインド洋やイラクまで出かけて行動する。石破防衛庁長官の言葉を拝借させて頂ければ、自衛隊が機能する時代になった。自衛隊が現実に行動しない時代にあっては、国家としては自衛隊の士気が低下しても大きな支障はなかった。張り子の虎の自衛隊を整備して、抑止力としてその存在に期待するだけであった。しかしこれからは自衛隊を張り子の虎にしておくことではすまない。行動する自衛隊は士気が高くなければ任務を遂行することは出来ない。石破防衛庁長官は、3月に行われた海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式で、次のように訓示された。
「自衛官は政治に関与してはならないが政治に対して関心を持つべきだと私は思う。そして真の意味におけるシビリアンコントロールというのは、法律や予算の専門家である文官の皆さん、軍事の専門家である自衛官の皆さん方が、国民に対して直接責任を負う内閣総理大臣、あるいは防衛庁長官、政治に対してきちんとした意見を言い、車の両輪として支えることが真のシビリアンコントロールだと申し上げて参ります。いろんなことに対して諸官は、専門的な立場で意見を申し述べることは、諸官の権利であり同時に義務でもあります。それは、民主主義国家における自衛官の義務だと思っております。」

 これまで自衛隊では外向けに意見を言うことは慎むべきだというような雰囲気があったので、自衛官にとっては石破長官の発言は大変にありがたいお言葉である。どれほど多くの自衛官が石破長官の言葉に元気付けられているだろうか。自衛隊の士気は大いに高揚したと思う。昨年の高級幹部会同に引き続き、自衛官にも言論の自由があることを、再び防衛庁長官から明言して頂いたのだ。

 また国の安全保障政策に関する国民の理解を得るためにも、自衛官が国民に向かって発言することが必要である。自衛隊は将来情勢を予測して、各種の行動能力を準備し、我が国政府に対し出来るだけ多くの政治的選択肢を提供しなければならない。10年前に誰が、自衛隊がインド洋やイラクまで行くと予想したであろうか。そう考えると10年後には航空自衛隊の戦闘機部隊が、飛行隊丸ごと海外に展開し、空域の哨戒や艦艇のえん護などの任務に就くぐらいのことは予想しておいた方がよい。必要性が具体的に生じてから準備にかかるようでは何年も遅れてしまう。だから自衛官はそのようなことがあり得ることを国民や政治家に対して説明しなければならない。それでもやるなという政治の決定があれば、もちろん自衛隊は政治の決定に服することになる。しかし国家の方針の決定に当たっては、自衛隊は国家、国民のため軍事専門的見地から意見を述べなければならない。それが普通の民主主義国家のあり方である。わが国ではこれまで自衛官がものを言うと戦争になるなどというウソがまことしやかに伝えられていたのだ。シビリアンコントロールとは自衛官にものを言わせないことではない。「私にも言わせて欲しい」の心意気がいま自衛官に求められている。

 ものを言っただけで大騒ぎになり、職を辞さなければならないような時代はいわば暗黒の時代である。民主主義というのはお互いの考え方を述べて意見を戦わすことが原点である。これまで我が国では反日的言論の自由は無限に保障されていたが、親日的な言論の自由は極めて限定されていたような気がする。繰り返しになるが、南京大虐殺は無かったといって一体何人の大臣が辞めたのだろうか。無かったことが真実であることは今では十分すぎるほど分かっている。その意味で我が国にもようやく本当の民主主義の時代がやって来たと言えるのではないか。そう思っていたら、年金問題で野党の審議拒否が始まった。審議拒否などというのも民主主義の原則に反するのではないか。

 それでは具体的にはどうすればよいのか。私はすぐにでもできるのは月刊誌に論文を投稿することだと思っている。部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。正論、諸君、VOICE、This Is 読売などに論文を投稿してみることだ。これらの雑誌に載るということは、かなり多くの国民の目に触れるということだ。安全保障や自衛隊に関する国民の理解が得られると同時に、雑誌に自衛官の意見が載るということにより、若い幹部や隊員たちの士気の高揚にも大いに役立つであろうと思う。隊員にとっては不当なことを言われても我慢しなければならないことと、必要な場合には何時でも意見が言えるということとでは精神的ストレスが天と地ほどにも違う。掲載してもらえるかどうかは論文の出来ばえによると思うが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」である。積極的にチャレンジしてみればよい。統幕学校では16年度に教官も学生も一人1論文を目標に頑張ってもらおうと計画しているところである。学生の課題作業なども、これを公にすることが国家、国民のためになると思われるものについては、可能な限りこれらの雑誌へ投稿させたいと思っている。学生だってその方が張り合いがあるというものである。


6 機種は複数にする
 航空自衛隊においては航空機やミサイルシステムを導入する際、いわゆる機種選定が実施される。このとき全整備数を一括選定するのが従来のやり方だった。全整備数を一括選定するということは、単一の機種にするということである。例えば今後F−15型戦闘機の後継機の選定がおこなわれる場合、F−15型戦闘機200機の全てを単一の機種で置き換えるということである。しかしよく考えてみれば、これも再考の余地があるような気がする。2機種にして100機ずつ、あるいは120機と80機のような組み合わせを考えても良いと思う。

 航空機やミサイルシステムはその全数を取得するためには、予算取得の関係で通常10年以上の期間を必要とする。10年というのは近年の科学技術の迅速な進歩を考えると大変に長い期間である。この間に更に優れた、更に安価な航空機やミサイルシステムが出現しないとは限らない。そのような状況変化に柔軟に対応するためには、全整備数の一括選定を止めて、例えば半数程度を選定し残りの半数程度については時期が来たら再度機種選定を行うという方式に改めてはどうかと思うのである。再選定を行うに際し当初のものがやはり最も空自に適合したものであるならば、継続してそれを取得すればよい。しかし初めから単一の機種にするという前提は無くした方がよい。

 従来の考え方は、単一機種の方が運用、後方支援ともやり易い、経費も安上がりですむというものである。しかし機数が5機や10機ならともかく100機以上も保有する航空機が同じものである必要はないのではないか。運用、後方支援については単一機種の方がやり易いことは事実であろうと思うが、そのために2機種には出来ないということはない。それが決定的な理由になるとは思えない。2機種でも円滑な運用、後方支援が出来る態勢を造り上げればよいのだ。2機種の方がむしろ運用の幅が広がることも考えられる。当初かかる経費については2機種の態勢整備には1機種の場合よりも多少の経費増はあるかもしれない。しかし2機種にすると各機種の提供会社が値下げ競争の関係におかれ、ライフサイクルコストで見るとその経費増を飲み込んでくれる可能性が大である。

 私は全数整備に10年以上もかかるものを一括選定することは避けた方が良いという感じを持っている。自衛隊が技術研究本部にお願いをして国家政策として開発するものは別にして、出来合いの装備品等を取得する場合には、最初の50台はこの機種にする、51台目以降は再度機種選定を行うというような機種選定にすべきでではないかと思っている。また機種選定に参加する会社側から見れば、51台目以降新たな機種選定が行われることになれば、一旦機種選定に勝っても、日々製品の改善、能力向上及び価格の低減に努力せざるを得なくなる。会社間の競争を促進し、防衛装備品の能力向上、低価格化を図るためにも、機種選定は回数が多いほど良いということになる。もっとも機種選定業務は大変に負荷のかかる仕事である。空幕内の合意を得ることも大変であるし、内局との摺り合わせもある。また官邸の意向等政治的な動きも考慮しなければいけない場合もある。こんなことは出来るだけ回数を減らしたいと思うのはまた人情である。それは私も経験上よくわかる。しかし大変なことでも国家のため、自衛隊のためには頑張らなければならない。

 米軍の戦闘機のエンジンなどは、数が多いこともあるかと思うが、機種選定が何回かに分けて実施されている。その結果、同一の機種に対しプラット&ホイットニー社とGE社の両方のエンジンが搭載されている。航空自衛隊でも第1補給処では、パソコンの入札に際し、1社独占の状態にならないよう、入札は全ての所要数を一括入札するのではなく、時間をおいて数回に分けて実施する。価格の低減も図れるし、サービスの向上も期待できる。同じようなことを航空機やミサイルシステムなどにも適用するのだ。

 台湾空軍は米国のF−16と仏国のミラージュ2000を同時に取得する決定をした。米国に対しても仏国に対しても、サービスを良くして下さいよという睨みがきいた態勢に初めからなっている。李登輝総統の政治決断がバックにあったのかも知れないが、台湾空軍に出来ることは航空自衛隊にも出来るはずである。

 自衛隊では一旦機種が決定されれば向こう30年以上にもわたってそれらの航空機やミサイルシステムが使用される。この間ずっと競争相手がいないということになれば、会社側の能力向上や価格低減の意欲も抑制されるというものである。我が国の予算システムの場合、一旦選定されれば買う方の自衛隊よりは売る方の会社側が強い。国が一旦決めたことは、安全保障会議などの手続きを経ないと変更することが出来ないからである。これをうまく使っているのが米国の防衛装備品メーカーである。自衛隊は米国製の装備品を数多く使用している。

 しかし米国のメーカーにとって最大の顧客は自衛隊ではなく米軍である。米軍の方が自衛隊よりは遙かに大きな利益を与えてくれる。彼らは時々、米軍が能力向上型に移行したので、自衛隊に部品等を供給するラインを維持するには値上げせざるを得ないと言う。自衛隊としては泣く泣く会社の要求を飲むことになる。日本の防衛産業ならこんなことはないのにと思いながら。

 これは米軍の自衛隊に対する装備品等の使用許可とも密接に絡んでいる。米軍が新しい型式の装備品に移行しても、通常は我が国に対しては最新型の装備品が使用許可にはならない。米軍の使用許可が下りなければ米国のメーカーは我が国に対し当該社の装備品を売ることは出来ない。自衛隊としては何度も何度も米軍に使用許可を要求し、ようやく使用許可が認められる。しかしその頃には、米軍は更に新しい型式の装備品に移行する。自衛隊はいつも米軍の一世代前の装備品を使用していることになる。米軍が使い残した残り物を使っているような形になることが多い。米軍と米国の会社が裏で手を組んでいるのではないかと勘ぐりたくなることもある。

 また近年では装備品能力の半分以上がソフトウェアによって決まる。ソフトウェアについてはこの傾向は一層顕著である。新しいバージョンのものが次々と出てくる。同じハードウェアを使用しながらソフトウェアは別物ということがよくある。米空軍のF−15型戦闘機と同じ戦闘機を航空自衛隊も使用しているが、ソフトウェアの違いにより、両者は全く別の戦闘機である。イラク戦争では最初から米国とともに戦った英国が1発のミサイルも発射することが出来なかったと聞いている。それは英国に対してさえ米国の最新のソフトウェアがリリーズされず、英国潜水艦等のGPS等を使った射撃回路が発射準備OKにならなかったからだということである。航空自衛隊は米空軍とのインターオペラビリティーを考える際ハードウェアに目が行きがちであるが、これからはソフトウェアこそがインターオペラビリティーの根幹であるということを認識しなければならない。


7 異民族支配を歓迎せよ
 日産自動車株式会社は日本の会社である。私が子供の頃から日産とかトヨタとかホンダとかはよく耳にしていた。この日産自動車がバブル崩壊後の景気低迷の影響を受け、会社再建のため大リストラが必要となった。しかし日本の会社は従来から終身雇用が会社の常識である。また日産自動車に部品等を提供する系列の会社が固定的に決まっており、多少値段が高くても、系列以外の会社からモノを調達することは考えられない。さらには日産自動車の工場などは、それぞれの所在地で多くの従業員を抱え、町の象徴的な存在として、社員はもちろんのこと町に自宅を構える人たちにとっても心のよりどころになっているようなところがある。工場の建物は町のランドマーク的存在であり、おらが町の日産である。会社再建のためとはいえ、おいそれと工場を閉鎖することなど出来はしない。このようなことから日産自動車は、経営状況が逐次悪化しているにも拘わらず抜本的な会社再建策を打ち出すことが出来なかった。

 そこで迎えられたのがゴーン社長である。ゴーン社長は、これらの日本的な価値観からは解き放たれた人である。彼の打ち出した日産自動車の再建策は、日本人の社長ではとても採用できないいわゆる血を見るものであった。「武蔵村山の日産の工場がなくなる? 馬鹿なことをいうな」というのが普通の日本人の感覚である。それは正に武蔵村山市の象徴的存在であったのだ。しかしゴーン社長はこれを無くする道を選択した。彼は従来の日本的タブーを次々と打破し、その他いろいろな再建策を打ち出した。その結果日産自動車はいまでは見事に再生した。会社の経営状態の細部について承知しているわけではないが、あのまま放置すれば倒産する可能性の高かった会社が、いまでは倒産の可能性がなくなった。日本人社長にできなかったことが外国人社長によって達成された。このとき日産自動車の社員たちは幸福であろうか不幸であろうか。

 日産自動車の社員のうち、リストラされて他に職を求めなければならなかった人たちにとっては、幸福なことではなかったかも知れない。しかし大多数の社員にとってはそのまま会社に継続勤務が出来ることになり幸福なことだったのではないか。あのまま放置されれば、やがて全員が職を失うことになってしまう。総じて日産自動車の社員にとって外国人社長を戴いたことが幸福であったのだ。ゴーン社長は日本人にとっては異民族である。異民族に支配されると不幸になるというのが多くの日本人の歴史観である。しかし異民族に支配された方が幸福な場合もあるということを日産自動車の例は教えている。

 外資系の会社に勤める人と日本の会社に勤める人とではどちらが幸福なのだろうか。それは一概にはどちらがいいとは言えないと思う。外資系の会社であれば社長は通常外国人であることが多い。外国人社長を戴く会社に勤めることが不幸であるならば、日本人は誰も外資系の会社に就職しない。社長が外国人であろうと日本人であろうと社員の幸福にとってはあまり関係がない。日産自動車の例を見れば、外国人社長によって強い会社が出来上がったし、いまは社員の人たちも将来への夢を持って仕事に精を出しているのではないかと思う。

 航空自衛隊に目を転ずれば、各編制部隊長はそれぞれの職域の専門家でなければならないかという命題がある。航空団司令は戦闘機パイロット、高射群司令は高射幹部、航空警戒管制団司令は要撃管制幹部であることがもっとも良いのだろうか。私はこれもゴーン社長の例と同じで職域とポストはあまり関係のないことだと思っている。状況に応じて適任者を配置すればよい。航空団司令が異民族である高射幹部だったり、高射群司令が異民族である戦闘機パイロットだったりしても、そのことと部隊の精強性や隊員の士気との間には殆ど相関関係はないといってよい。編制部隊長の仕事は戦闘機の操縦をしたりペトリオットの直接の射撃指揮をしたりすることではない。また要撃管制幹部として直接兵器割当てや要撃機の管制をすることでもない。航空団司令、高射群司令及び航空警戒管制団司令などに共通に必要とされるのは指揮官としての識見、技能である。これらの人たちには指揮官としての仕事があるのだ。

 指揮官の仕事とは、「@部隊の努力の方向と資源配分を適正にすること」と「A部下の最高の行動力を引き出す」ことだ。@のためには職域の知識、技能があったほうがいいに違いない。しかしこれについては幕僚が補佐してくれる。ところがAについては幕僚が補佐することは大変に難しい。私たちは部隊勤務の経験上そのことを知っている。部下が最高の行動力を発揮するためには、指揮官の言動に部下が感動していることが必要である。感動すれば人は動く。統御の本質が感化作用であると言われる所以(ゆえん)である。指揮官はその全人格をもって部下たちに感動を与え続けなければならない。それには職域の知識、技能の有無はほとんど関係がない。万が一指揮官の性格が偏屈だったり感情の起伏が激しかったりすると@の方向付けと資源配分についてさえ幕僚の補佐が得られなくなる。モノが言いにくい指揮官に対しては幕僚たちも次第に意見を言わなくなるからだ。指揮官は次第に裸の王様になっていく。

 自衛官は部隊において10年以上も自己の職務に精励していれば次第に自衛隊の運用についても理解が深まってくる。だから2佐や1佐にもなれば大多数の自衛官は、一部の特別な指揮官ポストは別にして、空自の指揮官ポストのほとんどを十分にこなせる能力があるといってよい。一部の特別な指揮官ポストとは、例えば戦闘機の飛行隊長のように部下隊員と同じ作業に従事する配置や研究開発等特別に深い知見を必要とする配置である。医官のポストなどもこれに該当する。そういうポストは職域の十分な経験なしには配置できない。しかし大多数のポストは職域の色に染めてはいけない。空幕の班長以上のポストなどもほとんどは職域に関係なく配置して良いと思う。むしろ同じ職域の人を継続して配置してはいけないという原則を作っても良いぐらいだと思う。いろんな経験を持つ人が配置された方が仕事にも幅が出るし組織も強くなる。同じ職域の人を継続的に配置するとモノの見方が偏る可能性がある。またいわゆる職域閥ができ易く、忠誠の対象が航空幕僚長ではなく、職域のボスであるというようなことになり易い。航空自衛隊の大同団結の障害になる。だから従来ある特定の職域のポストであると考えられていたところに別の職域の人が配置されても驚くことはない。その方が良いのだ。部下たちの業務や行動の内容を熟知している人が部隊等の最大戦力を発揮できるわけではない。指揮官としての仕事をしてくれる人こそが求められる。異民族支配を歓迎することが組織を強くする。尤(もっと)も異民族といっても自衛官の心構えや基本動作が確立され軍事のことが分かるというレベルの軍事的素養は必要である。全く部隊勤務の経験のない人を編制部隊長等に配置して「さあやってみろ」と言っても、まともなことは出来ないであろう。自衛官としてのキャリアがない人には、異民族過ぎて隊員もついて行けない。しかし10年以上もの部隊勤務の経験がある2佐や1佐になればほとんどの部隊を指揮できると考えてよい。

 また幹部自衛官個人に焦点を当てた場合にも、同一機能の部隊等を繰り返し経験するよりは、各種の部隊等の経験を積んだ方が視野が広がることは間違いないと思う。特に将来航空自衛隊を担うことになる組織後継者要員などは職域的に多様な配置に補職すべきであろうと思う。空幕においてもずっと防衛部とか、ずっと装備部とかいう配置にならないよう配慮すべきである。

 こう述べてくると私が職域の能力を軽視していると思う人がいるかも知れない。しかし決して職域の能力が軽視されてはけない。若い幹部の皆さんに誤解を与えてはいけないので、蛇足になるかも知れないが職域を極めることが大事であるということを確認しておきたい。自衛官は若いうちにはそれぞれの職域の専門家として鍛えられる。職域の違いはあっても、この経験によって軍事のことについて分かるというレベルに達することが出来る。分かるというのは、自分の判断が正しいと自信が持てるということである。全くの部隊勤務の経験なしには、部隊の運用や隊務運営について自信を持って判断が下せない。編制部隊指揮官等になったときに、幕僚等の補佐を受けながらも、自ら判断を下せるのはこれらの部隊勤務の経験があってこそである。すなわち職域の専門的知識、技能を磨くことによって、軍事専門家として成長するのだ。軍事的なものの見方、つまり戦略眼とか戦術眼は職域の知識、技能をベースにしているのだ。自衛隊の行動時において各級指揮官は至短時間に判断、決心を要求されることも多い。だから若いうちはそれぞれの職域の専門家として知識、技能の向上に邁進しなければならない。自衛官は軍事のプロを目指して勉強するのだ。軍事のプロとしての戦略眼、戦術眼がないと部下をして間違った方向に努力を集中させる恐れがある。部下が最高の行動力を発揮しても、指揮官の方向付けと戦力配分が不適切であれば戦いに勝つことは出来ない。携帯電話が普及し始めたとき、これに対抗しポケットベルの機能、性能の向上に努力した会社は全て損失を抱え込むことになったという。


8 部隊長権限の増大
 近年のコンピュータや通信ネットワークの進歩により、官公庁においても中央と地方が情報を瞬時に共有できるようになってきた。中央から見れば、地方をコントロールするための便利なツールを手にしたことになり、全てのことは中央で計画し、地方や末端ではその計画通り実行するのみである。分からないことがあれば何時でも中央に尋ね指示を仰げばよい。つまりコンピュータや通信ネットワークの進歩は中央集権を一層強めることになる。すべてが計画通り実施される平時における業務処理を考えればそれで十分であろう。しかし有事を前提とする自衛隊の業務処理は、いかに平時とはいえ、中央集権的になり過ぎてはいけないと思う。

 航空自衛隊でもC4Iシステムの整備が進捗するにつれ、末端のレーダーサイトの情報を航空総隊司令部や空幕において、リアルタイムで把握することが可能となった。現在のバッヂシステムを整備する際、総隊の指揮所で部隊を直接指揮するセントラライズドコントロールにするか、従来通り方面隊の指揮所を通じて部隊を指揮するディセントラライズドコントロールにするか議論になったことがあった。セントラライズして良いのではないかというのが議論の出発点であった。議論の結果、いま現在は従来通りディセントラライズドコントロールになっている。C4Iシステムが進歩すれば確かに中央から全ての部隊を直接指揮することは可能であろう。しかしそれはC4Iシステムに故障がないことが前提である。自衛隊は常に不測の事態を考慮しておくことが必要である。一旦作戦が開始されれば故障はもちろんのこと、被害により機能が低下する可能性は極めて大である。我々はそのような場合にも部隊行動が整斉と出来るシステムにしておかなければならない。ここが普通の官公庁の業務処理と自衛隊の業務処理の根本的な違いである。

 作戦においては、被害により上級指揮官との通信連絡手段がなくなってしまっても、部下指揮官が円滑に次の行動に移行できるように措置されていることが必要である。被害を考えれば自衛隊の業務処理は出来るだけディセントラライズドにしておかなければならない。そして必要な場合、例外的にセントラライズドにするのだ。ディセントラライズドにしておいて必要時に総隊司令官がセントラライズドで指揮することはC4Iシステムが機能していれば容易にできると思う。しかしその逆は難しい。セントラライズドが基本であれば、方面隊司令部などの幕僚に、直接任務を遂行する心構えも能力も育たないからである。平時における業務のやり易さや効率化のみを考えると、どんどんセントラライズドが進むことになる。しかしそれは作戦における抗堪性を低下させることになる。今後ミサイル防衛を考える場合、ミサイル発射のトリガーを引く権限は徹底的にディセントラライズドにしておかなければならない。総隊司令官は、「現在以降射撃してよい」という指示を与え、トリガーを引く時機の判断は高射隊の射撃指揮幹部に任せることが必要であろう。

 このように考えると、いま航空自衛隊が実施している業務処理も見直したほうがよいものが多くあるような気がする。すべてにおいてディセントラライズドになっていないと、部下指揮官としては常に上司の意向が気になり、迅速軽快な判断及び決心ができなくなる。しかしこれまでは上下の意思疎通や報告、あるいは部隊の管理などに重きを置いたために、業務処理は、どちらかといえばセントラライズドの方向に進められてきたのではないか。部隊長の権限を少しずつ奪ってきたのではないか。例えば隊員の服務事故などに関して懲戒処分に関する達で処分の基準が決められている。しかし現実に編制部隊長が処分するに当たっては上級部隊の承認をもらっている。内局が納得しない、空幕が納得しないなどといっておかみ上のご指導があることが多いので、部隊の幕僚としては上級部隊との調整が済んでから部隊指揮官に報告せざるを得ない。

 私はこれを直すべきだと思っている。懲戒処分に関する達の基準に基づいて部隊長が隊員の処分を行う限りは、上級指揮官に対しては結果を通知するのみでよいと思う。処分の基準はある幅を持ったものであり、その適用については、部隊長は裁判官の役割を果たすことになる。部隊長の判断にはそれぞれの部隊長の個性が出ることは当然である。ある部隊長は厳しく、ある部隊長は緩やかに処分を行うであろう。処分を各部隊長に任せているからには、これを良しとしなければならない。しかし上級指揮官から見れば、同じ程度の服務事故なのに、どうして処分がかくも違うのかということになる。さらに上級の指揮官から「お前はどういう基準で処分しているのか」と言われそうだというわけである。かくして隷下部隊のご指導が始まるということになる。

 処分担当の部隊長としては任されているはずのことなのに承認をもらわないと処分ができない。いっそのこと始めからお上に任せてしまえということになる。そして幕僚に質問をする、「方面との調整は終わったのか」と。幕僚も心得たものである。「空幕まで承認をもらっているそうです」。

 自衛隊の実戦的体質を維持するということを考えるとき、これでよいのだろうか。私はこのような業務処理が、中間司令部が自らの責任で判断し、行動する習慣を失っていく原因を作っていると思うのである。結局は自衛隊を弱体化することに貢献しているのではないだろうか。先に述べた懲戒処分も平時における業務処理のみを考えれば、それで完璧であろう。よく調整が実施されているほうがよいのである。しかし自衛隊のやることは、すべて自衛隊の精強化につながるものでなくてはならない。国の一般の行政機関は平時のことのみを考えるだけで十分である。しかし自衛隊は常に有事を念頭に置かなければならない。お上の指示がなければ動けないという部隊を造ってしまってはいけない。自ら判断し行動するという習慣を末端まで徹底しておくことが自衛隊を強くする。そのために平時からあらゆる業務処理は、ディセントラライズドにしておくことだ。下に任せてよいものはどんどん任せてしまえばよい。「仕事は部下がする、責任は上司が取る」という態勢が大事である。但し、これに「私の」という修飾語を付けてはいけない。それを付けると「仕事は私の部下がする、責任は私の上司が取る」ということになってしまうからだ。

 部隊からの申請を受けて上級部隊や空幕で承認するだけのものなどは、部隊長に任せてしまうことだ。そして任せたことは指導しないことだ。部外者の戦闘機等への体験搭乗なども、もっと部隊長に任せてよいと思う。航空団司令等が空自の広報の観点から、毎月2名を基準として搭乗させてよいというくらいにしてはどうか。団司令は基地対策上も大きな力を握ることができる。一つ一つを見れば特にあれこれ言うほどのことはない。しかし、ちりも積もれば山となるの例えどおり、それらの積み重ねが部隊の実戦的体質に影響を及ぼすことになる。

 編制部隊長等になった人も、可能な限り部下に権限を委任することを考えたほうがよい。自衛隊では従来、部隊の管理がうるさく言われてきたようなところがあり、権限の委任が十分に行われていない。あるいは形式上委任されていても実質上委任されていないことも多い。しかし任せて好きなようにやらせなければ部下は育たないし、航空団司令が飛行隊長の仕事に精を出すというようなことになる。団司令には団司令としての仕事があるはずだ。団司令の仕事は部隊の管理ではなく、会社で言えば経営である。社長が総務部長や営業部長と同じことばかり考えているような会社が発展できるわけがない。自衛隊の現状を見るに、実質的にお伺い体質が進みすぎているという気がする。だから部隊長の権限がもっと大きくなっていいと思うし、各部隊長も可能な限り部下指揮官に任せることを心がけたほうがよい。そして任せたことは指導しないで好きなようにやらせることが大切である。「好きなようにせい。結果が悪いときだけ処分する」と言っておけばよい。部外から何か言われたときには「私の部下が多分、状況に応じて最適の行動をとっていると思います」と答えればよい。


9 指揮官はわがままを言え
 私が初級幹部の頃には名物指揮官がいた。その中でも特に有名なU1佐(当時は2佐)に私は2等空尉の頃にお仕えした。私はU1佐に夕方5時から8時45分まで叱られた記憶がある。最初の1時間はどうして叱られているのかわからないが、とにかく大声でののし罵られる。2階建ての隊舎全体に響き渡るような大声である。私は隊長の机の前に直立不動の姿勢である。1時間ほどして私を叱っている理由の説明があった。どうかと訊ねられたので、私なりに意見を述べたところ、それが生意気だということで、また2時間以上も叱られてしまった。若手幹部は毎日交代で誰かが怒鳴られて、いや叱られているという状況だった。U1佐が隊長を離任するときは正直言ってホットした。その後U1佐は幹部学校の勤務を経て近傍のレーダーサイトの群司令で着任することになった。U1佐は有名だったので、サイトの関係者から「どのように対応したらよいでしょうか」と私のところにも質問が寄せられた。私は「どんな対応をしてもだめでしょう」と答えておいた。そしてそれが正しかったと、後にサイトから電話があった。しかしU1佐にお仕えした経験で私は叱られ強くなった。若いうちに怒鳴られてよかったと思っている。その後、怒ることで有名といわれる人に何人かお仕えしたが、U1佐に比べれば、怒るという点では足元にも及ばない人たちばかりであった。自衛隊35年分をあの時まとめて怒られたような気がしている。

 それにしてもU1佐の指揮官ぶりは、指揮の本質そのままだった。完璧な意志の強制である。隊長のほとんどわがままと言われるような命令にも私たち部下は精一杯がんばった。明朝より1週間早朝4時半出勤で草刈りを実施するとか雨の中の各種作業とか、本日の点検の指摘事項の修正は明朝6時までに完了するとか、何もそんなにしなくてもというような命令もあった。隊員たちも当初は多少不満を述べていたが、次第に命令に対する即応の態勢を整えてくる。しばらくすると隊長のどんな命令にも応じられるようになった。部隊の実戦的体質が向上したのである。私は軍というのは基本的にどんな指揮官の命令でも実行できる体質を保持していることが重要であると思っている。自衛隊においては、指揮官の命令は、たといどんなにわがままと言われる様なものであろうと実行されなければならない。それが失われてしまっては、極限状況下において自衛隊が任務を遂行することが出来ない。U1佐が隊長になってから部隊の環境整備は徹底し基地は大変にきれいになった。隊員たちもちょっと木の葉や小枝が落ちているような状況でも自発的に清掃をするようになった。私もよその基地に出かけると、環境整備がやや不足していると思うことがあった。隊員の挙措容儀や各種行動も非常にきびきびとしたものに変わっていった。端的に言えばそれまでややのんびりとしていた部隊がキリリと締まったということであろうか。

 そう考えるとU1佐の、ほとんどわがままとも言える指揮ぶりが、部隊をより軍としてあるべき方向に変えたことは事実である。しかし仕えている我々としては大変に辛い毎日だった。早く隊長が代わってくれないか、どこでもいいから早く転勤させてくれというような会話を交わすことも多かった。近隣の部隊の人たちからは、「お前のところは新隊員教育隊だとか、航空陸戦隊だ」とか揶揄されることも多かったが、幹部も隊員もいつしかうちの部隊は日本一だというような誇りを持つようになっていったような気がする。よその部隊には出来ないがうちの部隊なら出来ると思い始めていた。

 指揮官は、部隊を鍛えるために、伝統を造るために部隊に対し多少のわがままを言うことが必要である。自衛隊は困難な状況下で任務を遂行することを覚悟しておかなければならない。平時においても、困難なこと、無理と思われることにチャレンジし、それを成し遂げるところに部隊にも隊員にも自信が生まれる。誰かのためにチャレンジする精神こそが戦士の気質ではないかと思う。大昔から軍人は、戦士の気質を持った人を敵味方に関わらず尊敬し合った。自衛隊では職域が細分化され、パイロットであれば戦闘機の操縦、ミサイル射撃、高射幹部は戦術判断、射撃指揮、要撃管制幹部は兵器割り当て、要撃管制など、それぞれの特技の能力、いわゆる戦技能力を向上するため日々の厳しい訓練に明け暮れる。しかし特技に関わらず自衛官が共通に備えるべきは戦士の気質ではないかと思う。戦技はもちろん最重要である。しかし戦士の気質がないと、ことに臨んで持てる力を存分に発揮できないかもしれない。スポーツ選手でも最近はメンタル面のトレーニングが重視される。

 ところが最近の日本では、パワーハラスメントとかいう言葉も登場するようになり上司が部下に怒鳴ったり、無理を言ったりすることは、いけないことだというような風潮になってきている。自衛隊においてもあまり無理を言わない優しい上司が増えている。しかし上司が無理を言わなくなると、部隊や隊員たちの戦士の気質が失われていく可能性も大きくなる。私たちは、自衛隊入隊時、防大、幹部候補生学校や教育隊で教育を受ける。そこで行われる教育は、一つ一つ取り上げれば何故そのようにするのか理由の説明が出来ないようなものもある。いわゆる無理を言われており、一般社会から見れば厳しいといわれるようなものが多い。しかし課程教育によって自衛官としての基本的な資質が養われていることは事実であると思う。入隊後半年もして両親や先生や友人に会うと、「あの子は変わりました、しっかりしていて別人のようです」というようなコメントが学校等に届くことが多い。いわゆる戦士の気質が育成されたのだ。自衛官は生涯、戦士の気質を保持し続ける必要がある。そのために指揮官はわがままを言わなければならない。非常に卑近な例で言えば、食事をもっと美味しくせよ、隊舎の浴場は屋上に造れ、各種点検、監察などで指摘事項をゼロにせよとか、そういうものでよいと思う。とにかく指揮官は自分の部隊に対し、その達成にかなりの努力を要するような要求を出し続けることだ。それが部隊の実戦的体質を造り、部隊を強くする。

 もちろん部隊や隊員の状況を見ながら理性的に実施しなければならない。理性的であることが大事であり、感情を爆発させてはいけない。感情を爆発させることは、部下を萎縮させるし、他にいろいろな障害を引き起こすからである。過ぎたるは尚及ばざるが如しのたとえ通り、戦士の気質の育成にマイナス効果になってしまうことが多い。昔流に部下を怒鳴り回す時代ではなくなっている。自分が部下を怒鳴り回していると思う人は無理を言わない方がよい。貴君は今でも十分無理を言っている。


10 留学生を増やす
 自衛隊の海外における活動がごく当たり前のようになって来た。今後も任務や活動範囲はどんどん広がっていくであろう。十数年前までは1千マイルのシーレーン防衛とか言っていたが、今では1千マイルどころか、遙かインド洋やイラクまで陸海空自衛隊の部隊が展開している。もはや自衛隊は、世界中のどこへでも展開の可能性があると考えておいた方がよい。海外における活動が増加すれば、当然外国の軍と共同で各種任務や行動を実施することが多くなり、その準備等に当たっても、各国の軍の便宜供与を受けたりすることが増えてくる。

 また今のところ我が国政府は、集団的自衛権は行使できないとしているが、有事法制をめぐるこの数年間の我が国政治の動き、また憲法改正の動きなどを考慮すれば、次の10年の間には、それも行使できるようになる可能性は極めて高いと考えられる。そうなると国際的なテロ対処などで、諸外国の軍との共同作戦を行い、自衛隊がリーダーシップをとるような場面も十分に考えられる。さらにはテロ対処に当たっては国際的な情報協力態勢が大切であり、C4Iネットワークなどハードウェアの整備とともに、直接人から人を通じて情報をとる、いわゆるヒューミントの態勢強化が不可欠である。このようなことから自衛隊は、多くの国に知り合いというか友人を持つことが必要になってくる。

 いま自衛隊のインド洋やイラク派遣を通じて日米同盟関係はかつてないほどに緊密な関係になっている。日米の制服間の信頼関係を強化することはもっとも大切なことであるが、今後の国際関係を考えれば、日米関係を基本として、その他の国との間でも制服相互の信頼関係を構築することが必要である。スタッフトークスなどでいろんな国との交流が始まっているが、2〜3日のスタッフトークスではお互いにその人となりを理解しあえるところまでいくことは難しい。最も良い方法は、統幕学校や陸海空の幹部学校に多くの留学生を迎えることではないだろうか。いま各学校に1〜2名が入校しているが、私は学生の3分の1ぐらいは留学生にするぐらいでよいのではないかと思っている。もちろんカリキュラムの変更、宿舎の準備等留学生の受け入れ態勢を強化することは必要であるが、莫大な経費を必要とするものではない。

 学生で1年間一緒に学ぶということは真の友人になるのには極めて良い方法である。私は防衛研究所の38期一般課程の卒業生であるが、米軍、オーストラリア軍、米国務省などの留学生とは今も気のおけない関係が続いている。言葉の問題があり、彼らが講義の内容などをどれほど理解しているかは問題であるが、それにも拘らず日本人と同じような感じで「そんなことはないだろう」などと言える関係なのだ。いわゆる無理を言い合える関係が出来あがった訳であり、そのためには共に学生生活を送ることがもっとも良いのではないかと思う。仕事上で米軍の人たちと友達になるが、学生で共に過ごした人たちと同じほどの関係にはなかなかなれない。防衛研究所に限らず、陸海空の幹部学校などで留学生と一緒に勉強した人たちは、やはり同じような感じを持っているのではないかと思う。ともに学生であれば個人的な関係が出来上がるが、仕事を通じた関係のみでは、公式な関係であり、ややバリアがあるような気がしている。

 自衛隊が留学生を受け入れれば、相互主義に基づいて、自衛隊からも受入国の国防大学等に対し留学生を送ればよい。これを毎年続けることによってそれぞれの国との間に複数の太いパイプが出来上がる。従来の積み上げ式の予算編成では、一気にそんなことは出来ないという意見が出て来そうであるが、国の政策としてこれを進めてはどうかと思っている。幹部学校等における教育が、純粋に教育効果のみを追求するのではなく、関係諸国間の軍人の相互理解のため、そして信頼醸成のためにも十分な役割を果たすことができると思う。文藝春秋5月号に、イラク派遣部隊指揮官である陸上自衛隊の番匠1佐が、現在イラクにおいて各国から派遣されている指揮官のうち数人が、米国留学時のクラスメートであり、大変心強く思っていると書いていた。米軍の学校が提供してきたと同じように、これからは自衛隊の幹部学校等も国際交流推進の場として使われていいと思う。

 昨年イギリスの国防大学の学生約10余名が我が国を訪問した。引率教官の話によると学生総数70名のうち43名が海外からの留学生であるといっていた。これらの学生が7個グループに分かれて世界各国を約1カ月かけて研修する。日本を訪問したグループは、日本、韓国、ベトナム及びタイをそれぞれ1週間ずつ訪問するということであった。わが国の統幕学校などとはスケールが違うということを認識させられたが、今後は自衛隊の幹部学校等における教育も、わが国の国力に相応しい国際スタンダードに添うような形に修正していったらよいと思う。効率化、合理化とか必要性の議論をすると現状維持が精一杯になってしまうが、今後は自衛隊も政策的な判断をもっと強く打ち出していくことが大切ではないだろうか。自衛官が今後国際舞台で行動することは増えてくると思う。いま3自衛隊の統合運用が進められているが、やがて統合運用に伴う学校教育のあり方も、更に具体論に踏み込むことになる。その時に学校教育の国際化についても議論したらいいと思う。経費もさほど必要とせず、決心さえあればすぐにできる留学生受け入れ、そしてわが国からの留学生の派遣を今後早急に拡大していけばよいのではないか。


 おわりに −防衛産業を守る− 
 3回にわたり「航空自衛隊を元気にする10の提言」を執筆してきたが、終始頭の中にありながら最後まで書き残してしまったことがある。それは「防衛産業を守る」ということである。終わりにあたりこれについて触れて筆を置くことにしたい。さて我が国の防衛産業から見て、航空自衛隊は頼りになる存在であるだろうか。指揮官が部下や部隊から頼りにされるのと同じように、航空自衛隊は、自衛隊の戦力発揮を支える防衛産業から頼りにされる存在でなければならない。こう言うと自衛隊が一企業に加担していいのかと言う意見が出てきそうであるが、自衛隊と防衛産業はそんな単純な関係ではないのだ。防衛産業は自衛隊の戦力の一部なのである。利益の薄い中でも国家のために頑張ってくれているのが我が国の防衛産業なのだ。

 旧調達実施本部における調達不祥事により、防衛調達の適正化について検討が行われ、その中で「競争入札の強化」の方向性が打ち出された。これに基づいてその後具体策を推進中であるが、私はやや行き過ぎているという気がしている。それは防衛装備品を製造するいわゆる防衛産業を守るという視点が欠落しているのではないかということである。我が国は諸外国が保有する軍事工廠を保有せず、自衛隊の戦力の維持整備を民間の防衛産業に依存している。また我が国の防衛産業は武器輸出を認められず、自衛隊だけが顧客となるため、少量生産になり、装備品の価格はどうしても割高になる。これらの特性を考えると、自衛隊は「防衛産業を守る」ということを国家政策として強く打ち出すことが必要ではないかと思う。万が一我が国の防衛産業がなくなれば自衛隊の戦力発揮は不可能になる。競争入札の強化一辺倒では我が国の防衛産業の経営は立ち行かない。従来我が国の防衛産業は、たとい利益が少なくとも国家の事業に貢献できることを誇りとして、自衛隊関連の事業に取り組んできた。そして戦後の右肩上がりの経済が続いている間は、自衛隊は防衛産業を守るということをそれほど意識する必要はなかった。しかし景気が低成長時代に入り、更には近年のように株主の権利が重視され、利幅の薄い事業を止め、利幅の多い事業に転換を迫られるようになると、各企業は防衛事業から手を引かなければならない状況に追い込まれる。今では日産自動車のように防衛事業から手を引く企業はあっても新規に防衛事業に参入する企業はない。利益があるところには新規参入は必ず起こる。防衛に関する事業はいまあまり利益が出ないのだ。だから自衛隊はいま勇気を持って「防衛産業を守る」ということを内外に宣言する必要があると思う。たとい価格が割高であっても、あえて国産にするという選択をしなければならないときもある。経費を安く抑えることだけが国益にかなうのではない。今のままでは防衛産業が会社経営上、背に腹は替えられないということになり、やがて防衛事業から手を引くようになってしまう。そうなれば自衛隊の戦力発揮も各種制約を受けることになるのではないかと心配になる。米国でも軍需産業は、一般製造業の2倍の利益率を米軍から保証されると聞いている。

 またいわゆる防衛産業ではないが、自衛隊が多くの外国製装備品を使用していることから、我が国の商社は、その輸入業務などで自衛隊との取引を実施している。今回のインド洋やイラクへの自衛隊派遣に当たっても、海外における契約業務の代行などで我が国の商社が活躍してくれている。これら日の丸商社の支援なしには、自衛隊の任務は完遂出来ない。防衛産業を守ると言った場合、それは国産にするということであり、武器輸出が出来ない我が国においては、それによって防衛に関する商社の売り上げは減少することになる。自衛隊としては一方でまた自衛隊の任務遂行を支えている日の丸商社に対し申し訳ない気がする。いま与党などで武器輸出緩和の動きがあるが、私個人としてはこの動きを歓迎している。我が国が武器輸出が出来るようになれば、防衛産業を守ることと商社の利益は対立しなくなる。また武器輸出が可能になれば、防衛産業が日米共同開発や国際共同開発などの防衛関連事業に心おきなく参加できるようになる。我が国の経済に着目すれば、武器輸出は出来る方が国家の利益になると思う。

 しかしこのような防衛産業や武器輸出に関しても、これまで国民には十分な情報の提供は行われていない。自衛官は出来るだけ発言を控え、問題や摩擦を起こさないという慎重な姿勢をとってきたからである。もちろん我が国の戦後の政治情勢などを考えれば、それはこれまでは正しい選択であったと思う。しかしこれからは慎重な対応では我が国が困ると思う。これまで慎重に対応しようとして各級指揮官が極めて控えめに発言してきた結果、自衛隊の抱える問題点は国民に十分に理解されなかったし、自衛隊が不当な非難を受けて部隊の士気が低下することも多かった。これでは自衛隊が効果的に行動し任務を完遂することは出来ない。今後の自衛隊の任務を考えれば、自衛隊の指揮官、特に上級の指揮官は、部外に対しもっと積極的に発言していくことが必要であると思う。それによって自衛隊に対する国民の理解を深めるとともに、部隊の士気を高揚させることが出来る。

 石破長官が言われるように、いま自衛隊は機能する時代になった。今こそ自衛隊は元気を出さなければならない。その鍵を握っているのは自衛隊の各級指揮官である。指揮官によって部隊は変わる。部隊勤務において私たちは何度もそれを経験している。例えば部外対応などで、指揮官が強い姿勢をとれば部下も強くなれるし、指揮官が慎重であれば部下も慎重にならざるを得ない。隊員はいま強い指揮官の出現を待っている。幹部自衛官は、あの人だったらやってくれるのではないかと言われるような指揮官を目指すべきである。これまで自衛隊は、出来るだけ部外との摩擦を避けようとしてきた嫌いがあり、反日的日本人などの不当と思われるような批判にもじっと堪え忍んできたようなところがある。しかしこれからは各級指揮官が言うべき正論はきちんと言わなければならない。問題や摩擦が起こることを問題にしてはいけない。いま大事なことは摩擦を恐れないことだ。摩擦がなければ進歩はないと知るべきだ。そこで上司は部下に次のようにいってやるのだ。「君は摩擦が起きるほど頑張ってくれたのか」と。

(完)

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