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第5回「医療政策の転換を」(連載企画「KAROSHI−問われる医療労働」)

矛盾深める現場
 
「医師や看護師の過重労働のベースには『聖職者意識』があり、少ない人員で高度な医療を支える“原動力”になってきた。自分の身を顧みず、医療に尽くす非常に尊い考え方だが、限度がある。医師や看護師の労働は、もはや“破断限界”に達している」
 「過労死弁護団全国連絡会議」の代表幹事として、医師や看護師を含む多くの過労死裁判に携わってきた松丸正さんが、医療現場の労働環境に危機感を強めている。

 小児科医中原利郎さんは、40歳代半ばで、一般の小児科医の1.7倍に当たる月平均5.7回の当直を強いられた。翌日の通常勤務を含め、連続勤務が32時間以上に及ぶことも少なくなかった。行政訴訟では、「うつ病の原因として業務外の出来事は見当たらず、病院での業務が精神疾患を発症させ得る危険性を内在していた」として労災を認定。民事訴訟の控訴審判決でも、病院側の「安全配慮義務違反」は否定したが、うつ病と業務との因果関係は明確に認めた。
 また、看護師村上優子さんは、日勤を終えた後、最大で4時間の残業を余儀なくされ、帰宅が午後10時ごろになるときがあった。そのまま睡眠を取れず、午前零時半からの深夜勤に入るなど、日勤から深夜勤、準夜勤から日勤の勤務間隔が5時間程度しかないことも少なくなかった。大阪高裁は、村上さんの時間外労働を「過労死認定基準」以下の月50−60時間と算定したが、「過労死認定の判断は、時間外労働時間の量のみに基づくのは相当ではなく、その量に併せ、業務の質的な面を加味して総合的に判断する必要がある」として、労災認定した。

 中原さん、村上さんの裁判などを通じ、松丸さんは、「医師や看護師の過労死を防ぐには、医療現場が『労働基準法』を順守することが欠かせない」と指摘する半面、医療労働をめぐる根本的な“矛盾”について強調する。「当直を労働時間として認め、賃金や代休を保障する、完全交代勤務や夜勤制限を実施するなど、医師や看護師がまともな労働条件で働けるようにすることが喫緊の課題。しかし、労基法が“壊れている”現場に、一気に守らせようとすると、逆に医療が立ち行かなくなる。日本の医療現場は、『医療従事者か、医療か、どちらが先に壊れてしまうか』というほどに、自己矛盾をはらんでいる」

医療費抑制政策の限界
 
「当直明けの通常勤務の休み時間に、医師がベッドに腰掛け、壁に寄り掛かって仮眠している姿を見た時には、何とかしてやらなければと、心が痛んだ」
 栃木県済生会宇都宮病院(宇都宮市)では、小児科医が不足し、勤務医が32時間の連続勤務を月7−9回もこなさなければならなかった時期がある。

 同病院の院長で、NPO法人(特定非営利活動法人)「医療制度研究会」の理事長を務める中澤堅次さんが、当時を振り返りながら、医療現場の矛盾について打ち明ける。
 「病院経営では、多かれ少なかれ、どの病院も無理している。過労死裁判などを通じ、医師や看護師の過酷な労働が明らかになっているが、労基法を守れている病院は一つもないだろう。言い換えると、病院が労基法を守れないことを国が放置してきたと言える」

 中澤さんは、病院側の「安全配慮義務違反」を認めなかった中原さんの民事訴訟の控訴審判決について、小児科医が6人から3人に半減し、当直の負担が中原さんに及んだことなどを挙げ、「(平均して)月6回以上の当直が常態化することは、人間の精神的・肉体的な疲労回復能力を超える。判決ではうつ病という疾患とその予知に問題がすり替えられているが、過剰な日常労働の負荷と自殺との関係で議論され、その結果で病院の責任範囲は決められるべきだと思う。この問題は病院の責任だけでは終わらず、その上に社会問題化している医師不足にまで議論が及び、医療の構造的な問題が検討されるべきである」と言う。

 中澤さんは、長年の医療費抑制で医師不足などを深刻にした国の医療政策の在り方を問い直す必要性を訴える。
 病院は、医師や看護師を増やそうとしても、医師がいないから、余裕のある体制を整えるほどの人員を雇うことができない。一方、マンパワーに合わせて救急の受け入れをやめたり、診療科や病棟を閉鎖・縮小したりすると、収益が下がるのは当然だが、地域では“たらい回し”状態になり、非難を招く。医師不足問題は病院だけで解決できるわけでもない。

 このように、日本の病院が“負のスパイラル”に直面していることについて、中澤さんは、「病院が危機感を持って、何とか医師や看護師を確保しようとしても、絶対数が不足している上に、経営上の資金不足で自由に医師が増やせない。労基法を順守したくても、実情は不可能である。では、『なぜ、こんな問題が起きるのか』を追究していくと、医師の養成を医療費抑制の手段としてきた医療政策に原因があることが分かってくる」と指摘。こうして医療労働の問題の本質を突き詰めていくと、「医師や看護師不足の解決には、財源を確保し、需要に合わせて医師を養成すべきだったという議論に行き着く。財源については、国民が『どんな医療を望むか』という国全体の問題に位置付けられる。医療費抑制政策を変え、医師や看護師を増やさなければ、医療を支え切れなくなる。中原さんの過労死裁判はその象徴であり、国民医療をどうするかが問われている」と強調する。

国民を含めた合意づくりを
 
日本の医師数はOECD(経済協力開発機構)加盟30か国中27位で、各国平均に比べ約14万人も少ない。看護師数も欧米先進国より極めて少ない。医師や看護師など医療を支える担い手の数が先進国の「標準」を大きく下回っているが、これは、医療現場だけでなく、全産業を含む労働政策の在り方とも深くかかわる。

 労働問題に関する多数の著書がある関西大経済学部長の森岡孝二さんは、その典型として、日本が労働時間に関連する国際条約を何一つ批准していないことなどを挙げる。「ILO(国際労働機関)は1919年に、『8時間は労働、8時間は休息、8時間は自分のために』という19世紀末のメーデーのスローガンにもある8時間労働制をうたった第一号条約を定めたが、日本はいまだに批准していない。日本も47年に施行された労基法で『8時間労働制』を宣言しているものの、現実には逸脱しているケースが少なくない」。

 医療を含む労働についても国際的に大きく立ち遅れているが、森岡さんは、「国際条約は、国内の法制度が、それに対応して整備されていることが批准の条件となる。しかし、日本は、変形労働時間制や残業時間の延長など“無制限の労働”を助長する規定を労基法に盛り込んでおり、労働時間制度の理念や設計という根本から、批准の条件を欠いている」と指摘する。

 近年、医師や看護師など専門的・技術的職業従事者の労働環境が特に深刻化していることを指し、「長時間労働は、労働者の心身に有害であることに加え、個人の自由時間や家庭生活、社会参加にも悪影響を及ぼし、社会の持続可能な発展を危うくする」と、働き方をめぐる国民的な合意づくりが急務になっていることを強調する。

 医師の労働時間について、埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏さんが、日本と英国、フランス、ドイツを比較したグラフを基に、「日本では、59歳まで週60時間以上の労働を余儀なくされている。他の国では20歳代でも60時間未満で、日本の医師の労働時間が圧倒していることが分かる。しかも、日本だけ80歳以上の医師の労働時間まで記されている。日本の医師が高齢になっても、なかなか引退できないのは、医師不足によるところが大きい。『犠牲のない献身こそが、真の医療奉仕につながる』というナイチンゲール(1820−1910年)の精神が、日本の医療界では全く忘れ去られている」と指摘している。

 森岡さんは、「医師や看護師の勤務条件を改善し、健康で働けるようにして過労死をなくすことが、医療を向上させ、患者の命や健康を守ることにつながる。この緊急課題に対し、適切な対策が求められており、長時間・過密労働を是正するため、国の厚生労働政策の転換が不可欠だ」と力説している。
(山田利和・尾崎文壽)

(終わり)

【関連記事】
第1回「増える過労死」(連載企画「KAROSHI−問われる医療労働」)
第2回「壊れる医療現場」(連載企画「KAROSHI−問われる医療労働」)
第3回「足りない担い手」(連載企画「KAROSHI−問われる医療労働」)
第4回「脅かされる患者の安全」(連載企画「KAROSHI−問われる医療労働」)
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更新:2008/11/08 00:00   キャリアブレイン

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