空中キャンプ

2008-11-07

バターとマーガリン

いぜん、わたしの働いている会社にヤスダ君という男の子がいた。歳は二十四でまじめな性格だった。誰に対しても愛想がいいので好かれていたし、仕事もていねいにやってくれていたが、ただひとつ欠点があるとすれば、彼はわたしが今まで見たことがないくらいに字がへただった。彼に記入してもらった書類は、なにか見知らぬ言語で書かれた不吉なメッセージのように見えた。

「ヤスダ君、この書類のここ、なんて書いてあるの」とわたしが訊くと、「ええと、これは、なんて書いてあるんでしょう…。わかりません」と彼は答えた。彼自身にすら、判読は不能だったのだ。「ヤスダ君が読めないとなると、これ誰も読めないよ」とわたしがいうと、「ええ、はい。すいません。でも、うまく書けなくて、字が」と彼は弁解した。

これは字のへたな人に共通することなのだが、たいていの場合、字がとても小さい。ひとつひとつの文字が小さすぎて、判読がむずかしい。だからさらに読みにくくなる。字がへたなことと、字が小さいことには、バターとマーガリンくらいの差しかない。文字を大きく書けば、なにが書いてあるかはだいたい想像がつくし、多少の悪筆はなんとかなるものだ。ヤスダくんの字もやはり、ものすごく小さかった。

たとえば、書類には数字の記入欄があり、そこにはあるていどスペースのよゆうがある。数字は重要なので、欄を大きくして、なるべく見やすい字が書けるようにしてあるのだ。ところが、ヤスダ君の書く数字は、記入欄が暗黙のうちに要求する文字の大きさに、まったくといっていいほど合っていなかった。

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彼の書く「12」は、体育館のまんなかに誰かが置き忘れた運動靴みたいに見えた。わたしは彼に、もうすこし大きな字を書いてみることを提案した。「ヤスダ君は字がへたなんじゃなくて、小さすぎるんだよ。記入欄をいっぱいに使って数字を書いてみればいいんじゃないかな。せっかくこれだけの大きさがあるんだから、遠慮しないで書いていい。こんなぐあいに」

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わたしは、どこへ出しても恥ずかしくない、とびっきりの「12」を書いてみせた。自信に満ちあふれ、大胆で、なんら臆するところのない、特大の「12」が書かれた記入欄は、相撲取りの乗った軽自動車のようだった。ヤスダ君は意を決したようにペンを取り、もう一度、記入欄に「12」を書きはじめた。ちょっとくらいはみだしてもいい。すごい「12」を書いてくれとわたしはおもった。

ヤスダ君はペンを握り、うーんうーんと唸ってから、「できません」と残念そうにいった。「どうしても書けないんです。手をどうやって動かしたら、字をあんなに大きくできるのかわからなくて…。今まで、字を大きく書いたことがないんです」と、彼はもうしわけなさそうにいった。そして「中でも、2は苦手なんです。4なら、もうすこし大きく書けるとおもうんですけども」と、つけくわえた。「気にしなくていいよ」とわたしは答えた。