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“鈴ヶ森”に迷い…三浦和義の葬儀へ「お疲れさま」

高須基仁「人たらしの極意」

 先月10日、ロスで死去した盟友、三浦和義(享年61)の葬儀が3日午後6時、東京・平和島にある平和の森会館で営まれた。

 私は、時間通りに行くつもりで東京・浅草の社を1時間前に出た。カーナビをつけていたが、その調子が突如悪くなり、式場に近づいているはずなのに、平和島の奥へ奥へと迷い込み、あの鈴ヶ森に近づき焦った。

 6時を過ぎてようやく会場に入った。メディアの取材陣が多数おり、その人込みに紛れて入ると、会場の奥に私の席がぽつんとあった。場内を見渡すと、200人余りの参列者だった。

 思わず独り言が漏れた。

 「意外と少ないな…」

 参列者の顔を眺めると4種類の人たちがいた。冤罪問題で戦う人権派の運動家。三浦が最後の拠り所としたある右翼政治団体関係者。きっと私もその1人であろう闇の人たち。そして、親族や事務所関係者−。それぞれが4分の1ずつという割合だった。

 喪主を務めた妻の良枝さんは今も、三浦の死の真相に強い疑問を持つだけに「真実が明かされることを願っています。でも夫はもう帰らぬ人になってしまいました」と語り、「現在、夫の死亡証明書は死因未確定となっています。とても無念で苦しくて悲しいばかりです…」と号泣した。

 私は、じっと彼女の話に耳を傾けた。

 それぞれの焼香も済み、式は1時間ほどで幕を下ろした。私のところには、右翼団体「二十一世紀書院」の蜷川正大会長、そして連合赤軍の元活動家、植垣康博さんがやってきて、それぞれに「ごくろうさま」と声をかけてくれた。

 そして、馴染みの新聞記者が、「何かありますか?」と聞いてきた。

 私は「四苦八苦の人生だったね。でも、私と三浦は楽しいことばかりをやってきた。とりわけ、彼と濃密な付き合いがあったこの7年は、女性を中心として楽しい時を過ごせた」と答えた。

 三々五々、人が去る中、私は黙ってうなずきながら、良枝さんやご子息、三浦の主任弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士にも敢えて声をかけずに会場を出て、車に乗り込んだ。

 行きは、ガラガラの道に1時間以上かかったのが、帰りは浅草までたった20分で帰り着いた。ナビは憑きものが落ちたように、妙に正常に作動した。

 その間、ハンドルを握る私は、脱力感と虚無感が交互に襲うのを感じた。ぐったりした。

 私は敢えて言う。

 「これでよかったのだ」と。まさに、今よくテレビCMで流れている言葉ではないが、“疲れ”に「お」と「さま」をつけてねぎらいたい気持ちなのである。

 左右の重鎮である植垣さんも、蜷川会長も口々に「これからだよ」と言ったけれど、私は「もういい、これで…。本当に疲れたんだよ…」と告げた。(出版プロデューサー)

 ■高須基仁の“百花繚乱”独り言(http://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji)

ZAKZAK 2008/11/06

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