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「どなたが大統領になられようと、50年以上の長きにわたり培ってきた関係を維持していく」。米国の次期大統領にオバマ氏が当選したことについて、麻生首相はこう感想を述べた。
これは、のんきすぎないだろうか。祖父の吉田茂元首相の時代から日米関係は外交の基軸だったのは事実だし、それを保ちたいと思うのは当然だが、「ブッシュ後」の米国が、そして世界が大きく変わろうとしているという鋭敏な時代認識が感じられない。
選挙中、オバマ氏が発したメッセージを思い出してみよう。
突出した軍事力を背景とした単独行動主義の誤り。他国を単純に敵か味方かに分けてしまう二元論的な外交の浅薄さ。対話や国際協調、多国間外交の重要性……。
さらには、小泉元首相以来、安倍、福田、麻生の歴代首相の政権が支持してきたイラク戦争への反対を主張していたのではなかったか。
冷戦後、そして9.11テロを経た世界が米国の一極支配と呼ばれる様相だったのは確かだ。その中で日本の歴代政権は日米同盟の重要さを強調し、米国に寄り添うことが日本の国益にかなうと言ってきた。「日米関係が良ければ良いほど、アジア諸国との関係もうまくいく」と語った小泉氏の発言はその象徴である。
だが、その米国の次期大統領が一極支配型の外交からの脱却を語る。イラク戦争とテロとの戦い、押し寄せる経済の危機を思えば、そうせざるを得ない世界の現実があるということだ。
日本政府にとっては、ハシゴをはずされた感があるに違いない。あれほど無理を重ねて自衛隊をイラクに派遣したのに、この戦争には反対だったと米国の指導者に言われてしまうのだ。
開戦の大義が失われたことや戦争の誤算が判明した時にイラク攻撃への支持表明を修正していればまだしも、こだわり続けたつけが回ってきた。
むろん、米国との関係が日本外交の基軸であることは今後も変わらない。だが、とにかく米国の戦略に付き従うことが自動的に国益にかなうと言い張れた時代は過ぎ去ろうとしている。
いや、米国自身が自らの再生と世界の立て直しのために、同盟国や友好国の力の発揮を必要とする時代がやってくる。アフガニスタンやイラクの再建から核拡散の抑止、温暖化への対策まで、各国ができることで力を合わせる。そうしたイメージだろうか。
米国と協調しつつ、日本も独自の主張と行動を組み立てていかなければ国際的な発言力を確保できない。その意味ではオバマ時代の世界には、日本の外交力を発揮する絶好の機会が開けていると見るべきだ。この50年と同じ日米ではなく、新しい日米協力を築く気概を日本の政治に求めたい。
「防衛省の天皇」と呼ばれた守屋武昌・前防衛事務次官に懲役2年6カ月の実刑判決が言い渡された。
次官時代の約4年間で接待ゴルフを120回。現金も含めて約1250万円相当のわいろを軍需専門商社の幹部から受け取った。国会での証人喚問では、うその証言を繰り返した。接待を受けた商社が有利になるよう部下に指示するなどの便宜もはかっていた。
裁判で認定された守屋被告の罪状である。国の安全を託された25万人の自衛隊組織のトップがここまで腐っていたとは、今さらながら驚かされる。
裁判長は「防衛行政や国家公務員に対する国民の信頼を著しく傷つけた」と断罪した。被告は控訴したが、判決を読む限り、実刑も当然だ。
事件をきっかけに問われたのは、法廷で裁かれた罪だけではない。
守屋被告は防衛庁時代からの有力官僚として、人事や予算、重要政策に大きな影響力を発揮してきた。特に、自分の親しい人物を中枢に登用し、批判的な人間を左遷、冷遇する人事の偏りは際だっていた。
強引な人事には、頻繁に交代する防衛庁長官では口を挟めない。優秀な人材が枯渇する一方、組織の士気が下がるなど、後遺症は防衛省、自衛隊に今も影を落としている。
トップの犯罪は、必然的に組織全体のモラルを低下させる。
この事件の反省もあって防衛省は今年8月、規則順守を徹底させるための計画を作って実施したが、その後も不祥事は絶えない。9月には格闘訓練で海上自衛隊員が死亡し、10月には防衛医大教授が収賄容疑で逮捕された。
政府見解を否定する論文で更迭された前航空幕僚長も、部外に意見発表する際の手続きを踏んでいなかった。自衛隊は他の組織以上に、規則や規律を守ることが重視されるべきところだ。綱紀の乱れはとどまるところを知らない。
守屋汚職の根底には、武器など装備品の調達をめぐる不透明性がある。これを改善するため、防衛省は来年末をめどに大がかりな組織改革を考えている。だが、重要なのは不祥事を生む体質を改めることだ。組織いじりだけでは解決にはなるまい。
文民統制の根幹は国会によるチェックであり、政治の役割が大きい。なのに当時の首相や閣僚、国会はそれを自覚せず、守屋次官の専横を許した。そればかりか、彼と有力政治家が緊密な関係を結び、互いに利用しあった面すらある。かかわった政治家は重い責任を再確認すべきだ。
防衛省には自ら体質を改める力があるのか。政治は文民統制を機能させられるのか。そんな疑問を抱かざるを得ないほどに、現状は深刻である。前次官を裁いただけでは何も終わらない。