蟇目の儀(ひきめのぎ)には誕生蟇目、屋越(やごし)の蟇目と祓の蟇目があります。蟇目とは矢の先に付けた蟇目鏑の事で木を挽いて削るので引目と言い、またはその形が蛙(蟇蛙)に似たところから蟇目とも言われています。風を切り、音を発しそれによって魔障を退散させるのです。
屋越の蟇目は病魔退散や魔障退散の儀式であり、八幡太郎義家、源三位頼、政また、加賀美次郎遠光が紫宸殿の魔障退散を行ったことで有名です。
誕生蟇目は懐胎5ケ月目の15日の『帯の祝』『出産』に際して、射手を定め蟇目を行い、胎児の健康なる成長を祈り行なわれたものです。畳の裏と天井の裏は最も汚れた魔障の巣とされていたところから、畳を裏返して横に立て、白地の扇を7間開いて折紙と共に畳に挟みます。射手、矢拾は大切な役で、徳川家綱将軍誕生の折りは、射手は酒井雅楽頭忠清、矢拾は舎弟日向守忠能というように記録として残されています。『吾妻鏡』にも北条政子が源実朝を出産した折りに蟇目が行われたことが記されています。射手等の所作については厳格な規矩があり、足の踏みかた一つにも七歩の返閇等厳粛に行なわれます。
拔の蟇目は祈祷の時の「よ蟇目」とも呼ばれ、『平家物語』の中にも度々記述がなされています。
現在は大的式、百々手式の時に行われておりますが、下賀茂神社では、葵祭りの前儀として勅使の通られる楼門を祓う「屋越の蟇目」が行われ、住吉大社では全国弓道大会が無事終了することを願う「祓いの蟇目」が行われています。
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