強制連行などで日本に渡った朝鮮人や被差別部落の人たちが採鉱・運搬にあたった京都府中部のマンガン鉱山。その歴史を伝える「丹波マンガン記念館」(京都市右京区京北下中町)が、来年末にも閉館することになった。在日コリアン1世の初代館長、李貞鎬(イジョンホ)さんの遺志を継いだ三男龍植(ヨンシク)さん(48)ら家族が手弁当で20年間支えてきたが、公的支援もなく限界がきたからだ。今夏に初めて訪れた私は、日本近現代史の光と影を伝えてきた一家の執念に粛然とした。
マンガンには鉄の耐久性を高める性質があるため、軍備の強化が始まった明治以降、国内需要が急増。日本有数の鉱床が分布する兵庫県篠山市付近から琵琶湖西岸までの一帯では開発が進み、大小約300の鉱山が点在した。特に丹波地方は良質のマンガンが採れたという。
1932年生まれの貞鎬さんは1歳の時、仕事を求める父と一緒に来日。51年に在日2世の任静子(インチョンジャ)さん(74)と結婚し、3男2女をもうけた。55年には鉱業権を手に入れて「一国一城」のあるじになった。
だが、時代の波は貞鎬さんを押し流した。安い海外産の輸入で、不採算な国内鉱は次々と閉山に追い込まれた。更に、採掘時の発破で飛び散った粉じんが肺をむしばみ、じん肺を発症した。死期を悟った貞鎬さんは86年、「おれの『墓』として鉱山跡に記念館を建てる」と家族に号令した。
60年代に新たに鉱業権を手に入れ、丹波地方最後のマンガン鉱山として83年まで稼働した新大谷鉱山の坑道約300メートルを見学コースに改め、丹波のマンガン採掘の歴史を伝える展示室などを整備することにした。時はバブル期。だが、地元自治体に財政支援を求めても門前払いされた。「強制連行はイメージが悪い」が理由だったという。
一家は売れる不動産を金に換えた。工事は外注せず、龍植さんと兄龍吉(ヨンギル)さん(56)が坑道維持のため父から教わった土木や溶接、電気などの技術を生かした。記念館は89年に開館。人ひとりがやっと入れる大きさの坑道で「寝掘り」する様子やマンガン鉱石200キロを歩いて運ぶための背負(しょ)い子など過酷な労働を示す資料を展示した。
館長を龍植さんに譲り、貞鎬さんは95年3月、じん肺による呼吸不全で逝った。62歳だった。「息ができなくなって死ぬんやもん。こっちがつらいですわ。だから死んだ時は悲しみよりも、本人が楽になれたというのが家族の喜びでした」と龍植さんは振り返る。
人件費節約のため、静子さんや龍植さんの妻富久江さん(48)が売店の番などをこなした。運営の安定化を目指し、02年にはNPO法人を設立したが、年間の持ち出しは600万~700万円。最盛期には年間1万8000人が訪れたが、昨年は4000人弱まで減った。施設も老朽化し、開館以来一度も黒字を計上することなく、決断の時が迫った。
「もうやめようと思う」。今年3月、龍植さんは富久江さんに告げた。静子さんも「あんたがそう言うんやったら、そうなんやろ」と反対しなかった。「もうずーっと、いつやめようかと考えていた。20年は一区切りや。父親にももう努力は認められてええやろって。維持のための技術も今日教えて明日からできるもんじゃない」
実は龍植さんも、じん肺を患っている。10歳ごろから坑内で父を手伝い始めて40年近く。今は「ちょっとしんどいくらい」だが、ぜんそくの薬は欠かせない。晩年の父は、冷たく湿った空気で呼吸困難を起こすため坑道に入れなかった。「私もそのうち入れなくなると思いますよ。もうあと、どっちにしろ2、3年の話」。そう言ってたばこをくゆらせ、力無く笑う。
ただ、龍植さんは記念館の役割が終わったとは考えていない。「日本は、強制連行は負の歴史やから忘れたいと思ってる。それは間違ってる、日本人一人一人に説明していく使命が私にはあると思うんです」
団体の見学者に求められると、龍植さんは演壇に立つ。話はマンガンの知識だけでなく、丹波での採掘の歴史、在日コリアンへの差別問題にまで広がる。時折間をおいて水を口に含みながら「ここまで言うと『お前は日本人、嫌いやろ』と言う人が多いですが、どこにいようと差別されんと、人生を過ごす権利があるはず」と自然に語気は強くなる。
杉木立に囲まれた谷あいの坑口から、見学コースに足を踏み入れ、1日で3~4センチ掘るのがやっとだったという時代に思いをはせた。龍植さんは閉館後、安全確保のため坑道をふさぐつもりだ。「管理をやめれば自然の重みで坑道の落盤は止められない」という。強制連行の歴史も、貞鎬さんたち一家の苦労も一緒に埋もれてしまうのだろうか--。せめて記録に残したいと思うが、残された時間はあまりに短い。
毎日新聞 2008年11月5日 大阪朝刊
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