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本音対談
我、「国賊」と名指しされ−−
防衛大臣としての真意を語ろう(6)

「WiLL」6月号渡辺論文で批判された歴史観、対中観の問題を直撃!

評論家 潮 匡人/防衛大臣・衆議院議員 石波 茂

中国だから言うべきか、言わざるべきか

 石破 身もふたもないようだけれど、際限のない議論はしてもしょうがない。私は学者ではないので、その議論に何の意味があるか、いかなる国益があるかという立場です。東京裁判を受け入れることと、戦前の日本はすべて間違いと断罪することは決してイコールではありません。しかしながら、負けるとわかっている戦争をしたことは、法的にどうあれ、していいことではない。

  日米開戦当時の東條首相など、開戦の判断が失当との指摘が当てはまる方もいるでしょうが、「共同謀議があった」と強引に認定しない限り、その責任を負わせることのできない方(広田弘毅)も絞首刑を執行された。その方も含めて「合祀されているから分祀しないといけない」という議論は、いくつものハードルを一足で飛び越えていませんか。

 石破 それは共同謀議をどう捉えるかの話でしょう。最高裁も共謀共同正犯という学界で否定されている理論を判例としています。法解釈としては、いろんな考え方があるでしょう。けれども、それを受け入れて今日の日本がある。それを「東京裁判史観に毒されている」というなら、逆に「すべて戦前の日本はよかったのか」と聞きたくなる。自慢史観と揶揄すると、またお怒りになるでしょうが、戦前の日本に全く過誤はなかったのか。その議論が聞こえてこない。例えば、子供を叱ると「〇〇ちゃんもやってる」と言い返します。私なら「他の子はどうでもいい。君はどうだったのか」と説諭します。例えば、「植民地支配は他の国もやったことだ」というのは、聞き分けのない子供の言い分に似ています。

 もし当時の日本が「ハル・ノート」を受け入れていたら、あるいはもっと以前の「日米了解案」を受け入れていたら、どんな展開があったかを検証することも必要でしょう。南方に進出しても経済制裁まではしないだろう、との読み違えがあったのは事実だし、そこにも議論の余地はある。あれを「自衛戦争だった」と所与のごとくに言い切るのも、いくつものハードルを一足で飛び越えてはいませんか。すべて正しいとか、すべて間違っていたなどということは世の中にあり得ないし、無謬の国家などもあり得ない。全ての国が過ちを犯している。何が正しくて何が間違っていたのか、虚心坦懐に見なければいけない。だから自虐史観も、自慢史観も嫌いだと申し上げている。

  石破先生は現職の防衛大臣でいらっしゃる。国益を擁護すべき大臣が、中国相手になぜ、ここまで言う必要があるのか。石破批判の背後には、そういう気持ちが込められていると思います。たしかに、大臣は政治家であって、真理を追究すべき学者ではありません。だからこそ、超越的な神の如き公正な視点から、日本が間違ったところを、敢えて指摘する必要もないのではないか。

 石破 それぞれの国にそれぞれの歴史教育の目的がある。「歴史は科学であり客観性が大事」という国ばかりではなく、「民族の優秀性の証明」や「現体制の正当性の証明」が歴史教育の目的の国だってあるわけです。それに内政干渉すべきではないが、いずれにしても中国の反日路線にいかにブレーキをかけるかは考えなくてはならない。中国で若い相当なエリートと議論した時に、意気投合したかと思ったら最後に「でも日本は必ず再び中国を侵略する」と言われて、強いショックを受けました。中国の若年層に「日本が嫌い」との比率が極端に高いことには必ず理由がある。日本の政治家として、日本がそのような国家ではないことを知らしめるのは、我が国の国益にとって非常に大事だと思う。

 その時に「東京裁判は間違いだ。あれは無効である」と言うことに何の意味があるのか。決して「媚中」で言っているのではありません。「東京裁判は誤りだった」と言って、今後の日中関係に、日本の国益に何のプラスがあるのか。まさに防衛大臣として、中国民衆の誤解を解くことは大事な仕事の一つだと思います。

  櫻井よしこさんの新刊『異形の大国 中国 彼らに心を許してはならない』(新潮社)の帯ネームは「詫びず、認めず、改めず」。それが読者に響いたから本も売れたのでしょう。この点はアメリカも同じです。「太平洋戦争」の末期に都市部に大規模な空襲を敢行した。さらに新型の爆弾を広島と長崎に投下した。それでも「詫びず、認めず、改めず」的な姿勢を崩さない。各国が自国の国益を擁護する中で、先ほどの子供の比喩をお借りするなら、日本だけが「いい子ちゃん」になる必要もないと思います。

 石破 「非を非として認める潔さ」と「いい子ちゃんになる」ということは全く別でしょう。私は原爆投下を決して「しょうがない」などとは思わないし、国際法違反との判断が有力であることも、国内での裁判の経緯も、さらには日本における原爆研究の過程も知っているつもりですが、「アメリカも原爆投下を詫びてないんだから日本も詫びる必要はない」など、なんだか負け惜しみみたいで、とても思慮深い大人の発言とは思えません。

 続く

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