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本音対談
我、「国賊」と名指しされ−−
防衛大臣としての真意を語ろう(5)

「WiLL」6月号渡辺論文で批判された歴史観、対中観の問題を直撃!

評論家 潮 匡人/防衛大臣・衆議院議員 石波 茂

講和で受け入れたのは判決か裁判か

  問題は、東京裁判への評価と不可分です。「論座」では、事後法の問題を踏まえた上で「しかしながら」と続け「それ(東京裁判)を受け入れたからこそ、今日の日本があるのであって、いまさらあれはなかったことにしようとか、あれは全部間違いであったということになると、戦後のすべてを否定するということになりますよね」「いまさら裁判を否定するような議論が成り立つとは思いません」と語っておられます。しかし、講和条約で日本国が受け入れたのはあくまで「諸判決」であって、東京裁判自体を受け入れたわけではない。それが渡部先生を含め保守論壇の理解だと思います。

 石破 それは事後法という問題もあるでしょう。当時「平和に対する罪」などなかったわけですし、キーナン主席検事もウェッブ裁判長も誤った点はあるでしょう。ただ、それは政治家として言うべきことではなく、法律家が分析すべきことだと思います。

 東京裁判は日本が国際社会に復帰するための通過儀礼だった。裁判を受け入れなければ、日本は国際社会に復帰できなかった。サンフランシスコ講和条約があの内容だったから、日本は奇跡の復興を遂げた。もちろん朝鮮動乱などの要因もありましたが、仮に国際社会に復帰していなければ、特需もなく、今日の日本はなかったわけです。東京裁判がどうであったにせよ、それを受け入れて日本の今がある。

 仮に、保守論壇の方々が、−−私をニセモノ保守と言われるかもしれませんが−−「なかったことに」と言って、何がどう変わるんですか。賠償からすべてやり直す、そう歴史の針を戻すことができるのか。できませんよ。仮に「東京裁判は間違い、講和条約を受け入れたのも間違い」と言うような人を総理大臣にしたら、何が起こるのですか。

  たしかに、講和条約は国際法上の条約であり、「なかった」ことにするなら、相当の手続きを踏まなければいけないでしょう。私もそうすべきだとは思いません。「デス・バイ・ハンギング」(絞首刑)と言い渡された判決が執行された以上、なかったことにはできない。失われた命は生き返せません。

 要は、受け入れたのは「判決」であり、東京裁判自体を正当だと受け入れて戦後が始まったわけではない、ということではないでしょうか。「A級裁判」を合祀する靖国神社に参拝すべきでないとの議論を披瀝されておられる以上、やはり東京裁判の正当性、合法性の議論を避けられないと思います。私自身は法的に無効だったと考えます。したがって、なかったことにする−−法的に言えば取り消す−−という立場とも違います。訴訟手続き的にも致命的な瑕疵がある以上、法的に無効と考えるべきであり、この点、英米の法学者も基本的には異論はあり得ないと思っています。

 他方、政治的に「なかった」ことにできるかは、おっしゃる通りだと思いますが、仮に東京裁判の正当性を受け入れてしまうと、ならば、A級戦犯でなかった人はどうなるのかという読売新聞の検証作業等も含めて、際限のない議論になってしまいます。

 続く

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