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本音対談
我、「国賊」と名指しされ−−
防衛大臣としての真意を語ろう(4)

「WiLL」6月号渡辺論文で批判された歴史観、対中観の問題を直撃!

評論家 潮 匡人/防衛大臣・衆議院議員 石波 茂

大東亜戦争は「間違った戦争」か

  「ある時から」というのは、具体的にいつからですか。

 石破 それは防衛庁長官の時からです。当時は、小泉参拝で防衛庁長官の訪中も止まっていたわけです。これは決していいことではないと思っていました。

 あの戦争は、まともに考えれば勝てるはずのない戦争だった。決して後知恵で言っているのではありません。昭和十六年七月には陸軍主計課が精密な戦力分析を行い、八月にはそのデータを引き継いだ政府の総力戦研究所が日米開戦シミュレーションで日本必敗の結論を出して、総理はじめ政府中枢に報告している。しかしそれらは「調査は完璧だが国策に反する」「日清・日露も勝てると思ってやったのではない。戦は時の運である」などと退けられ、緘口令が布かれた。

 勝てないとわかっている戦争を始めたことの責任は厳しく問われるべきです。「戦うも亡国、戦わざるも亡国、しかし戦わずして滅びるは、日本の魂まで滅ぼす真の亡国」と永野軍令部総長は語ったそうですが、負けるとわかっていて何百万という国民を死に追いやった行為が許されるのか。さらに「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と、大勢の兵士に犠牲を強いた。神風特攻隊も戦艦大和の海上特攻も、何の成果も得られないと分かった上で、死を命じた行為が許されるとは思わない。陛下の度重なる御下問にも正確に答えず、国民に真実も知らせず、国を敗北に導いた行為が、なぜ「死ねば皆英霊」として不問に付されるのか私には理解できない。敗戦時に「一億総懺悔」という言葉が流行ったが、なぜ何の責任もない人まで懺悔しなければならないのか。本当はもっとそこがきちんと議論されるべきではないでしょうか。この種の議論に必ずある一種の割り切れなさは、ここに端を発しているようにも思うのです。

  総力戦研究所の「日米戦必敗の予測」は、大臣が丹念に読み込まれた、猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』(文春文庫)で描かれた通りなのでしょう。私は、大東亜戦争で、仮にイフを立てるなら、別の展開があり得た局面は、重要な作戦で、いくつもあったと思いますが、その議論は別の機会に譲ります。ただ、拙著『司馬史観と太平洋戦争』(PHP新書)で提起したのは、「ならば、日清戦争や日露戦争はどうなのか」という反問です。大東亜戦争における英米同様、もし帝政ロシアや清国が継戦意思を失わず戦い続けていたら、同じ結果に終わっていたはずです。日清戦争でも「無謀な」作戦計画を立てていた。あくまで相手国の事情から、日本側に有利な局面で戦争が終わったに過ぎない。

 それを司馬遼太郎のように、日清日露は「自衛戦争」と肯定し、大東亜戦争だけを「昭和は魔法にかかってしまった。あんな時代は日本ではない」と吐き捨てるのは、まさに後知恵、猿知恵だと思います。私も「間違った戦争」であったかどうかはともかく、「どこかで何かを間違えたからこそ、負けたのだ」と拙著の冒頭に書きました。その点は大臣と同じ認識ですが、大臣が敗戦責任を問うなら、「ならば、日清戦争や日露戦争はどうなのか」と反問する私の立場からは、やはり「A級戦犯」の議論を避けられません。

 石破 私は「司馬史観」の賛同者では必ずしもありませんが、やはり日清・日露とは分けて考えるべきではないでしょうか。確かに日露戦争は「負けないで済んだ戦争」であって、あのまま続けることは困難でした。だからこそ小村寿太郎(外相)の洞察力と決断は高く評価されるべきですが、当時の世論は「売国奴、国賊」呼ばわりでしたよね。深く考えられた日英同盟と、楽観主義的・他力本願的で国を誤った日独伊三国同盟とは、決定的に異なると思いますよ。

 続く

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