
本音対談 我、「国賊」と名指しされ−−
■防衛大臣としての真意を語ろう(3)
「WiLL」6月号渡辺論文で批判された歴史観、対中観の問題を直撃!
評論家 潮 匡人/防衛大臣・衆議院議員 石波 茂
私が護国神社に参拝する理由
潮 まあ、反共産党系のマスコミなど存在し得ない国ですから、「共産党系」云々は詮索しても意味がないでしょう。もし「共産党系」メディアの取材を受けるなというなら、いっさい中国メディアの取材を受けてはいけないことになってしまう。あるいは、全部ゲラで確認しなければいけないということになる。
石破 正直、そこまで一々対応できない話です。あまりに事実と違うことを書かれたら抗議もしますが、今回、私はそう判断しませんでした。
潮 中身についてお伺いしていきます。いわゆる靖国問題を巡り「靖国神社を参拝したことがない」と発言されました。その理由として「何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした」「多くの国民は被害者だ」との発言も引用されています。「論座」では、よくも悪くも丁寧に(笑い)、いわゆる「A級戦犯の分祀論」にまで言及されました。
渡部先生のお立場からは、むしろこちらを叱責されるべきなのでしょうが、私なりにお伺いします。「A級戦犯」についてどう考えるか。分祀すべきか。だとして分祀が可能か。よく言われる「ロウソクの火の譬え」ですが、ロウソクの火を、新たなロウソクにともしても元の火は消えない。つまり、分霊はできても、御霊を引っ越しさせるが如き分祀はできない。神社本庁も「分霊しても元の神霊は存在しています」「神社祭祀の本義から分祀はあり得ない」と説明します。できないことをやれと言われても困る、というのが、靖国神社を含め保守論壇の共通理解だと思います。
私自身は石破大臣と同じく洗礼を受けたキリスト教徒ですが、神道関係者が「あり得ない」とおっしゃる以上、そう理解しております。したがって、分祀論には加担できない。
石破 宗教法人・靖国神社が「それが教義なのだ」とおっしゃるなら、それは誰が何を言っても無駄でしょう。そこはまったく同感です。私は分祀すべきだと思いますが、「できない」と言われたら、「そうですか」と言わざるを得ない。
ですが、日本国の内閣総理大臣が「それなら、参拝できない」というのも、非難されるべきことではないと思います。私は靖国神社には参拝していません。ある時から行くのをやめましたが、毎年八月十五日に、地元の護国神社への参拝を欠かしたことは一度もない。フルブライトは「国家のために命をささげた行為の尊いことは、戦争の是非や勝敗に関わらず、代わるべきものではない」とも述べていますが、私も全く同感です。「慰霊」とともに私個人は「感謝と尊敬の念」を持って参拝しています。
続く
[1]
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9]
|