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本音対談
我、「国賊」と名指しされ−−
防衛大臣としての真意を語ろう(1)

「WiLL」6月号渡辺論文で批判された歴史観、対中観の問題を直撃!

評論家 潮 匡人/防衛大臣・衆議院議員 石波 茂

フルブライトの言葉に学ぶ

  今年六月号の月刊誌「WiLL」に、渡部昇一先生(上智大学名誉教授)による「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」という刺激的なタイトルの論考が載りました。中国共産党系の新聞「世界新聞報」(一月二十九日号)のインタビュー記事のいわゆる歴史認識問題を巡る大臣の発言を「国賊行為」と叱る。概要、そういう中身でした。同誌を孫引きした記事「国賊防衛大臣石破茂を弾劾する」が「国民新聞」(第19135号)の一面に掲載されるなど右派保守系メディアの石破バッシングが起きています。「WiLL」は、「正論」や「諸君!」よりも売れているそうで、加えて、渡部昇一先生は、栄えある第一回の「正論大賞」(フジサンケイグループ主宰)受賞者でもあられ、押しも押されもせぬ保守論壇の重鎮です。最大部数の“論壇誌”で「国賊行為」と「叱られた」ことに対する、率直な御感想をお聞かせください。

 石破 政治家は「批判されるのが商売」といってよい職業でしょう。批判されたくないなら、政治家を辞めるべきだ、私はそう思っています。ですから「叱られた」ことについての感想はありません。

 ただ、最近の保守系メディアの議論が、エキセントリックな論調になっていることへの違和感は覚えます。かつて米上院外交委員長を務めたフルブライトが「(本質的に保守的な社会においては)やわらかい言葉のほうが激しい言葉よりもずっと重きをなし、また、最も効果的な異義は、秩序ある言葉、言うなれば、保守的なやり方で表明される異議である」と諭したことがあります。過激な言葉は決して他人の共感を呼ばない。私はこの言葉を高校時代に読んで以来、過激な言葉は使うまいと誓った。過激な表現は多くの人々の共感を得ないし、納得も得られない。結局、世の中をよくすることにならない。エキセントリックで刺激的な言葉ではなく、もっと静かに、かつ真剣に、真摯に話し合うべきだと思うのです。

 それなのに「正論」も「諸君!」も、最近は過激な路線に走っているように思われてなりません。以前「論座」(二〇〇六年八月号・朝日新聞社)に「生粋の愛読者が抱く『正論』『諸君!』への違和感」と題したインタビュー記事が載りました。たしかに私は「生粋の愛読者」です。「正論」も「諸君!」も創刊号、高校時代から読んでいます。両誌を代表格とする従来の保守系論壇誌には、清水幾太郎先生や田中美知太郎先生、福田恆存先生などによる、厳かな文体で深く掘り下げた論稿がありました。

 ところが最近は、例えば「WiLL」(五月号)誌上で「獅子身中の虫」などと公然と御皇族への誹謗中傷が活字になる。こうした風潮に対する危惧、恐怖感を感じます。これでは本来の保守思想は醸成されない。私の実家では毎年、元旦から始まる「旗日」に必ず日の丸を揚げていました。それは子供の仕事だと教わってきた。今でも二月十一日(建国記念の日)には必ず神社にお参りし、陛下の御長寿と御皇室の安泰を願って御勤めをする。それを人に強制しようとは思いませんが、やはり静かな祈りの姿勢が大事ではないのか。声高に叫ぶことで、あるべき保守思想が醸成されるのか。政治家としても疑問を覚えます。

 ただ、渡部先生は政治家ではなく学者ですし、私への叱責も国会の論戦ではなく、商業ジャーナリズムの世界での批判ですから、ご事情は理解しますが、こういう傾向が強まることが、日本にとって本当にいいことなのか、かなり疑問です。

 続く

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