この日が来ると、だれが1年前に予測できただろう。時代の変わり目にこれまでの常識では考えられない指導者が登場する米国史の転換点を私たちは目撃している。米国民の2008年の投票行動が「賢明な判断だった」と世界史に刻まれることを期待したい。
米国は第44代大統領に民主党のバラク・オバマ氏を選んだ。勝利演説で世界に向かって「私たちは運命を共有している。米国の指導力の新たな夜明けは近い」と述べた。8年間のブッシュ共和党政権の失政と混迷から米国を立て直し、健全な協調性と指導力を世界に改めて提示してほしい。
この選挙により、米国の何が終わり、何が始まろうとしているのだろう。
第一の答えは「ブッシュの時代が終わった」というものだ。アフガニスタンとイラクの二つの戦争が際限なく続く。単独行動主義や独善的な外交により、米国への批判的な見方が世界に広がった。米国発の金融危機は、市場優先の行き過ぎた規制緩和への疑問につながった。ブッシュ大統領の支持率は22%しかない。
オバマ氏は共和党候補のジョン・マケイン氏がブッシュ氏の継続だという「ブッシュ・マケイン同一論」で批判した。「チェンジ」(変革)のスローガンが、ブッシュ路線の交代を求める人々に浸透し、勝因となった。ブッシュ不信任の流れに乗った大勝でもある。
だが、単に共和党から民主党に8年ぶりに政権が移っただけではない。
第二の答えは「レーガンの時代が終わったのかもしれない」という点だ。ルーズベルト政権以来のリベラル路線の行き詰まりを保守の側から打破したのが80年代のレーガン政権だ。国家ではなく、市場が問題を解決し経済を繁栄させる。その思想は米国だけでなく日本も含めた世界中で影響力を持った。
だが、出口が見えない経済危機に世界中が巻き込まれたいま、レーガノミクスや新保守主義の限界が議論されている。公的資金を投入して金融機関を救済する解決策はレーガン流「小さい政府」の対極にある。
さらに「米国の世紀が終わったのではないか」という第三の答え方も可能だ。米国型の自由競争や豊かな消費生活が世界に広がれば、世界は幸福になると米国人は発想し、20世紀を「米国の世紀」と誇った。その感覚は9・11同時多発テロ後も保たれ「長い20世紀」が続いていた。
だが投票所出口調査では4分の3が「国の方向が間違っている」と答え、9割が「経済状態は悪い」と述べた。これほどの不安と悲観がこの国をおおった時はあまりない。
こうした三つの終わりないしは変化が同時に重なる節目に、米国人が見いだしたのがオバマ氏だ。ルーズベルト、レーガンに匹敵する歴史的な大転換をオバマ氏は実現するかもしれない。ただ、選挙戦を通してそのビジョンがよく見えなかったのは気がかりだ。米国政治の旧来の対立軸を超え、世界との行き違いを解消する大胆な再生構想を打ち出してほしい。
黒人大統領は、いざ誕生してみると、文化革命とさえ表現できる驚きだ。数え切れないほど多くの白人が投票したから、オバマ氏はアメリカンドリームの体現者となった。オバマ氏が生まれた1961年は、南部では人種差別が合法化されていた時代だ。公民権運動の成果で制度としての差別はなくなったが、平等な社会とはまだ、いいがたい。
オバマ氏は多文化の統合の象徴として自分の人生を語ってきた。人種間の対立や報復ではなく、憲法前文を引用して「より完全な連合」を呼びかけた。説得力ある雄弁を受け入れ、人種の壁を越えて支持した白人もいただろう。マケイン氏が苦戦になっても「人種カード」を切らなかったことも評価したい。
米国の原罪ともいえる奴隷制の歴史を直視し、人種対立が和解に向かう契機とするよう望みたい。
日本にとっては、新しい日米関係をオバマ新政権と築く好機だ。良きパートナーとして協力を深める道を探りたい。経済危機がさらに深刻化し失業者が増えると、米国は内向きになり保護主義に傾く恐れもある。オバマ氏はそうした誘惑を排し、開かれた米国を維持するよう努めてほしい。
大統領選挙は「4年ごとの革命」といわれる。オバマ氏は昨年2月の立候補表明時には国民の半数近くが「よく知らない」政治家だった。全米で組織した草の根ボランティアが戸別訪問や電話で国民一人一人に支持を働きかけた。有権者登録も選挙資金集めも史上最大のスケールで実現した。
空前の政治参加の熱気を支えたのは、チェンジとリセットへの欲求だった。同時に、理念の国米国が掲げる自由、平等、機会の保障といった価値観を共和党と民主党が共有していることも見逃せない。選挙で分裂しても基本理念の共有があれば、再出発できる。対立と一致を組み込んだ民主主義の強さの上にチェンジの希望が成立する仕組みを、米国民は世界に示した。
毎日新聞 2008年11月6日 東京朝刊