2008-09-11
いや、表現の場ですら「お互い様」が全く許容されないって怖いですよ
昨日の日記で、熱くなって、いろいろと書いたせいか、今日の日記は少し書きにくいw
なんというか、自分にとって痛い部分を晒して書く、という書き方は、時間を忘れるようにして集中して書き上げられるんだけど、エネルギーを使う分、毎日、コツコツ地味に書いてるような日記では多用は禁物だなぁ、と実感。
それが分かっていても、今回は書かずにいられなかった、ということだろう。
今日から、また地味な日常を書くか、と思っていたのだけど、少し考えた事があったので懲りずに補足を書いてみる。
昨日のエントリに付いたブクマコメントに、「お互い様だろ思想」「甘え」という指摘があって、自分もブクマコメントで少し書いたのだけど、100字では言葉が足りないかな、と思ったのでこちらでも書きます。
指摘については、まさにその通り。
ただ、表現の場においては、その「甘え」がある程度、共有される余裕があっても良いのでは、というのが自分の考え。(それこそ「甘え」なのかもしれないが)
それに性的な表現の話になると、セクシャリティに関わってくるわけで、人それぞれ違う感覚を認め合おうとしたら、「お互い様」という部分を作っておかないと、どうにもならないとも思う。
ゾーニングについても、必要とは思っている。
ただ、ゾーニングや規制で守られる人が居る一方で、そのせいで自分のセクシャリティに苦悩を抱える人も居るわけで…どの程度のゾーニングにしていくかは慎重になるべき。
少数派を守ろう!と言って、その感覚に合わせた規制をかけると、別の少数派を抑圧する事になって、あちらを立てれば、こちらが立たず、という状態になる。
だから、法律や強制という最終手段より、妥協点として「お互い様」が受け入れられる部分を見つけることが大事だと思う。
そこをすっ飛ばして、不快だから見えないようにしろ、と強制するのは一方的過ぎる。
まあ、様々な人の意見を見て、その妥協点というものが見つかる事は無いのだろうな、という諦観も自分にはあるのだが…。
あとは、その、他人の性的嗜好を嫌悪して排除しようとするのって、自分には自傷的に見えてしまう。
かつて、自分がそういう潔癖すぎる感覚の末の自己嫌悪で苦しんだからなんだろうけど。
勝手な話だが、自分にもあるはずのものを、そんなに嫌って悲しくないの?と言いたくなる。
でも、そんな事を実際に言ったら、「一緒にするな!」と烈火のごとく怒り出すのだろう。
自分はみんな一緒だと思うんだけどなぁ。