2008-09-10
自分のトラウマに直撃したので言及します
ブクマコメントでも書いたんですが、予想通り「検索避けをしろ」に加えて、ポルノ規制の話に関連した補足エントリをアップされたようなので、自分も言及させてもらいます。
自分はBLも、まあ読むし、エロゲもやる男性なんですが、自分の性的嗜好や妄想というものに、そこまで負い目を感じないとダメなんですかね。
「傷付いた」と言われて傷付いた人はどうすれば良いのだろう? - 試作型思索と詩作
以前に、ポルノ規制の話が出た時に、感じた事を上記のエントリに書いたんですが、そうやって「男性の無自覚な性的消費こそが女性への暴力」とか突きつけられるのはキツイです。
だって、男性として生きてるだけで、あるいはオタクというだけで、「加害者」に固定されてしまうのですから。
エロや性的なものに対して、そこまで神経質になって、後ろめたいものを感じなければならないのなら、僕は自分の事を大嫌いになってしまうでしょう。
実際に、それで対人恐怖や女性恐怖に陥りかけた事もありますし。
それに個人的には、ネットでの「検索避け」というのも、自己満足なお守りのようなものであって、本質的には、あまり意味が無いと思っています。
信じている本人には心理的に有効だと思うので、それ自体を否定はしませんが、周囲に強制するような物ではないと思います。
失礼ですが、「腐女子」という属性を消費するな!という主張もまた、「腐女子という属性を消費してるとあなたが思っている人々」を消費する主張だと自分は思いました。
「男女問わず消費からは逃れられない。」と自分がブクマコメントに書いたのは、そういうことです。
勝手なレッテルを貼る人々に怒りを感じるのは分かりますが、「勝手なレッテルを貼る人々」と一括りにして、オタクを論じる事も、勝手なレッテルを張る行為ではありませんか?
「傷付いた」と主張されて、傷付く人も居ます。
結局、主張や表現は常に誰かを傷つける可能性を秘めています。
極端に言えば、表現とは暴力です。
けれど、それで、あまりにも傷つけることに神経質になってしまったら、何も表現できません。
自分が以前書いた上記のエントリのコメント欄でも、「多少の傷つきくらいはお互い大目に見る社会」「誰かを傷つけているという罪の意識をそれぞれが過剰に感じない世の中」という言葉が出てきていますが、そうやって互いの表現を受け止めることに余裕のある世の中が表現には必要だと、今でも自分は思っています。
そのために、ゾーニングが必要という意見もあるでしょう。
けれど、表現者と、その表現を受け取る側に、今よりも、後ろめたさを持たせてしまうような方法には自分は賛同できません。
「ペド創作への規制を願う人の気持ちを、男性ヲタが理解できないたったひとつの理由」
というタイトルでエントリを書かれていますが、みんな理解してますよ。
理解してるからこそ、表現を規制しないでくれ、と言うわけです。
だから、自分はこれ以上、「検索避けしろ」とか、後ろめたさを持たせるような事は言いたくないのです。
表現に、強者も弱者も無いです。
誰もが、強者であり弱者です。
「そうやって、相対化した理屈を言ってるうちに、泣きを見るのはお前らなんだよ」と言われるかもしれませんね。
でも、それくらいは世の中の多様性というものを自分は信じたいのです。
楽観的かもしれませんが。