桜井淳所長の最近の講演内容-JR東海・西日本・東日本・総研の安全性の考え方への不賛同(2)-
テーマ:ブログ【講演要旨】最も奇妙だと感じたのは、1992年の300系新幹線「のぞみ」の営業運転と安全問題の議論の時で、JR総連を初めとする各労組が、「新幹線の安全性の考え方がまったく分からないのでレクチャーしてほしい」と講演依頼して来た時であり、日本で最も大きな現場と人材を抱え、いちばん経験とノウハウを持っていながら、安全性の考え方がまったく理解できていない原因が何なのか考えた結果、彼等は、工学理論や関連技術基準を知らないため、一般的な議論ができないことに気づき、そのことは、『週刊金曜日』でJR東日本の現場のひとたちと対談した時にも感じましたが(後に、安田浩一『JRのレールが危ない』の附録に収録、金曜日)、彼らは、経験だけで、個々の現象や感想だけを感情的に主張しており、それで悪いわけではないのですが、それらの経験を一般化して、体系化するという能力がないように感じ、まともな神経では聞いていられず、住む世界がまったく異なると感じ、嫌悪感すら持ち、各JR当局だけがおかしいだけでなく、各JR労組もおかしく、それだけでなく、それらを支援している大学教員や鉄道マニアまでおかしく、自身で何の議論をしているのか、まったく自覚のないような議論・主張をしており、たとえば、「車体の鉄をステンレススチールに替えても、金属的特性があまり変わらず、密度も近いため、機械的強度は、まったく変わらない」と、しかし、鉄製とステンレススチール製の車体が同重量であれば、確かに、その主張は、成立するのですが、実際には、鉄からステンレススチールに替える目的は、管理法の改善と軽量化(実際には外壁板厚や骨組み構造材厚・数を減らしています)によるエネルギー効率改善・経済性向上であって、その証拠に、鉄からステンレススチールに替えた車体重量(車体重量と車両重量は、異なり、前者は車体のみの重量であり、後者は台車まで含めた重量で、台車は材質を替えず、昔から鉄であるため、比較は台車なしの前者で定義しています)は、極端な例では、半分になっており(安田浩一『JRのレールが危ない』、p.22, 金曜日、安田は、車体重量のことを"構体質量"と記載していますが、このような場合には、質量を使うのは、よくありません)、差が少ない場合でも、3割くらい少なくなっており、いくら改善された設計法が適用されたとしても、安全係数の取り方がギリギリか、相当の合理化がなされており、脱線実験のデータを採用した車両設計がまったくできておらず、すでに、過去の設計法になっており、国土交通省の新方針では、脱線を想定した構造設計に着手するようになっています(JRの安全性の考え方は、最初から、時代遅れになっており、相対的にましなドイツや日本の原子力の安全性の考え方や安全審査制度を参考にすべきでしょう)。