目次
足跡化石論争史
エロンゲート・トラックの謎
浮かび上がる謎の染み
創造論者の撤退
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テキサス州グレンローズ‥‥アメリカの片田舎にあるこの町は、創造説とか創造科学とか呼ばれる、擬似科学説の震源地として知られていた。 知られていたというのは、アメリカではすでにほとんどの創造論者達からさえ見捨てられているからである。それというのも、グレンローズの創造論者達の主張の一つ一つに科学的検証がなされ、それに対してまともな反論の余地がないからである。 だが、日本においては状況が違う。今の日本に流布された創造説は主にグレンローズ経由なのであり、「恐竜と同時代の人類の足跡化石」、「カナヅチの化石」などと共に語られる事が多いのである。と学会などによる優れた批評もあるが、残念ながら、アメリカと比べれば十年は遅れた状況にあると言わざるを得ない。そこで、以下にグレン・クバン氏のサイトからの情報を紹介し、日本における創造説論争にささやかながら寄与したいと思う。 まずは、パラクシー川の足跡論争の経緯を振り返りたい。 |
足跡化石論争史
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グレンローズのパラクシー川流域からは恐竜の足跡化石が多数発掘されているが、それらに混じって、創造論者の間で「人間の足跡」、あるいは「巨人の足痕」とされた、謎の足痕化石が発見されている。その岩層は1億1000万年前から1億1500万年前の白亜紀前期に属しているが、“人類の足跡化石”は人類が恐竜と同時代に生きていた事を証明しており、従って地質年代の虚構性を暴露しているのだという。創造証拠博物館のカール・ボウに至っては、それらの足痕は、恐竜と巨人がノアの大洪水から逃げ回っていた時につけられたのだとしている。 (1)数が多く、明確な右、左の歩行パターンがあること。 |
エロンゲート・トラックの謎
| グレン・クバンは1970年代後半、オハイオ州ウースター大学で生物学を学んでいた時から、パラクシー川の足跡論争に惹きつけられていた。そして1979年に生物学の学位と教員免許を取ってウースター大学を卒業すると、翌1980年から、友人のティム・バーソロミューの協力の下で、パラクシー川のフィールド・ワークに乗り出した。 クバンはいくつかの古生物学会に所属している他、北海岸化石クラブの会員でもあるが、パラクシー川の調査はそれらの団体とは独立して行われた。 クバンは1980年から82年にかけてテイラー・サイトを入念に調査し、エロンゲート・トラックの測定と撮影の他、ラバー・キャスト(ゴムの型)の作成、詳細なマッピングをした。 さらに、なぜかそれまで注目されていなかったアルフレッド・ウェスト・サイト(アル・ウェスト・サイト)で、1982年から1985年にかけて、徹底的な調査を行なう。 また、1982年に創造論者カール・ボウのチームによる発掘が行なわれたボウ/マクファイル・サイトでも、1982年、1983年に調査を行なう。 その他、州立恐竜渓谷公園でもエロンゲート・トラックの調査を行なっている。このように、クバンのフィールド・ワークはパラクシー川のサイト全体に及ぶものだった。 クバンは調査を始めて間もなく、人類のものとされた足痕のいくつかは、単に浸食された特徴や、岩の表面のランダムなデコボコにすぎないという結論に達した。それは、ロマリンダ・チームと同じ結論でもある。エロンゲート・トラックにわざと水を加えると、創造論者の写真と同じ特徴を見出す事ができた。しかし、そのような作為なしでは、明確な、あるいは説得力のある人間の足跡の特徴は、何もなかった。特に、底の輪郭は、人間の足跡と両立し難いものである。 エロンゲート・トラックのいくつかは、おおよそ人間の足跡に似た形をしている。しかし、足痕をきれいにすると、そのいくつかは前部に向かってV字型に広がっており、恐竜の三本指の特徴を示していた。 さらに、最も長いエロンゲート・トラックのいくつかを入念に調べると、前部の溝が足の外側にある事がわかった。そうすると、人間の指とされた部分は、足の内部にあることになってしまう。(三本指が浸食などで消え、残った部分が指と誤認されたわけだ) エロンゲート・トラックの多くはいくつかの原因、浸食、堆積物の充填、泥の崩れ、固い下層や、これらの原因の組み合わせにより指の跡が和らげられており、そうして残った部分は、“巨人の足跡”に似た形を示すのである。だが、それでもパラクシー川の足痕は、一般的に三本指の特徴を観察する事ができ、少なくとも歩行跡のいくつかの足痕は、三本指の浅い跡を見せているのである。 しかし、それで謎が全て解けたわけではない。普通は、恐竜でもそんな長い跡は残さないのである。そして、それはロマリンダ・チームの、単なる浸食された恐竜足痕だとする結論とは合い入れない事実だった。しかし、エロンゲート・トラックには獣脚類恐竜の三本指の特徴があるだけではなく、明らかに長い“カカト”の特徴が存在するのである。 やがて、恐竜の足の解剖図や写真をテイラー・サイトの足痕と見比べている内に、クバンはある考えに辿り着く。エロンゲート・トラックは特殊な足をした恐竜の足痕を意味しているのではなく、恐竜の特別な歩き方を示しているのではないか、と。エロンゲート・トラックの後ろの部分に対する最も適切な解釈は、恐竜の足の裏、かかと(専門的には、中足骨、あるいは足根骨という)の押痕であると気がついたのである。それらは、二本足の恐竜に、普通についている部分なのだ。 二本足恐竜は普通、趾行(しこう)性である。つまり、足指歩きをしている。しかし、上記の仮説では、エロンゲート・トラックをつけた恐竜は蹠行(しょこう)性、つまり足裏歩きをしていたか、半蹠行性だったということになる(蹠行動物には、ヒト、サル、熊などが知られている)。 過去の文献からは、歩行中に恐竜がこのような足痕をつけた事を述べたものは見つからなかったが、休んだり、身を屈めたりしている足痕においては、そのような例が知られている。一例は、ジュラ紀初期の地層から見つかった、ニューイングランドの鳥盤類恐竜(二本足のもの)の足痕である。 クバンが意見を求めた何人かの古生物学者は、二本足恐竜がそんな歩き方をするという事に懐疑的に見えたが、さらなる調査により、蹠行を裏付ける証拠が積み上げられていった。 アル・ウェスト・サイトで見つかった、エロンゲートになったり半エロンゲートになったり、典型的な三本指の足痕になったりしている歩行跡は、一匹の恐竜が時々、歩き方を変えている事を証明している。 多くのエロンゲート・トラックで三本指の跡が不明瞭なのも、単に浸食や泥の潰れによるものではなく、このような歩き方に原因があると考えられるのである。 事実、指の跡がそのまま残っているエロンゲート・トラックの典型的な長さは53センチから68センチだが、指の跡が消えた場合は、38センチから50センチほどになる。そして、それは“巨人の足跡”とされた足痕と同じ長さなのである!(図、参照。恐竜図鑑などを見れば、どの部分が中足骨に相当するか、おわかりいただけるはずである) このような歩き方は、おそらくはエサを漁ったり狩りをしている時の、恐竜の低い姿勢や身を屈めた姿勢での歩行によるものと考えられる。こうした時、足首の角度は(地面に対して)浅くなる。また、足場の悪い所や滑りやすいところでは、恐竜はこうした歩き方をするという可能性もある。このような歩き方のために、特別な足を発達させた恐竜もいたのかもしれない。(エロンゲート・トラックの恐竜は、パラクシー川の他の恐竜よりも小型であり、狭い指を持っている) 最後の可能性は、こうした足痕は病理学的特徴を示しているというものだが、足痕の多さ、歩幅から考えて、これはありそうもない。 1986年、最初の国際的な恐竜足痕のシンポジウムにおいてクバンがこの中足骨足痕について述べると、古生物学者達は注目し、注意深く聞き入った。そして、その後で研究者達はクバンに近づき、同じような細長い足痕を自分達も見たと口々に語った。今では、このようなエロンゲート・トラックは、世界中の発掘現場に存在している事が判明している。 |
浮かび上がる謎の染み
創造論者の撤退
| 1985年、グレン・クバンはジョン・モリスとポール・テイラーなど創造説団体の代表者達をパラクシー川に招き、新たな証拠を示した。ジョン・モリスはパラクシー川の足跡化石についての本(『その信じ難き恐竜の追跡』1980)を書いたICRのスポークスマンであり、ポール・テイラーはスタンレー・テイラーの息子で、「キリストのための映画」を受け継いで運営していた。 そして、パラクシーの各サイトのツアーの後、彼らはそれらが恐竜の足痕であると認めざるを得なくなった。クバンは、人間のものとまだ信じている足痕があるなら指摘してほしいと言ったが、彼らにはそれができなかった。 モリスとテイラーは、自分達は過去に大きな失敗をしてしまったのではないかと述べ、ポール・テイラーは映画『石の中の足跡』の配給をストップすると約束し、モリスもその著書の販売を中止するだろうと述べた。 こうして、テイラーの映画とモリスの本は販売中止となった。しかし、彼らは過去の主張を完全に引っ込めたわけではない。いくつかの足痕は人間のものかもしれないとしているし、テイラーは足痕に浮かび上がった色を、“表面の汚れ”だと当てにした。モリスに至っては、染みは不正につけられたものかもしれないと、それとなくほのめかした。 同じような遠回しのほのめかしは、カール・ボウにも見られる。『恐竜のオーパーツ』(P183,184、二見書房) にはこうある。 「たしかに水中の足跡の隣に塩酸をかければ、例の染みはいたってかんたんにつけることができる、という点も指摘したい。この処理によって岩の表面にある物質の薄い層が溶けて、すぐ下の赤茶色の染みの層がむき出しになるからだ。この赤茶色の薄い層は、母岩の表面近くに認められる自然現象なのである。私はこの実験が行なわれるところを見たこともある むろん、染みが人工的につけられたのだと言っているわけではなく、学術的な可能性をくまなく探求しているまでのことだ」 後のP206では染みは本物に間違いないと認めているというのに、やけにいやらしい書き方ではないか。さらに、ボウはグレン・クバン(キューバン)が染みの最初の発見者ではないという、無意味な疑いを差し挟む。クバンが“現場に呼ばれる”一週間前にロニー・ヘイスティングが発見しているというのだが、実際の事情は上に記した通りである。(この本には、クバンが創造論者だという誤情報もある) だが、ほとんどの創造論者達には、すでにそんな当てこすりは無意味だった。いくつかの創造説団体は、人類の足跡化石は、最近の研究により重大な疑いが持たれており、進化論への反証として用いるべきではないと声明を出している。モリスやテイラーにしても、往生際の悪い態度を取りながらも、他の創造論者がパラクシーの足跡を持ち出そうとすると、やめた方がいいと勧めたりしている。 こうして、創造論者達は自分たちの主張の不利を悟り、パラクシー川の足跡化石論争から身を引いて行った。 そう、カール・ボウの一派を除いて‥‥ |
このページの情報はグレン・クバン氏のサイト、「パラクシーの恐竜/“人間の足跡”論争」からの抜粋、要約であり、直訳部分を含みます。
The Paluxy Dinosaur/”Man Track” Controversy