○ どなたでもハンドルネームで発言できます。
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久しぶりにカキコ
今日は毎○が世界にむけてどんな情報を発信し続けていたかをを紹介。
余りにも面白いので、みんなに紹介しましょう!
恐ろしいですね〜、怖いですね〜
これがスクール事件ねつ造に飽きたらずに日本までねつ造して売り上げ
稼ごうとする毎○の本性、特に日本の受験生は母親にフェOOOをしてもらうのがあたりまえと世界に発信なんていかしてるぜ!
他にもこりゃ楽しい日本の真実(歪曲紹介)をしてくれています。
皆さん是非見てやってください!
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/33.html#id_51ea5975
さすが○日!
次は○日か?
>> |
(new)
昇進
名前: ますこみ代表
[2008/11/04,18:14:00] No.1936
http://www.mainichi.co.jp/home.htmlでこんな事書いているけれど、 |
初めまして。
匿名で失礼します。(本名で書く意義が見当たらないことも有りまして)
戸塚校長の論文を読ませていただきました。
仏教について、サルトルの空虚さは大変共感しました。
確かに優れた思想を持つ人だと見受けられますが、
では何故ヨットという危険な方法をチョイスしたのか。
単に戸塚校長がヨットが得意というだけ?
野球なら死者は出なかったのでは?
>> |
下のスレッドで
名前: ルンルン
[2008/10/31,09:50:26] No.1911
ナジャさんが全て話してくれてますね |
>> |
無題
名前: ルンルン
[2008/10/31,10:35:37] No.1913
なんらかの不良行為があるとして相談してくる親が本当に真実を話しているとでも思っているのですか? |
>> |
門戸
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/31,17:25:56] No.1914
ルンルンさんへ |
服装、態度で22人不合格=成績は圏内−神奈川県立高
10月28日17時9分配信 時事通信
神奈川県教育委員会は28日、県立神田高校(平塚市)で2004、05、07年度に行われた入学試験で、内申書、学力試験、面接の総合的な成績順位は合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装、態度などが悪く入学後の生徒指導が困難と判断した受験者22人を、選考基準に従わず不合格にしていたと発表した。
県教委は、受験者、保護者の希望があれば入学させることも検討する。
記者会見で渕野辰雄校長は、「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという思いだけだった。大変申し訳なく思っている」と陳謝した。
Yahooのニュースからですが、人は何かをなすときに目的をもって行動せねばならないはず。 それは行動を始めた瞬間から始まる物であり、たとえそれが願書提出であったとしてもです。
その時だけ姿かたちを繕えば、あとはどうにでもなると考えることを認めるような真似は、社会が礼を欠いた行動を子供たちに教えることと同一であって、義務教育ではない高校側が拒絶するは別段おかしな事では無いはず。
そう私は考えるわけですが・・・ 間違っていますでしょうかね?
>> |
疑念の余地さえないと思います。
名前: たかとよし
[2008/10/28,19:42:24] No.1893
yahoo配信ニュースの中には特定のメディアからの報道(時事通信など)は読者からのコメントを書き込む事が出来ます。 |
>> |
謝罪の理由は単純かも
名前: エディ
[2008/10/29,22:55:04] No.1896
学校も一種の商売なので、仕方が無いのかなぁ・・・。 |
>> |
悪く言わなくていいのでは?
名前: ISHI
[2008/10/30,22:01:54] No.1899
願書受け付け時の服装、態度などが悪ければ不合格なのは当然で謝罪は必要ない、 |
>> |
陳謝するべきではなかったと、わたしも思います。
名前: エディ
[2008/10/30,23:44:34] No.1903
悪くなんて誰も言っていないのでは? |
今年の夏に行われた沖縄合宿、及び木崎湖キャンプの写真を父兄向け動画にアップしました。
総数400枚近くあります。
写真のクオリティは落としておりませんので重いですが、ダウンロードしてフォトショップなどで綺麗な写真にできる品質としてあります。
ふたつのイベントに参加された生徒(卒業生含む)父兄の方で、閲覧希望の方は戸塚ヨットスクールまでお問い合わせ下さい。
わたしからの質問です。
「脳幹論」
を否定できる方限定でお答えください。
脳幹論を否定できますか?できるなら、教えてください。
「脳幹論」
を否定している論文を読んだことがありません。
参考にしたいので、もしその存在があるなら、教えてください。
>> |
存在は致しますが
名前: 現役教師Tと申します。
[2008/10/23,01:24:23] No.1789
エディ様がご所望のようなので探して参りました。 |
>> |
貴重な情報です。掲示ありがとうございます。
名前: エディ
[2008/10/23,23:49:15] No.1844
佐和さんに、ここをご紹介いただき、議論したいですね。 |
学ばない自由を持たせるのを批判するのはどうしてですか?
「成績が低くたっていいじゃないか。学校の勉強ができなくても生きていけるさ」というのを批判しているのでしょうか?
統計によると7割以上の親が小学生になるまで英才教育を受けさせているようで学ばない自由を唱えている人は少数派でしょう。
>> |
無題
名前: エディ
[2008/10/14,21:38:11] No.1620
学ばない自由ですか。 |
>> |
無題
名前: ISHI
[2008/10/30,22:26:46] No.1900
学ぶことを他者が強制されない自由という意味で言いました。 |
>> |
悪くは言いませんが
名前: エディ
[2008/10/30,23:48:52] No.1904
小学校での教育を受けるのも義務なんですよ。 |
長いので二回に分けて、書き込みします。
今日は前半です。
ナジャさん
書き込みありがとうございます、卒業生相原君の父と申します。
体罰と暴力の違いですが、外見的な面から見れば有形力の行使としてどちらとも区別はつきません。 これはまず間違いありません。
それを起きた事実と関連付けるために、体罰を原因とし(外見は同じですから)、本来有るはずのない基準を、死亡という事実と無理やり関連させて線引きすれば有罪となります。
勘違いしないでいただきたいのは、高裁判決そのものは“体罰を原因”として死亡事故になった等とは一言も言っていません。
この辺を一部マスコミの垂れ流すいい加減な情報に気をつけてくれと私達は言っているわけです。
ではどういった方向で結論を出したのかというなら、スクールの行った指導は体罰の領域を超えた暴力であった認定することによって、体罰そのものに関しては民法に定められた懲戒権の一つとしての存在と意味、有効性を、国ははっきりと肯定したわけです。
まずそれを勘違いなさらないようにお願いします。
裁判は、起きた事実をどう判断するかにより結果がいくらでも変わるきわめて不安定なものであり、スクール裁判においてはスクールの指導を体罰ではなく暴力とするために死亡事故そのものを関連付ける事で暴力だった線引きをし、あとは過失として判決をだすのか、殺人として出すのか? ヨットスクール事件においての裁判所判断はたったそれだけのことでしかありません。
注意:なくなられた生徒の尊厳は別のはなしになります。
まずそれ(国は体罰そのものをきちんと認めているのだという事)をしっかりと頭に入れておいてください。
さて、冒頭に書いたように外見だけではまったく同じに見えるが故に「どう違うのか?」ということが多くの論争になるわけですが、とりあえずこれを簡単に記そうとするなら、やはり”行使する側の心のあり方が違いを生み出す”という言い方以外にはないわですが。
そもそもどこまでが暴力、どこまでが体罰という正確な基準はなく、また他人が分け隔ての基準を作る事はおろか測ることはさらに不可能です。
そこで”もう少し分かりやすくならないだろうか?”と、工夫して現そうとすると「子供利益のために行う暴行を体罰とし子供の利益の為に行わない暴行を暴力という」
という表現になってくるわけですが、正直なところ、そうであり、又そうでない、というのが答えかと思います。
というのは、体罰がその子の誤りを正す目的で行使されたとしても、答えを出すのは常に行使された子供の側であり、仮に、その時点ではとうてい受け入れられない“暴力”だと捕らえていたとしても、後にその意味を理解できる程に精神成長をなした後には“自分にとって利益であった”と理解することは別段珍しい事でなく、またそれは有る程度年齢のいった大人であれば、理屈ぬきで分かり得るものではないかと思います。
何故そうなのか?というのなら、“人”そのものは自分の目で見て、触れて、感じ、学んだことの範囲内でしか思考を展開できず、当然にその範囲内でしか答えを導き出せない生き物である事から来ています。
すなわち“蓄積された”経験と学習を基にして結論を出す(過程において他者の助言があれば、それは学習の範囲に入ります)のが人間、という事です。
さてそうした同じ人間でありなから存在する大人と子供の差は、経験と学習の差そのものであり、人間性の差でもある。
それは生きてきた歳月の違いがもたらすもので、当然のことながら、生きた時間が長いほど絶対的に得られた情報量も多く、一つの事に関してめぐらす思考も豊かで充実しています。
この差が有るからこそ子供を育てていく過程でその子のどこに過ちがあるかを判断させ、叱ることが出来るわけです。
もう少し話を進めましょう、ここまでは叱ることの出来る理由となるものを書きましたが、それではなぜ人は叱るのか?という疑問を晴らさなければならなくなります。
ナジャさんはこれについて深く考えた事があるでしょうか?
実は、これが人そのものが厳しい自然界を生き残って文明を発展させてきた事と大いに関係が有るのですね。
また平和な社会をつくり安らかな生活がおくれるようになったのもすべてこのおかげです。
さて、先に書いた叱るですが、もし叱る事が不必要なものであるなら、その行為そのものが存在しない、すなわち子供はおろか、誰に過ちをみてもまったく何も感じなくなってしまう・・・
注意:叱るのもっとも強い現われが体罰です。
必要だからこそそれが起こるわけですが、その必要はどこからくるのかといえば愛が生み出しています。
愛は誰しもが持ちえるもので、またこれは人間が事を成すためのエネルギーであり、力でもある。
だから様々な形をとりながら大きな力となってこの世全体を動かしているわけですが、一人の人間という器にまで縮小して考えるなら、恋愛からはじまって、子供をそだて、成長させていく為の長い年月を継続させていくことができる物でもあるわけです。
さて人間は、これを強烈に意識し始める時、まるでスタートラインの様な時期が人生の中にあります、それが強烈な愛を意識し求めるようになる思春期であり、これは第二次性徴期とピッたりと重なっています。
折りしも女の子は生理が始まり、男の子は夢精をみて、生殖能力が備わるわけです。
それまでは注がれる愛という形を大いに求めますが、けして積極的なものではありません。
それでは何故に愛を強烈に意識して強く求めるようになる年齢と、生殖能力が活動を開始するのがほぼ同時期になっているのかですが、お分かりでしょうか?
答えはとても簡単です。
愛というものがただの種族保存本能でしかなく、ゆえに種族を後に残せる身体的な能力が備わった時点でスイッチが入るように働き出すように出来ているからなのですね。
種族保存という本能があるからこそ恋をし、性行動が起き、子供がさずかり、自然に子供を育てている(極端な例でもありますが戦争も全てこの種族保存本能の生み出す人の行動の一つです)、あくまでも一つの動物でしかない人間の自然な姿そのものです。
種族保存は本能ですから、そのエネルギーのほとんどは子孫を正しい方向へ進ませるために使われる。
子供時代は注がれる愛により愛に関して学習しを得ながら基礎を創りあげ、思春期を境に外部へ愛を注ぐように変化するわけです。
*故に反抗期は注がれる愛と注ぐ愛の切り替えの期間であり、行ったり来たりを繰り返すためにきわめて不安定になる。 極当たり前でおかしなことではありません。
さて、切り替わった大人の愛、すなわち注ぐ愛は、種族繁栄の為だけに存在し、これは地球上にそんざいする動物全てに共通した目的、すなわちより強く、より多くを目標として子孫を育てます。
実は叱るという行為の原動力はこの愛、すなわち種族保存本能がもたらしているものであり、故によりよき子孫を残すために注がれるのは当然なわけで、それをスムーズに行うために社会が学校を造ち、勉強させようとするのも、安定した環境を整えようとするのもすべてここに原点があるわけです。
さて、冒頭に書いたように、人は経験と学習で得られた情報の範囲のみで思考する生き物です、
子供は人間であるのは紛れもない事実ですが、人間であるが故に人生をあるけば必ず何かにつきあたり、そして考えます、しかしその考えは先にも書いたように、その子が突き当たるまでの間に持ちえた経験と学習で考える以外には方法はなく、故に考え方も幼く、まちがいも実に多い。
ゆえに大人ははるかに膨大な経験と学習をもって、子供を導くわけですが。
子供はロボットではなくて感情をもった存在であるが故に、大人の導きを拒絶してまったく見当違いの方向へと走り出そうとする事は多々あります。
簡単な例を一つあげてみたいと思います。
子供の不足している経験と学習は、時として自身の目を曇らせ、耳を塞ぐ方向で働き、またそうして行動した結果起きた事実を認めようとしない時があります、
いうなれば自分は正しいとして行動した結果が、その思いとまったく異なる結論になったことを解っていながら、認めようとしない行動をする事があります。
こうした子供の行動はどこにでも、いくらでも、小学校、中学校、果ては高校でもあることで、
これを逃げと私達はいうのですが、
もちろんそのままで良いはず等なく、にごった目と塞いだ耳では、“認めること”から始まる多くの学習、すなわち善悪判断をはじめとする、社会性や人間性が育ちませんから、
その際に大人から発動されるものが教育、そして叱るはその中の一つであり、そのもっとも強いのが体罰という行動なのです。
ちなみに、上記の逃げは他人に責任をなすりつけて自分を退避させる行動そのものであり、これを幼いころにきちんと学ばせてもらえなかった人間が起こす犯罪が毎日メディアを賑わしています
逮捕された彼らが一番初めに語る言葉を良く聴いてみてください、気持ちの悪いほど「こうなったのは全て誰々のせいだ!」という点で共通していますから。
さて、子供(弱者)に対して大人(強者)が力を行使するわけですから、当然にその力は正しい方向で使われねばならず、それは大人にとっても子供にとっても権利です。
日本で乱用されているこの権利という言葉ですが、語源となった言葉はRIGHT(正しい)という言葉です。
権利についてろくに教えていない日本の社会では“権利は何かに基づいて自分の考えを主張するものとして捉えしまっています”しかし、権利はそれが正しいかどうかを単に主張できるだけのことであり、当然に正しいとして受け入れてくれる相手もあれば、拒絶する相手もいます。
権利は個人から社会へ主張できるものでもありますが、まずはその上に社会全体の公益としての権利というものがあり、それが個人の権利を制限する事は当たり前です。
簡単に例を示せば治安等がそれそのものであり、自由だ権利だを主張して、だからとてそれが本来の意味RIGHT(正しい)に沿うものかどうかを十分に吟味せず行動もしくは主張すれば、当然に制限を受けるのはあたりまえであって、故に個人の権利と社会全体の利益としての権利の調整はまず個人が自分の主張する権利が正しいかどうかをきちんと吟味して行われなければならないわけです。
故に拉致したかどうか?ということで、そうした行動をする権利があるかというなら。
その子だけという狭い範囲で物事を考えるのではなくて、その子を取り巻く多くの権利、
をそれぞれつき合わせて何が正しい(権利)なのかを考える思考なくば、
それは自分の思考を他人に押し付けるわがままでしなないわけです。
失明するほどめちゃめちゃ顔を殴られた親が、どうやってその子を説得して戸塚ヨットスクールに自分から進んでいくようにしむけられるのか?
権利という言葉を放つなら、まず具体的で有効な説得方法をここで明かていただき、子供と親の両方の権利を保護してもらわねばなりません。
子供の権利を守るのだといいながら、それでは毎日のように殴られる親の権利をなおざりにしておいて、その理由は「子供がかわいそうだから!」というのでは、どこに権利のもつ本来の意味、すなわち“人として正しい”がどこにあるのだというのでしょうか?
権利の意味をまともに教えなかったこの国は、権利=自分の思いを主張する事。
自由=自分勝手な好き勝手ができる事
になってしまいました。
ナジャさんはどうお考えでしょうか?
>> |
卒業生相原君の父 さんへ
名前: ナジャ
[2008/10/09,22:17:51] No.1556
卒業生相原君の父さん、はじめまして。 |
>> |
拉致
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/10,03:31:38] No.1557
返信頂きましたことへの返答は今しばらくお待ち下さい。 |
>> |
気長に待ちます
名前: なじゃ
[2008/10/10,19:43:23] No.1558
気長に待ちますので、ゆっくり考えていただければと思います。よろしくお願いします。 |
>> |
親権
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/11,05:35:43] No.1566
ナジャさんへ |
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権利
名前: なじゃ
[2008/10/11,20:09:18] No.1581
レスありがとうございます。 |
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無題
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/11,21:39:22] No.1587
ナジャさんへ |
>> |
無題
名前: なじゃ
[2008/10/11,23:01:41] No.1590
そうなるとナジャさんの権利とは殺人を犯すことも権利ということになります。私もこれまで返答をしてきましたが、権利に対してそうした考え方をしている人間に対して返信をすることはいかがな物であろうか?と疑問を抱かざるを得ません。これは論議以前の問題であって、この掲示板の管理人さんがどう判断するかわかりませんが、以前、自殺を明確に肯定した人間をここから排除した前例があることから、おそらく同じ対処がされる可能性があるかと思いますので、あらかじめお伝えしておきます。 |
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無題
名前: KTT
[2008/10/31,00:51:56] No.1905
長い文章は読む気なくす。 |
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無題
名前: ISHI
[2008/10/31,03:03:29] No.1906
押し付けてはいけない理由はそれだけですか? |
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ここのQ&Aを読みましたが
名前: ルンルン
[2008/10/31,10:24:22] No.1912
親が精神疾患であるケース、精神疾患であるケースを全く想定していませんね。 |