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【コラム】生徒を抽選で選ぶ誤った平等論(上)

 国際中学校をめぐる最近の論争を見ていると、韓国社会における左派的な「平等論」の力がいかに強いかということを改めて感じさせる。そのことを何よりも実感させるのが「抽選選抜」だ。ソウルに来年開設される国際中学校では、生徒の第1次選抜として書類審査、第2次選抜として面接を行い、そして第3次選抜として抽選を行うとしている。抽選とは、合格するか否かを運に任せるものだ。個人の能力や実力はまったく考慮されない。エリート教育を目的として設立される国際中学校の生徒を、このような荒唐無稽な方法で選抜するのは、同校の設立に反対する左派の「平等論」を反映したものだといっても過言ではないだろう。

 左派の平等論では、生活苦を個人の責任ではなく、社会の責任であると主張している。個人が有している能力や資質の差は無視し、まともな暮らしをしている両親の下に生まれたかどうかという、環境の違いだけを強調している。全国教職員労働組合(全教組)や一部の市民団体、野党など、国際中学校の設立に反対している勢力も、このような「平等論」を盾に国際中学校を批判している。生徒を試験で選ぶことになれば、金持ちの両親の下に生まれ、私教育を受けられる余裕がある一部の階層だけが入学できることになり、「教育の機会均等」の原則に反する、というわけだ。すべての人に平等に機会を与える抽選は、このような反対派の嫌悪感を少しでも軽減するために考え出されたのだろう。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権下では、政権勢力やこれに同調する一部の勢力が左派的な平等論を振りかざし、韓国社会を揺さぶり続けてきた。名門大学に通う学生たちに対し「江南に住みサムスンに勤める連中の子ども」と表現し、敵対心や憎しみを植え付けてきた。名門大学の学生たちが優秀なのは、個人の実力ではなく、金持ちの両親の下で有利な環境にあったからだというのだ。

キム・ナンギ記者(仁川地域取材本部長)

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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