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朝日の社説は、11月3日ということで、一種の記念日の論説なのだろう。その態度はいい。文化的だ。ただし、見当違いのことを主張するのは困る。たとえ善意はあっても、非科学的なのは困る。
朝日の主張の大意は、次の通り。
「森林減少が進んでいる。これは地球温暖化にとって好ましくない。そこで、対策として、排出権取引に『森林減少対策』を取り入れよ。そうすれば、森林減少対策に金を払うようになるので、対策になる」
もっともだな、と思えるかもしれない。しかし、こんなことはかねてあちこちで言われていることだ。だから、こんなのをいちいち自分の主張だという顔をするのもおかしい。主張するよりは、他人の主張として紹介して、「賛成です」と語るだけでいいはずだ。
これじゃ、著作権無視の盗用みたいなもので、非文化的な態度である。 (^^);
ま、イヤミはさておき、この主張は、実は根源的に狂っている。そのことを指摘しよう。
まずは、朝日・社説の引用から。
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《 温暖化と森林 ── 保全で得する仕組みを 》──
世界の森林面積は陸地の3割を占めている。木々が織りなす緑は生物の宝庫であるだけでなく、二酸化炭素(CO2)を吸収して地球の温暖化を防ぐ役割も果たす。この恵み多い森林の破壊が加速度的に進んでいる。
国連食糧農業機関(FAO)によると、05年までの5年間に日本の面積に近い 35万平方キロの森林が失われた。木材生産のための伐採や森林火災、プランテーションなどの大規模な農地への転換が原因だ。
そうした森林破壊などで大気中に排出されるCO2は、車の排ガスなど世界全体の人為的な排出量の2割、米国の年間排出量に匹敵する。光合成で蓄えられていた炭素が、樹木が燃やされるなどして放出されるからだ。 ……(*)
森林保全に必要な資金をどのようにして途上国に回すか。先進国や国際機関による援助のほか、いま注目されているのが「途上国における森林減少の防止(REDD)」という構想だ。
京都議定書には、先進国が途上国の森林を植林で増やせば先進国のCO2削減量に算入できる仕組みがある。しかし、森林が減らないようにする対策を支援しても、この仕組みを適用できない。それを改めて、森林減少の対策も排出削減量に加えられるようにするのがREDDだ。
2013年からの「ポスト京都議定書」の枠組みにREDDを組み込めば、森林保全への資金援助の意欲も強まるだろう。途上国自身が森林減少の対策によるCO2削減量を排出量取引市場で売ることができるようにすれば、森林を守った方が経済的にも得になるという意識がいっそう広まる。
( → 朝日・社説 2008-11-03 )
要するに、「環境保護のために金の損得を組み合わせよう」という発想だ。いかにも「市場原理主義」丸出しである。朝日は、「市場原理でやれば万事うまく行く」と思い込んでいる。鼻高々で主張しているが、そういう発想のせいで米国金融危機が発生した、ということをすっかり忘れてしまっているんですね。( 泉の波立ち 2008-11-04 の「スティグリッツの経済解説」の項を参照。)
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では、いよいよ、私の批判を加えよう。朝日の主張は、どこがおかしいか?
まず、「森林減少への対策をせよ」という趣旨(目的)は、正しい。「地球温暖化阻止」という目標と、「環境保全」という目的も、おおむね正しい。
ただし、その理由がおかしい。そもそも、全然理屈になっていない。
たとえば、上記の引用で、(*)の箇所がある。そこでは、「森林破壊などで大気中に排出されるCO2は……」と述べている。つまり、森林破壊によって大量の CO2 排出があると見なしている。
しかし、ここで排出される CO2は、もともと森林が吸収したものであるから、差し引きすれば、特に悪くもないはずだ。(だからこそ「化石燃料でなく再生可能な燃料を使え」という主張が出て、「バイオエタノールを」という発想が出たのだ。)
たしかに地球上の森林が蓄積する CO2の量はかなりあるのだが、それを燃やしたとしても、そんなことは一時的なことにすぎない。ある程度、燃えてしまえば、そのあとはもはや森林が継続的に減少するわけではない。たえず継続的に CO2を発生している化石燃料とは全然違うのだ。化石燃料の節約には「塵も積もれば山となる」ような効果があるが、森林については「CO2の削減」効果は大したことはないのだ。
では、「CO2の削減」効果は大したことはないのだとしたら、森林を破壊してもいいのか? いや、そうではない。森林の維持には、別の大きな効果がある。それは、次のことだ。
・ 水分蒸発量を高める
・ 生態系の維持
前者は、これこそが核心だ。地球温暖化の根源は、CO2 ではなく、水分蒸発量の減少だ。とすれば、CO2対策ではなく、水分蒸発量への対策として、森林の維持は大切だ。(前に述べたとおり。 → 陸地温暖化説 ,陸地温暖化への対策 )
後者は、生物学的な見地から、とても大切なことだ。「人間の命を大切にせよ」とだけ主張して、多様な生物を破壊していけば、そのうちいつか、人間を維持させるための生物が途絶えて、人間そのものも途絶えてしまうかもしれない。そして、そのときになって、「新たな生物を生み出そう」としても、そんなことはとうていできないのだ。
( ※ 人間がいくら遺伝子をいじくり回しても、人間はいまだに細菌一つすら人工的に生み出したことはない。ウィルスぐらいならば人工的に作れるだろうが、あれは生命ではない。ただの前生物 だ。)
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ともあれ、朝日の主張は、見当違いだ。「森林の維持」という結論自体は正しいが、その理由が間違っている。あまりにも非科学的すぎる。そんな非科学的なことを主張するから、反対論者から論理の欠陥を突かれるのである。
さらに言えば、「金を出せ」という方針も、「人の財布を頼りにする」ということで、あまりにも自分勝手だ。朝日はこのように、「他人の金で自分が善行したつもりになる」という態度が多すぎる。( → 省エネをめぐる「善と偽善」 )
なすべきことは何か? きれいごとを唱えて、自分が善行をしているつもりになることではない。真実を見ることだ。心の曇りを取り除くことだ。そして、そのためにはまず、「 CO2で地球温暖化」という嘘八百を、非科学的な妄想として、捨てるべきだ。
そのとき初めて、「地球温暖化はあるが、その理由は、CO2の増加ではなく、水分蒸発量の低下だ」とわかるはずだ。そして、そのときようやく、「なぜ森林を維持しなくてはならないか」を理解するはずだ。
そしてまた、われわれのなすべきことが、太陽電池のために莫大な金を投入することでなく、日本の都市のあちこちに緑を豊かに増やすことだ、とわかるはずだ。
途上国が森林を破壊するのを見て、軽蔑にするよりは、なすべきことがある。それは、自分たち自身について反省することだ。日本自身が、自分の土地の緑を消失させて、都市砂漠を拡大していると、自覚することだ。
そういう自覚なしに、きれいごとを唱えるべきではない。「馬鹿な途上国を是正してやろう」と利口ぶるべきでもない。
朝の提案は、「自らの理想を実現するために、日本の産業界から金を取り立ててやろう」というものだ。なるほど、それで、自分が善行したつもりになれるだろう。しかし、そんなことを無闇に実行すれば、この不況のさなかで、企業の倒産が続出する。森林を破壊するどころか、日本経済そのものを破壊する。これじゃ、テロリストみたいなものだ。
自分を善人と信じている妄想者ほど、始末に負えないものはない。ま、テロリストというものは、もともと そういうものであるが。……ただ、たいていのテロリストは、自分がテロをしていることを自覚しているが、朝日はそのことを自覚していない。そのせいで、地球を救うつもりで、地球を破壊してしまう。おろかというか何というか。……自分を善人と信じている妄想者ほど、始末に負えないものはない。