医療を語れるのは医師しかいない
「医療や社会保障に財源をもっと投入しなければ、日本の経済社会全体が回らなくなるのは明らか。そのためには、医師が医療の外にある他の社会システムの人々に対して共通言語で語り掛け、今の世界情勢における日本の位置、その中での医療が抱えている問題を共有できるようにしなければならない。医療を語れるのは医師しかいない」―。こう語るのは、新刊「競争も平等も超えて―チャレンジする日本の再設計図」の著者の松田学さん。現役の財務省官僚である一方、これまで日本の政策決定に大きな影響を与えてきたといわれる「言論NPO」という非営利政策シンクタンクの理事を務めるなど、さまざまな活動を行っている。「議論を通じて合意を形成していくため、発想のヒントにしてほしい」。松田さんが著書に込めた思いを聞いた。(熊田梨恵)
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―この本を書こうと思われたきっかけは。
ずっと役人をしていると、日本が抱える重要な問題が見えてくることが多いのですが、それをメディアがきちんと取り上げているかというとそうじゃないし、政府の立場ではさまざまな制約も限界もあります。大事な問題は各界の人々がしっかりとした議論をして国民の合意を形成していかなければなりません。しかし、国民にきちんとした選択肢を誰も示さない。国民は判断材料がないので議論できず、このため国も一歩も進めません。
議論ができる人は日本の各界におられますし、それぞれの分野で日本には“成熟国”として相当の蓄積があります。しかし、問題は、それをネットワーク化する力が日本は弱いということです。官・民・学を問わず、日本の各界が横断的に知恵のコラボレーションをして、政治が本来の役割を果たすよう、プレッシャーを与えていく機能が必要です。今、日本は140年ぶりの歴史的な大転換期にあります。日本の将来の全体システムの設計に向けて、その設計思想のレベルから選択肢を提示し、国民合意を形成していくという政治の役割がこれほど問われている時代はありません。しかし、日本の各界も有権者も、問題に真剣に向き合おうとしていません。だから、現実に影響を与える本格的な政策論で未来を開くためには、一定の構造を備えた方法論に基づく議論の場を自覚的に創出しなければならない。その方法論を提供したいと思いました。
―医療界をどう見ていますか。
それぞれの時代で注目を浴びるシステムというのがあります。これまでは「官」バッシングがありましたが、今は医療界に対する関心がこれまでにない高まりを見せている中で、医師がバッシングされているようにも見えます。これは医療に対する国民のニーズや期待の大きさに対し、医療が応えられないことについてのギャップが大きいために起こっているように見えます。今後の超高齢社会では、医療が立ち行かなくなってはならず、医療システムを利用するユーザーの立場から見ても、これを持続可能なものにするために何とかしなければいけません。特に、日本がこれからどういう国になるかは、社会の高齢化というものをチャンスとして生かせるかどうかに懸かっています。
■医療は日本経済最大のけん引役に
―高齢化が「チャンス」である意味を、もう少し教えてください。
そもそも医療を「コスト」でなく「価値」としてとらえるよう、発想を転換する必要があります。医療を「バリュー」としてとらえてみれば、それは超高齢社会における「健康という価値」、バリューの創造になります。医療システムも、エンドユーザーに対する価値提供システムの一つです。そして、他国に例のない超高齢社会に入る日本でこそ、健康関連分野での消費振興が、今後の日本経済の最大のけん引役になれるはずです。現在、32兆円余りの日本の国民総医療費は、他の先進国と比べても、GDP(国内総生産)規模から見て50兆円あっても不思議ではなく、今後の超高齢社会で「健康」それ自体を価値としていけば、日本には100兆円の潜在マーケットが存在すると言っても大げさではないとされています。
情報社会といわれますが、情報が最も集積しているものが「人間」であり、人間は個々の人間すべて含めて情報の塊です。医療産業は「人間」という最大の情報集積を活用する新たなリーディングインダストリーととらえていくべきです。健康な人の健康を維持する、健康な高齢者をもっと元気にするところまで、医療の機能のコンセプトを拡張していけば、そこには広大なビジネスフロンティアが広がっていくはずです。日本の経済戦略の遂行に資するよう、医療を産業として戦略化する上で、現行制度の下でもできることとして、日本が医療においてアジアや世界の核となることが挙げられます。
―医療を価値提供の産業としていくため、具体的な制度設計はどう考えられるのでしょう。
重要なのは、医療システムが国民の「負担」によって賄われるのではなく、人々の自由な価値選択によって担われるべきだということです。その結果として医療に財源が確保され、それが社会的相互扶助に回っていく仕組みを構築すべきです。この本では、そのような「医療財源サブシステム」を試論として提示しました。その際に着目したいのが、高齢者がその大半を保有し、それも一部の人に偏っている日本人の莫大(ばくだい)な資産です。「貯蓄から投資へ」が叫ばれていますが、それよりも重要なのは、せっかくの日本の資産が海外に流出して世界の金融の不安定化を助長するのではなく、超高齢社会のテーマにふさわしい価値の実現を国内で図れるよう、「貯蓄から消費へ」、あるいは「資産から消費や寄付へ」を進めることだと思います。ストックを国内フローへと導き出していく。これは日本全体に問われている社会システムのエコノミクスです。
問題解決を「痛み」とか「負担」といったゼロサム的発想ではなく、一人ひとりが価値や喜びや生きがいを追求する中で、豊かさと助け合いを同時に達成するWin−Winの拡大均衡に求める。そうしたやり方ができるのだということを示したいと思いました。日本経済の最大の問題が「不確実性」ですが、それを解消する唯一の解がそこにあります。この道の中核にあるのが医療システムです。
■他システムを納得させるため、医療界からの発信を
―それを実現するには、国民から合意を得なければなりません。しかし、そのプロセスがなかなか進まないように見えます。
こう言うと失礼に聞こえるかもしれませんが、医師と議論すると出てくる意見はしっかりしているし、素晴らしい理解力を示される。ただ、その内容が行政や現行システムに対する批判にとどまっていることが多いのが残念です。例えば行政というものは、政治や世論、あるいは組織の論理などの制約の下にしか動けないものです。それらを外側から突き崩すしか現実を動かす手段はありません。医療界を超えた共通認識の土台をつくり、体系性を持った収束した声へと合意形成を図ることで、政治も初めて動くことができます。しかし、国民から見るとやはり医師は強者。医療以外の他のシステムの人々が、そこに一定の資源投入を合意するところまで至るためには、彼らをも納得させられる論理を彼らと共有することが必要です。
まず世界の中のアジアという枠組みがあり、その中で日本が将来をどう描いていけるのか。その下に日本の経済社会全体の設計があり、それと整合的に医療システムのあり方が位置付けられてくる。そうした全体の中で、なぜ医療への資源投入が必要になるのかを示さなければいけません。これを語るのは、医療界でなければできません。医療は経済学者などが分析できるほど単純なものではなく、メディアや政治なども医療を詳しく論じられる人は極めて少ない。それはプロだけが理解できる、かなりの複雑系のシステムです。問題の所在を示し、思考の材料を提供できるのも医療界だけです。つまり、医療界が医療の立場を超えた社会全体の視点に立って問題提起をしていかなければ、日本の社会は一歩も動かないということです。
―医療界自身が動いて問題提起し、議論を通じた合意形成に動くべきであると。
医療財源を諸システムの組み合わせで再設計しなければ、医療という国民生活にとっての最重要分野の一つが持たないことを医療サイドから提起することは、日本の社会システム全体が共通に抱えている課題や、その解のあり方を示すことにもなります。この本では、「官」「民」「公」というそれぞれ異なる論理の複数のシステムを有機的に組み合わせることで、医療問題のソリューションが得られることを提示しています。実は、そうした組み立ては、日本全体の再設計に問われている課題そのものなのです。それをわたしは「日本版ニューディール」として提案しています。今の日本は、それを医療システムから始めるべき状況にあります。ですから、社会システム全体を鳥瞰(ちょうかん)する視点を医療界の人々に持っていただくことが必要なのです。
まず、全体を議論し、そこに一定の合意を形成しなければ、個別の問題解決は何も進まない。140年ぶりの「パラダイム転換」が求められている今の日本は、まさにそのような状況にあります。ですから、この本では、長期にわたって日本人が追求すべき日本全体のアイデンティティーのレベルから議論をスタートさせて、その中で医療はこうだという思考の仕方を示しています。例えば、病院への寄付を促進する上では税制がネックだと言っているだけでは駄目なのです。日本はアジアや世界の中で新たな価値を創出する舞台になる。その価値は市場でもなく政府でもなく、「民」も「官」も共に支える「公」の世界から生み出される。だから「公」をつくる営みに日本の最大の課題がある。そのことを広く国民も政治も合意して初めて、人々の価値選択で医療に潤沢な資源が投入されるシステムが現実のものになる。少なくとも各界の指導的な立場にあるインテリの方々の間では、こうした思考方式で一定の理解に到達しておかなければなりません。
―著書は、議論の中でどう生かされるのですか。
この本では、医師が単なる医療のスペシャリストではなく、真の「プロフェッショナル」として発信していくための発想のヒントを盛り込んでいます。この本は、わたしがここ7年にわたって活動してきた「言論NPO」という日本を代表する本格的な政策論形成の場において、経済界、政界、官界、学界、メディアなどの各界で日本を代表する論者や当事者たちが現に行っている議論をその土台としています。この議論のプロセスには、誰もがどこからでも入り得るオープンな体系性が備わっています。この本では、単に一人の頭で日本の構想を描くのではなく、日本の将来選択に向けて各界の知恵を結集し、「知のネットワーク」でコラボレーションを進めていくための議論の構造そのものを提示しました。その下に、一定の方法論と議論の体系に基づいた国家戦略の構想を開始しました。
■議論で形成した選択肢で政治に迫り、国民合意へ
―日本では、集会などで議論したはいいけれど、その後の動きにつながっていないというケースが散見されるように感じます。
いくら議論をしてみても、それが実際に現実を動かすものでなければ何の意味もありません。必要なのは全体観であり、議論を収束した力へと結実させる総合力です。議論プロセスが目指すのは、将来に向けた日本の選択肢を形成して、それを政治に迫り、国民合意を形成していくことです。
また、日本では個別の分野を超えた全体システムの組み替えを横断的にやっていかなければ、何をしようとしても一歩も前に進まない状況にあります。各分野における日本の政策課題にどのように対応すべきか、そのイメージと本質的な論点をそれぞれ明らかにしました。ここで提案された設計思想の下に再設計に挑んだ分野を例示すると、国際社会の中における国家路線やアジア戦略などの日本の国際戦略から、日本経済のあるべき方向や経済財政運営、地域再生のあり方や農業問題、医療問題やその解決に向けた財源システムの構築、市民社会や「公」の組み立てと寄付の促進、金融や教育政策のあり方、政府や公務員の機能の新たな設計、さらには地域コミュニティーの創生まで、幅広い分野について、将来に向けた組み立てを試みました。
―そうした議論を始めるとして、具体的にどう動くことが考えられますか。
できるだけ多くの人に、自ら課題に向き合う「当事者」になっていただきたいです。これを土台に、わたしたちの「言論NPO」も医療の議論の場をつくり、それを展開して大きく公開していくこともできます。重要なのは、医療界ではない人々と共通の基盤で議論していくことです。それによって現実を動かせる解に到達するでしょうし、またほかの世界からの理解を得ることにもつながります。
―今後の展望を聞かせてください。
日本は現在、政治も行政も経済も混迷を続け、国際社会における存在も低下しているかに見えますが、実は、21世紀は日本にとってチャンスの世紀です。問題は、日本人が今の危機を自らのチャンスに転じることができるかどうかです。特に、超高齢社会という危機は、日本がこれまで直面してきた危機とは違い、今後超長期にわたって徐々に進行する目に見えない危機です。だからこそ、この危機を日本人がチャンスとして自覚的に認識し、前向きにとらえていく動きを意図的に生み出す営みが必要です。
医療という、今国民が最も身近に感じる重要な問題の立場から動き始めることが、社会全体を動かすきっかけになるということを期待しています。
●書籍紹介
価格:2100円(税込)
単行本:322ページ
出版社:財経詳報社 (2008/10)
ISBN-10:4881779532
ISBN-13:978-4881779538
●略歴
1957年京都府生まれ、1981年東大経済学部卒業、大蔵省入省。西ドイツ・ボン大学社会経済学研究所留学、洲本税務署長、大蔵省の大臣官房や各局、経済企画庁、大阪国税局査察部長、大蔵省大臣官房企画官、内閣官房審議官、国土交通省及び財務省の本省課長等を経て、2006年に東京医科歯科大学教養部教授に出向。2008年7月より(独)郵便貯金・簡易生命保険管理機構理事に出向中。著書は「貿易摩擦 見えない戦争」(共著:TBSブリタニカ、1987年)など。「言論NPO」を中心に政策論の場づくりに携わり、現在、同理事のほか、上武大学大学院客員教授、社会システムデザイン研究所フェローを兼務。(著書より引用)
言論NPOホームページ http://www.genron-npo.net/
更新:2008/11/04 11:28 キャリアブレイン
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