米国の金融危機が瞬く間に世界に広がり、日本でも明日への不安が募っている。当たり前だった日々の風景は、どう変わろうとしているのか。職や暮らしの現場から報告する。
午前0時。名古屋駅前のハンバーガーショップ。硬い椅子に腰掛け、壁を見つめる男性がいた。脇には、半透明の衣装ケースとボストンバッグをくくり付けたキャリーカート。着替えや身の回りの雑貨を詰め込んである。
やがて所在なげに立ち上がり、店を出た。「コーヒー1杯で一晩居座ろうと思ったけど、人の視線が気になって10分も持たなかったな」。照れたように笑った。34歳。今日、泊まる場所がない。
車のエアバッグを製造する三重県菰野(こもの)町の工場で半年間、フォークリフトの運転手として働いた。不安定な派遣労働だった。10月28日に突然契約を解除され、寮を追われた。四日市市で職を探したが見つからず、30日夕、名古屋に来た。財布には500円玉1枚とわずかな小銭が残るだけだ。
名古屋駅には毎日、大きな荷物を抱えた人々が、職を求めてやってくる。「東京、大阪に比べ抜群に景気がいい」。そんな名古屋神話が広まったためだ。実際、東海地方にはトヨタをはじめとする自動車関連企業が多く立地し、名古屋は好景気の代名詞だった。
だが、米国の金融危機を受け、その「日本の自動車工場」で真っ先に雇用調整が進められている。トヨタは9月末までに期間従業員を2000人削減。デンソーや関東自動車工業などのグループ内企業も人を削り始めた。日産やスズキも人員整理を決めた。対象はほとんどが派遣労働者だ。
男性は3年前に腰を痛め、当時の勤務先を退職した。離婚し2人の子供とも離れて暮らす。リハビリを経て心機一転、新しい仕事に精を出そうという矢先の先月上旬、北米自動車市場の冷え込みで、会社の生産計画が先送りとなり、人員削減が始まった。
雇用契約にない荷降ろし作業を強いられ、再び腰を痛めた。数日欠勤すると上司は言った。「腰痛? ほんまかいな。明日からもうええよ」。他の2人と一緒に解雇された。「とにかく人を減らしたかったんでしょうね」。男性は顔をゆがめた。
下請けの重層化が著しい自動車産業では、孫請け、ひ孫請けまで多くが派遣労働者を使っている。「全体で実際にどれだけの派遣労働者がクビを切られているか、見当もつかない」。愛知県労働組合総連合の榑松(くれまつ)佐一事務局長は指摘する。
それを裏付けるように、車関連工場がひしめく愛知県岡崎市では、生活保護の受給世帯が10月1日現在、前年同期比12%増の805世帯になった。市生活福祉課の担当者は「派遣契約の解除で寮を出された40代、50代が保護を求めるケースが増えている」と話す。
東海地方に限らず、新規の求人件数も激減している。求人の3割を自動車関連が占める人材派遣大手「日研総業」(東京都大田区)では、派遣労働者のうち実際に働いている人が、今年4月1日現在の約3万8000人から9月末現在には3万4000人にまで落ち込んだ。
午前1時。男性は名古屋駅に向かった。解雇された時、「何日か寮に置いてほしい」と頼んでみた。だが、あっさり断られた。「不況の真っただ中にいるんだし、仕方ない。即入居可の寮付きの派遣なら、もう何でもいい」
人けのなくなったロータリーで、男性は体を縮めた。【市川明代】
毎日新聞 2008年11月3日 東京朝刊