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フランク永井さん 大阪ゆかりの歌も

2008年11月2日

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写真舞台で歌うフランク永井さん=1963年、大阪市のフェスティバルホール写真法善寺の一角にある「大阪ぐらし」の歌碑=2日夜、大阪市中央区、日置康夫撮影

 肺炎のため10月27日に亡くなった歌手のフランク永井さんは、「有楽町で逢(あ)いましょう」「東京ナイト・クラブ」などのヒット曲で知られるが、大阪を舞台にした歌も少なくない。

 「なんで泣きはる 泣いてはる――」

 大阪弁で歌ったヒット曲「こいさんのラブコール」(1958年)は、当時珍しかった大阪弁の歌をつくろうと、大阪・朝日放送のラジオ番組「ABCホームソング」の企画で生まれた。

 作曲した大野正雄さん(77)=堺市=は、歌の収録で放送局のスタジオを訪れたフランクさんとの初対面を、今もよく覚えている。人気歌手とは知らず歌い方に「色気がない」などあれこれ注文を付けたが、苦笑いしつつ黙って聞いていたという。「あとで偉大な歌手と聞いてびっくりした。名前の通り、まじめで気さくな人だった」

 「こいさん」は多くの歌手に歌い継がれている。「しかし」と大野さんは言う。「最初にあの独特の渋い低音を聞いてしまうと、フランクさん以上にはまる歌手はいなかった」

 同じ大阪を舞台にしたヒット曲「大阪ぐらし」(64年)。歌詞を刻んだ碑が、歌に登場する法善寺(大阪市中央区)の一角にある。作詞した故・石浜恒夫さんは飲み屋が連なる法善寺横丁の常連だった。碑は追悼のため、同寺と地元の飲食店主らが04年に建てた。

 「おなごなりゃこそ 願かけまする 恋の思案の 法善寺――」

 住職の神田眞晃さん(54)は「法善寺かいわいを人情的に歌い、夜の街の風情を優しく伝えるメロディーが印象的でした。大阪をうまいこと伝えてくれた歌が聴けなくなり、寂しく思います」と話した。(三島庸孝、高木智子)

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