現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 映画・音楽・芸能
  4. 音楽
  5. 記事

「有楽町で逢いましょう」フランク永井さん死去

2008年11月2日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真フランク永井さん写真舞台で歌うフランク永井さん=大阪市の大阪フェスティバルホール写真「有楽町で逢いましょう」のジャケット写真「君恋し」写真77年のヒット曲「おまえに」写真数寄屋橋交差点近くにある「有楽町で逢いましょう」の歌碑=2日午後、東京都千代田区、鎌田正平撮影写真法善寺の一角にある「大阪ぐらし」の歌碑=2日夜、大阪市中央区、日置康夫撮影

 「有楽町で逢(あ)いましょう」「おまえに」などのムード歌謡で知られる歌手のフランク永井(本名永井清人〈ながい・きよと〉)さんが10月27日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去していたことが分かった。76歳だった。葬儀は近親者で営まれた。

 宮城県出身。米軍キャンプのクラブ歌手をへて55年、ビクターの専属歌手となる。57年、百貨店「そごう」東京店出店のイメージソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」(吉田正作曲・佐伯孝夫作詞)が大ヒット。ささやくような甘い歌声は「低音の魅力」と評され、低音ブームを巻き起こした。59年には故松尾和子さんとデュエットした「東京ナイト・クラブ」がヒット。61年、「君恋し」で日本レコード大賞を受賞した。77年の「おまえに」など、今なお多くの人々に愛唱されている。NHK紅白歌合戦には連続26回出場した。

 85年10月に自殺を図り重体となるものの、一命をとりとめた。後遺症のリハビリに努めたが、歌手活動を再開させるには至らなかった。今夏、風邪が悪化して一時入院し、その後自宅で療養していた。

 今年7月には「有楽町で逢いましょう」から50周年が過ぎたことを記念し、東京・有楽町マリオン前に歌碑が完成し、除幕式ではビクターの後輩歌手、ジェロさんが同曲を歌って花を添えた。

     ◇

 〈歌手のペギー葉山さんの話〉 非常に残念です。とても人を思いやる、温かな人柄でした。ちょうど同じ時代にヒット曲を持った仲間で、お互い「フランク」「ペギー」と呼び合う仲でした。いまの時代にはあまりいない低音の魅力ある歌声、私も忘れないし、みなさんも忘れないでほしい。

 〈音楽評論家・伊藤強(つよし)さんの話〉 もともとジャズ歌手で都会派の素養のあったフランク永井の歌声と、モダンな感性の吉田正のメロディーが結びついたのが「有楽町で逢いましょう」。高度経済成長の初期、未開発だった有楽町に「そごう」が誕生し、街も日本もモダンになっていくぞという時代にマッチしてヒットにつながった。歌謡曲が今よりはるかにモダンだった時代の空気を代表する名曲だ。

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内