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医療現場におけるコミュニケーション

竹中文良 NPO法人ジャパン・ウエルネス理事長

2008年11月3日

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 私がまだ現職の外科医として働いていた20年前、大腸がんにかかり、自分が勤務していた日赤医療センターで手術を受け、1カ月間入院した。当時の医療、特にがん医療では、診断・治療はほぼ全面的に医師の責任に託され、患者自身が関与することは極めて少なかった。

 その頃、そうした状況の下で「医師たちは病気だけみて患者をみない」と言われたものだ。この時代の看護師の役割がまさしく、医師たちが放棄しがちな患者たちの心の支えとして機能していたと思う。

 十数年前からようやく、患者に対するがん告知が実現し、同時に情報開示も徐々に普及してきた。そしてそれに呼応するように医師や看護師、患者たちの対応も変化し、お互いのコミュニケーションも微妙に変化してきた。

 最初の入院から20年過ぎた2年前、私はC型肝炎に併発した肝臓がんにかかり、最初は東京大学病院で、今年は日赤医療センターで2回にわたる摘出手術を受け、それぞれ3週間程度入院治療した。

 この20年間隔で2種類のがん医療を受けてみて、医療の進歩にも感銘を受けたが、医療者の患者に対する対応の変化にも驚かされた。

 医師たちは確かに患者たちに対して親切でより分かりやすく説明してくれるようになった。もちろん、すべての医師がそう変わったとは言えないが、傾向として好転している。

■患者に触れなくなった看護師

 同時に気づいたのは看護師たちが直接、患者に触れなくなったことである。もちろん脈拍測定にせよ体温や血圧測定などにせよ、簡単になり、患者の体に触れる機会が減少したのだろう。確かに昔に比べて看護師たちの知識量も事務量も爆発的に増えたことは確かである。だがその結果として患者が期待する看護師の役割が後退したことは否めない。

 第一に、今まで病気に縁が無かった患者にとり、多忙な医師たちの説明を受けても、わかるという領域まで行かないものだ。その言葉に自分の思いを託し、解読してくれていたのが従来の看護師の大切な役割だった。さらに患者にとっては、何げない看護師さんの励ましや、肌のぬくもりが心に安らぎを与えてくれたものだ。

 こんな大切な心のこもる手法が、どうして急速に看護の世界から姿を消しつつあるのか?

 半年ほど前のことだが、私は精密検査のために2日間入院した。

 そのときたまたま、ある看護師が持続点滴の終了に伴い、針を抜いてテープで固定してくれた。しばらくして冷感がするので右腕をみると、血液が寝間着まで浸透していた。すぐ立ち上がり、その部分を圧迫しながら看護室に急いだ。「出血しているのですが」と声をかけた。看護室には3〜4人の看護師がいて、仕事をしていた。長年病院で外科医として働いてきた私は、まずその場にいる2〜3人が何らかの対応をしてくれると信じていた。

 ところがこの予想は見事に裏切られ、血液が浸み出した寝間着を片手で抑える私をチラッとみただけで、その中の1人が声をかけた。「今、担当を呼びますから」

 しばらくして、係の看護師がきて止血をやり直してくれた。それで終わりである。昔なら寝間着に付いた血の付着を見て、「今の方が汚れが取れます」と、何らかの処置をしてくれたものだ。私はそのまま病室に帰り、部屋で寝間着を洗いながら看護師たちの変ぼうに驚きを隠せなかった。

■新人しからず伝わらぬ本質

 忙しい看護師たちにとり、高齢の患者のせいぜい10cc程度の出血くらい、自分で抑えておけよ、というくらいの反応なのかもしれない。でも私が言いたいのは看護師たちの感性の問題だ。もちろん、今回の患者体験では、顔見知りの優秀な看護師さんたちにもお世話になった。至れり尽くせりの看護を提供していただき、深く感謝している。ただこのベテランたちの看護の本質が順当に若い看護師たちに伝わらないのが問題なのだ。

 色々な医療機関のベテラン看護師たちの意見では、「どこの病院でも新人看護師たちをしからない」ことが求められているという。理由は、「保護的に扱わないと、辞めてしまうから」だと言う。

 社会のどんな分野であろうと、新人の間はミスが頻発する。それを指摘し、矯正しながら、一人前のプロが育っていく。それを抜きにして職業教育が成り立つわけが無いと思うが間違いだろうか? ごく最近、新人医師に対しても厳しい指導はしないという話を耳にする。日本での医師・看護師・患者間のコミュニケーションが大きな変わり目に来ているのかもしれない。

     ◇

 竹中文良(たけなか・ふみよし)1931年、和歌山県生まれ。56年、日本医科大学卒業。日本赤十字社中央病院に入る。86年、外科部長。その後、大腸がん手術を受け、この体験を『医者が癌(がん)にかかったとき』(文芸春秋)に著す。96年に日赤医療センターを退職後、米国最大のがん患者支援組織で研修を受けるなどして、2001年、がん患者と家族をサポートするNPO法人ジャパン・ウェルネスを設立。2006年、がん患者と家族のケアによる功績により菊池寛賞を受賞。

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 病気になったり、けがをしたりした時、誰もが安心して納得のいく医療を受けたいと願います。多くの医師や看護師、様々な職種の人たちが、患者の命と健康を守るために懸命に働いています。でも、医師たちが次々と病院を去り、救急や産科、小児科などの医療がたちゆかなる地域も相次いでいます。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。
 このコーナーでは、「あたたかい医療」を実現するためにはどうしたらいいのか、医療者と患者側の人たちがリレー形式のエッセーに思いをつづります。原則として毎週月曜に新しいエッセーを掲載します。最初のテーマは「コミュニケーション」。医療者と患者側が心を通わせる道を、体験を通して考えます。ご意見、ご感想をお待ちしています。
 朝日新聞朝刊生活面「患者を生きる」欄でも、「信頼」をテーマにした連載を掲載しています。

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