これからの人生設計

まえの記事で「仕事をください」とお願いしました。
この不況のご時世になにを甘いことを言っていると
お笑いになったかたもおられますでしょう。
その通りです。たかだか不人気ブロガーの分際で甘えたことを申し上げました。

ともあれ、人生の転機が訪れました。仕事を探さなければなりません。
いままで自分をあざむいて来ましたが、とうとう現実と向き合う時期が到来しました。
考えるとは、書くことです。これからどう生きていったらいいのか。
いろいろと選択肢を考えてみたいと思います。
なにかご助言がございましたら、なにとぞメールでお願いします。
プライベートなことですので、コメント欄よりも非公開のメールが適切かと存じます。

まず第一の選択肢は生きるか、死ぬか、です。
自殺はこれまで何度も考えていますが、実行したことはありません。
とはいえ、死んでしまえばすべてがおしまいなのです。
もうこれ以上、悩む必要もなくなります。
しかし、どうにも自殺をするわけにはいきません。不義理を働くことになるからです。
なんとか事故や事件に見せかけて死ねないかと考えていますが、
なかなか難しいようです。

とりあえず、生きるとしましょう。生きる。仕事をしなければなりません。
やりたい仕事は文筆以外にはありません。
やりたい仕事ばかりが仕事ではない。できる仕事も立派な仕事のひとつです。
ぱっと思いつくのは警備員やコンビニの夜勤。
これならわたしにでもできるような気がします。
ほかには流れ作業の単純な仕事が候補にあげられます。

さらりと告白しますが、わたしは吃音者なのです。どもりです。
このため電話の受け答えがメインのような事務の仕事はできません。
おなじ理由で営業の仕事も無理だと思います。
もちろん、吃音者にもかかわらず、
これら不向きな仕事に懸命に取り組んでおられるかたも多いのは存じております。
たいへんなことだと頭が下がる次第です。
余談ですが、塾の講師はずっとやってみたかった仕事です。
言うまでもなく、吃音のため就業かなわぬ仕事のひとつ。
生まれ変わったらぜひ挑戦してみたいです。

履歴書まっしろの32歳の男が果たしてコネもなく正社員になれるでしょうか。
そのうえ世界恐慌直前といわれるこの不景気が加わるのです。
おそらく、正社員待遇はそうとうな難関になると予想されます。
派遣かアルバイトでも何社かは、断わられるような予感がします。
仕事と酒の毎日になるのでしょう。夜に仕事が終わったら家で酒。朝起きたら仕事。
夜勤ならこの正反対。たぶん読書の習慣はなくなるように思います。
仕事で疲れたら本なんて読む気にならないでしょうから。
したがってブログ「本の山」も、愚痴ばかりのくだらぬ雑記が中心になると思われます。
いや、ブログ更新なんて投げ出して、
夜毎ぼーっと2ちゃんねるを眺めているかもしれません。
2ちゃんねる、派遣、お酒――孤独。
なにか犯罪の起きる素因がすべてそろっているようで我ながらぞっとします。

読書をしなくなったらなにが楽しくて生きるんでしょうかね。
いえいえ、もう読書はお腹いっぱいという満足感はあります。
のこり仏典を4、5冊とユージン・オニールの戯曲を2つ。
これさえ読むことができたら、もう読書は打ち止めにしても悔いはありません。
通常の人間が人生で読むことのできる分量の倍は読書をしました。
とてもありがたいことです。

読書をやめずに済む仕事として研究職があります。
大学の先生をバカにしてきましたが、いまとなったらあこがれの仕事かもしれません。
吃音をごまかしながらでも就業してみたいものです。
けれども、あれは大学院を卒業(?)しないといけないのでしょう。
さいわいにも少々のおカネはあり、大学院へ入学することはできると思います。
試験がむずかしかったら無理かもしれませんけれど。
入学は可能だとする。とはいえ32歳という年齢はかなりのマイナスになるはずです。
なにを研究したらいいのかもよくわかりません。
関心のあるのは演劇や宗教ですが、そもそも研究とはなんなのかわからないのです。
さらに大学内は複雑な人間関係があると聞いています。
よほど教授に気に入られるか有力なコネがあるかでないと常勤職に就くのは困難。
こんな話を耳にしたことがあります。

仕事は人からもらうばかりではありません。自分で作ることができます。
独立開業するという方法です。幸運にも準備資金はあります。
しかし、いったいなんの商売を始めたらいいのか。
不況でいよいよモノが売れなくなると予測されます。
フランチャイズ加入による地獄は想像以上の苛烈と聞いたことがあります。
そうはいってもこちらに商売のノウハウはないのです。
口のうまい詐欺師にだまされる危険性は非常に高い。
なじみのある商売といったら古本屋くらいしかありません。
とはいえ、いま古書店を開業してわずかなりとも利益を生み出せるのか。
いち個人がブックオフに勝つのはいくらなんでも困難なような気がします。
夢を持て、努力をしろと叱られるかもしれませんが、独立開業は夢でもなんでもありません。
それに努力がかえって悪循環になってしまうのが個人経営です。
わたしにとって夢は、文学や演劇における大成しかありません。
このための努力なら毛ほども惜しみません。
けれども、ビジネスで成功してやろうという野心は皆無。
本気ではないのです。命がけではないのです。
こんな軽い気持で商売に手を出したら、
あっという間に借金をかかえる身になると思うのですが、いかがでしょう。

手に職がまったくないのには、我ながらあきれてしまいます。
人生に保険のようなものをかけず文学一本に賭けてきた結果です。
なにも技術を持ち合わせていません。
パソコンどころか携帯電話でさえまともに使いこなすことができないのです。
いまから手に職をつけたらどうなのだろう。
ほんとうに恵まれたことにいくばくかは時間とおカネの余裕があります。
そうはいっても、2、3年学んだくらいですぐに活用できる技術や資格が存在するでしょうか。
かえって資格商法にカネをむしり取られるだけのように思うのです。
資格は取ったものの実際の就職には役立たないケースならいくらでも耳にします。
さらに技術や資格の勉強といっても、どこまで本気になれるのか。
興味のないことを頭につめこむには、もう脳細胞がアルコールでいかれています。
むかし母が自殺した直後、精神科医になろうかと思ったことがあります。
あのときの頭脳といまの頭脳は、とても比べものになりません。
もちろん、劣化しているということです。
ちなみに、いまから医者を目指すことがきるほどの資金はありません。
いまさら数学やら化学、生物を勉強するのは、パンダに芸を仕込むほどに難しいでしょう。

仏門に入るという選択肢もあります。
しかし、あのお坊さんというのは、どうやったらなれるのでしょうか。
職業坊主になるには、寺の子として生まれるしかないのでしょうか。
そのうえ坊主の世界の高僧といっても俗臭ぷんぷんたる御仁ではありませんか。
俗物の坊主につかえるのは、年下の上司にあごで使われるよりも気苦労が多いかと。
そうそう、自分の吃音を忘れていました。
いくらお坊さんになれてもお経でどもっていたら仕事になりません。

すべてを投げ棄てて現代の山頭火になってしまおうか、と考えることもあります。
帰国予定のない世界放浪です。目指すは野垂れ死に。
海外なら日本よりも危険に遭遇することが多いと思われます。
死ぬ確率も高くなります。これに賭けてみるという方法です。
この死にかたは自殺とは異なり遺族に自責の念を与えないという長所があります。
自殺はよくないのです。遺されたものが苦しみます。
どうして救ってあげられなかったのかという苦しみです。
これが交通事故や事件に巻き込まれた挙句の死なら、
周囲のものは死そのものを悼むだけで済みます。

以上、いろいろな選択肢をあげてみました。
決して不幸ではありません。むしろ、外面的には恵まれているのでしょう。
しかし内面は、なんともいえぬ絶望にかられています。
生きる目的がないと申しましょうか。なんのために生きればいいのかわからないのです。
青臭い絶望だと自分でも思います。しかし、真実なのです。
ひとりで生きていくのがいやなのかもしれません。
もし喜びや悲しみを共有しあえる恋人がいたらと思いますが、
人生はテレビドラマとは違いますから、そううまく事は運びません。
仕事に夢中になりたい。夢中になれる仕事がほしい。ありきたりな悩みです。
なぜ書かないのか。何回でも懸賞小説に挑戦して業界にもぐりこめばいいではないか。
その通りなのです。これしかないのです。
だが、なにをどうやって書いたらいいのかわからない。
いや、なにを書くか、はわかっているのです。
8年前、母の自殺で受けた衝撃です。しかし、私小説で書こうとは思わない。
そのままを書いてもおもしろくもなんともありませんもの。ただの不幸自慢じゃないですか。
書いていておもしろくないものが読者の心を打つとは思えません。
あの事件から得たものを伝えたいのだけれども、直接的にではない。
人間の生む劇というもの。人間を動かす巨大な存在。
人間と人間が苦しめあう地獄絵図。しかしその地獄の最奥に光があること。
喜びと悲しみが実はおなじものに端を発していること。
ところが、こういった重いものをすべて笑い飛ばす現代の文化風潮。
これに反対するのではなく、むしろ共感してしまうこと。
乾いた笑い、投げやりな笑いの新しさ。それでいいのかという反発もある。
どういう人物を出して、どう動かしたらわたしの表現したいものになるのか。
まだまだ五里霧中という気がすると同時に、ちょっとしたヒントで書けるとも思う。
あるいは、私的な不幸からまったく離れて人工的な客受けするドラマを書くべきか。
過去の名作戯曲を参考に、
感動のツボみたいなものを押さえていけばいいだけのことではないか。
といっても、おまえはお母さんのことを忘れて、なんであれものを書けるのか。

人と逢いたいなと思います。
仕事がしたいというのは、人と交わりたいということではないでしょうか。
また、仕事を抜きに、だれかに相談に乗ってもらいたい。
やはりブログには書けないことがあるんです。対面でないと言えないことはあります。
なにか教えてほしいと思います。謙虚になりたいと思います。
自分ひとりでは結局なにもできないのですから。
ほんと、これからどうしたらいいんだろう。なにができるんだろう。
もちろん、恥ずかしいことを書いているという自覚はあります。
いまを苦しんでいるワーキングプアのかたにしてみれば、
わたしの苦悩などのん気で贅沢なものに思えることでしょう。
難病や重い身体障害で苦しむ人にとってもそうです。
勝手なことを並べ立て、申し訳ありません。赤面しています。
だけど、死にたいんだよな。死にたくないんだよな。

(追記)手厳しい批判コメントは、むしろ歓迎します。
いま崖っぷちにいるのだと思います。飛び降りようか踏みとどまろうか。
あなたのコメントがわたしの背中を押す結果にならないとは限りません。
勇気が出ないのです。いままでブログでさんざん人様を批判してきました。
切腹における介錯にあたるコメントをいただくことも覚悟のうちです。

COMMENT

- URL @
10/28 15:46
管理人のみ閲覧できます. このコメントは管理人のみ閲覧できます
akky URL @
10/28 20:59
師匠. ヨンダさんは以前AZMA師匠の事を書いてましたよね。
世捨て人の庵です。
師匠は五十過ぎのフリーターで働かずに食べるというユートピアを求めて凄まじい倹約術の末に貯めた虎の子の700万で株式投資して大敗しました。
五十過ぎ、年金なし、国保なし、貯金なし、仕事なしの師匠。
ヨンダさんよりも遥かに悪条件です。
でもね、でも、師匠はまだ生きてるんですよ!おそらくはユートピアを求めてバイトに励んでおられることでしょう。倹約術に励まれておられることでしょう。
ヨンダさんは夢の後の自分の状況に悲観されてるように思いますが、師匠と自分の状況とをもう一度比較的してみてください。
師匠との差は無限大に近く、圧倒的に有利ですよ。

私も最近似たような絶望を味わいましたが、まだ生きていくことにしました。相対的にみて自分は恵まれているからです。
Yonda? URL @
10/29 19:12
akkyさんへ. 

おっしゃるとおりです。
世の中にはたいへんな人がたくさんいます。
自分はまだ恵まれていると考えて生き抜くほうがいいのかもしれません。

AZMA師匠の生命力には感嘆します。
おそらく人生で一度も自殺を考えたことがないのでしょう。
見習わなければなりません。
株に手を出すのは見習ってはいけないのかもしれませんが。

いま絶望しています。
おのれの無力にようやく気づきました。
最底辺労働の苦界がおいでおいでしています。
さて、どこに行きましょうか。
ゆい URL @
10/30 20:58
ヨンダ君. comment
ヨンダ君のいいたいことをまとめるとこんな感じなのかな

彼女がほしい

仕事がほしい

有名になりたい

智大君とおんなじことで悩んでるのかなって思いました o@(^-^)@o。
Yonda? URL @
10/30 22:15
ゆいさんへ. 

図星かも。








 

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