2008-11-02
キングオブうすらバカ
というエントリーに、とあるうすらバカなブックマーカーからうすらバカなブックマークコメントを頂きました。それはうすらバカの神髄のようなコメントでした。
これ以外のコメントは、うすらバカという意味では残念ながらこれに敵いません。このコメントを書いた人物はまさにうすらバカのグラウンド・ゼロ。うすらバカの最終形。はてなが生み出した究極のうすらバカ。キングオブうすらバカであり、言うならば「はてな座の怪人」であります。
まずこの人物には件のエントリーにブックマークコメントをつけること自体がうすらバカという自覚がまるでない。その上で、驚くべきことに自分のことを本当に頭が良いと思っている。自分が頭が良いと思いながら他人のことを見下し、それでいながら他人を見下すやつはバカだという言説で他人をこき下ろすという自己矛盾。ただ、矛盾しているという意味ではクレタ人のパラドックスに則ってるから面白くもある。しかしそれは、結果的に面白くなっただけであってこの人物が面白いわけではない。この人物は真のうすらバカであるから、そういう面白い矛盾にも気付けずに無自覚にやっている。一周回ってたまたまそうなっただけなのだ。その意味で真のうすらバカらしくとことん救いようがない。それからついで言っておくと、ゲーデルの不完全性定理は世界は矛盾していることを証明している。それを受け取れるかどうかがうすらバカとそれ以外とを隔てる分水嶺となる。それはルビンの壷に似ている。ルビンの壷が人の顔を描いてないのにそこにそれを感得させるように、ゲーデルは数学の証明をしながら世界の実相についても証明してみせた。「ゲーデル、エッシャー、バッハ」はまさしくそのルビンの壷的にゲーデルやエッシャーやバッハが描いた世界の実相を読み取ろうとしている本である。そのことを感得できないことこそが真のうすらバカである証左。この人物は、ルビンの壷には人間の顔が描かれてないと言う。それはある意味で正しい。ただ正しいだけであってその代わりにもっと大切な何かを失っている。表層的にしかものごとを見られないため、そこに描かれている真実には永遠に届かないのだ。それはゴルフで言えばパットをショートするようなものだ。ゴルフのパットには「Never up, never in(届かなければ絶対に入らない」という格言があるが、こういううすらバカはまるで「アキレスと亀」のアキレスのように、永遠に亀には届かない。パッティングを永遠にショートし続けるのである。それは賽の河原で永遠に石を積み続ける行為のようでもあり、タルタロスで永遠に巨岩を運び続けるシーシュポスのようでもある。つまり、一言で言えば、生き地獄。この人物は生き地獄を生きながら、今日も何にも届かない眼差しで何かを見つめつつ、誰にも届かない言説で何かを書いているのだ。
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