しばらくの間、トップページに小麦粉関連のエントリを置いておきます。 管理人代理
Search
田母神航空幕僚長論文について
まず一言・・・おバカ
この「バカ」というのには、いろんな意味を含んでる
それは後で書きます
田母神・空幕長更迭:制服組「確信の暴走」、持論で 問われる文民統制
田母神・空幕長更迭:「信念で論文書いた」 過去に「そんなの関係ねえ」
で、お決まりの反応が左右両方からあると思ってたけど、案の定だった
苦言を呈したいのは保守系の人に
そろそろ、反日を叩くか否か、あるいは反中・反韓か否か・・・なんてのを価値判断の基準にするのはやめたほうがいい
あの人は勇ましい事言ってるから「神」とかね
特に政治家に対しては、その単純なリトマス試験紙は危険
私?
中国や韓国に対して勇ましい事言ってる人でも、「無能な味方」は嫌です
実は中国や韓国もこの人の発言に迷惑してたりしてね
今、この時期に国内世論が反日ってのはヤダよってね
航空幕僚長:論評抜きで報道 中国・新華社
空幕長更迭、中国メディアが速報 韓国報道は抑制的
この田母神さんってのは、完全な確信犯
しかも、どっかの意向を受けての獅子心中の虫ではなかったとすると、かなりおめでたい人
また、正論や諸君に代表されるホシュ論壇の言うことを素直に信じたナイーブな人でもある
naive - 〔思考が〕単純{たんじゅん}な、だまされやすい、ばか正直{しょうじき}な、うぶな、無警戒{むけいかい}な、認識{にんしき}の甘い、愚直{ぐちょく}な
「航空自衛隊を元気にする10の提言」より
えこひいき大作戦とお邪魔虫大作戦
日本の国は顔の見えない国といわれるが、自衛隊も善良な国民から顔が見えないと言われてはいけない。もっと自己主張をすべきである。場所と手段方法ってものを考えたことありますか?
例えば今回のAPAという会社が主催している懸賞制度に論文を出す・・・航空幕僚長という地位にある人間が・・・
それがどんな意味を持つか、どんなハレーションを引き起こすか
しかも、あのお粗末な内容で
部外で実施される国防を真に考える政治家や研究者の講演会等にも積極的に参加したらいい。参加基準などが示されることもあるが、それを超えて参加できないのかどうかを知っておく必要がある。何にでも顔を突っ込んでいる、いつもジャブを出している、それが大事である。ジャブを出し続ければたまにはアッパーカットが決まることもある。相手の参加基準じゃなく、自分が参加するに足る、
もっと言うと参加しても良いと言うだけのマトモなところであるかどうかと言う「基準」を具体的に示しておかないと、
あなたの言葉を真に受けて、とんでもない事する人が他にも出てしまうよ
ご自分の発言力、下のものに与える影響ってのを、もっと真剣に考えないといけないね
パウエル統合参謀本部議長の次の言葉が出てくる。「なにもかもが正しい方向に進み、すべてのことが司令官の手中におさめられれば、そこでテレビに目を向けるべきだ。マスコミの報道を正しい方向に向けさせなければ、戦場では勝っても、戦争には負けたことになってしまう」。また232ページには、パウエル統合参謀本部議長が司令官たちに宛てた手紙の内容として「ほかのことはすべて上手くいったとしても、マスコミへの対応が適切に行われない限り、その作戦は完全に成功したとは言えない」と。これは、そっくりそのままあなたにお返しすべき言葉だよね
我が国においては反日グループの熱心な活動のせいで、自衛隊があるから戦争になると信じ、自衛隊の動きを出来るだけ封じたいと思う人たちが多い。これらの人たちは、あれやこれやで自衛隊を攻撃し、自衛隊の精神的弱体化を目論んでいる。一部マスコミにはこれを支持する人たちもいる。自衛隊はいま第1の戦場で戦うための訓練をしながら、第2の戦場では正に戦闘実施中なのだ。冷戦が終わってなお我が国には国内でイデオロギーの対決、すなわち冷戦状態が残存している。私たちはこれまでこれを戦いと認識していなかった。だから攻撃されてもそれを止むを得ないものと感じ、防御手段も講ずることをしないし、まして積極的な攻勢に打って出ることなど考えもしなかった。今ならインターネットを使って簡単に反論することも可能である。国民の国防意識の高揚という第2の戦場における戦いは、自衛隊はこれまで総理大臣や政治家の戦いだと思ってきた。しかしこれからは、各級指揮官や基地司令等がこれを第2の戦場における戦いと位置付けて勝利を追求することが必要であると思う。これが一見、正論に思えてしまうからたちが悪い
前半は良いとして、戦略・戦術も無しに暴走しないでくれるかな
幸い自衛隊においても近年広報の重要性が叫ばれるようになり、各級指揮官等も第2の戦場があるという意識に目覚めつつある。今後この動きをより進展させるためにアグレッシブな広報を専門とする組織を自衛隊の中に造ることも一案であると思う。従来のマスコミ対応にとどまるのではなく、ホームページの更新、テレビ、ラジオを通じた発信、定期刊行物の発刊、新聞、雑誌への投稿などを常続的に実施するのだ。第2の戦場という意識があるなら、個人で勝手に動きなさんな
それでは具体的にはどうすればよいのか。私はすぐにでもできるのは月刊誌に論文を投稿することだと思っている。
部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。
正論、諸君、VOICE、This Is 読売などに論文を投稿してみることだ。
これらの雑誌に載るということは、かなり多くの国民の目に触れるということだ。安全保障や自衛隊に関する国民の理解が得られると同時に、雑誌に自衛官の意見が載るということにより、若い幹部や隊員たちの士気の高揚にも大いに役立つであろうと思う。隊員にとっては不当なことを言われても我慢しなければならないことと、必要な場合には何時でも意見が言えるということとでは精神的ストレスが天と地ほどにも違う。
掲載してもらえるかどうかは論文の出来ばえによると思うが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」である。
積極的にチャレンジしてみればよい。
統幕学校では16年度に教官も学生も一人1論文を目標に頑張ってもらおうと計画しているところである。
学生の課題作業なども、これを公にすることが国家、国民のためになると思われるものについては、可能な限りこれらの雑誌へ投稿させたいと思っている。学生だってその方が張り合いがあるというものである。
田母神さんが確信犯なのは分かった
ただね、あなたのようなポジションにいる人ですら、この程度の認識と、あの程度のお粗末な論文ってことが悲しい
今回の論文を手放しで喜ぶのは、短慮な・・・いわゆるネットウヨクさんたちと、
ずるがしこい・・・敵失を待っていたサヨクさんたちだけなんじゃないかと思う
正しいことを言ってる・・・つまり、正論だけどタイミングが・・・なんていう擁護をする人もいたけど、この論文、ツッコミどころ満載だし
どこが間違っているというのか、なんてタンカ切って擁護してる人、しようとしてる人はやめたほうがいい
この論文のどこにツッコミどころがあるかも分からないならね
具体的に論文の中身を取り上げて指摘することはしません、
ここに書いて、わざわざサヨク側に教えてあげる義理もないし、コピペとかで利用されたくないからね
とりあえず、池田センセが突っ込み入れてらっしゃる件だけ触れてみる
池田信夫 blog : 日本は侵略国家であったのか
いま話題の田母神俊雄航空幕僚長の論文は、「ハル・ノートを書いたのはコミンテルンのスパイだった」とか「盧溝橋事件は中国共産党の謀略だった」などという初歩的な事実誤認だらけで、論旨も『正論』の切り抜きみたいなものだ。制服組のトップがこんなお粗末な作文を組織の了解もなく対外的に発表するのは、軍事情報管理の観点からみて危険なので、更迭は当然だが、ここには彼らの本音が出ていておもしろい。
初歩的な事実誤認ってのは言い過ぎ
なんで池田センセがこんな風に断定なさるのかは想像つくけどね
池田先生のブログに張ってあるプロファイル見ると、元NHKの人
つまり、「ハリー・ホワイトはソ連のスパイじゃなかった派」なんだと思う
ここでみんなに分かりやすいように説明を
ハリー・ホワイト(Wikipedia)
1941年、ルーズベルト大統領時代のアメリカ合衆国の財務次官補としてハル・ノートの草案作成に携わった。この頃、ソ連の工作員と接触し「スノウ作戦」という工作に関係したとされる[1]。
ビタリー・グリゴリエッチ・パブロフ(元NKVD内務人民委員部対米諜報部副部長)の証言によると、スノウ(snow)作戦(ホワイトの名より)の際、イサク・アブドゥロービッチ・アフメロフ(ソ連スパイ、Iskhak Abdulovich Akhmerov)がホワイトと接触した後、パブロフはアフメロフの友人としてホワイトに接触、メモを見せた。ホワイトの関与については次のような諸説がある。(1)パブロフの証言からスパイとする説(「日米開戦の引き金 米の『ハル・ノート』―核心部分にソ連工作」『毎日新聞』朝刊1995年11月21-23日、産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班『ルーズベルト秘録』 産経新聞ニュースサービス、2001年)
(2)パブロフの証言からスパイではなかったとする説(1997年9月にNHKが取材した際の証言、須藤眞志『ハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦 (文春新書)、1999年)
(3)ベノナ文書などの機密文書に依拠する諸説。ベノナ文書とソ連の工作についてはJ.E.Haynes,H.Klehr Venona: Decoding Soviet Espionage in America (Yale University Press, 2000)など参照。
VENONAの話もそうだし、他の件にしても、一次史料に当たってないのが痛いよ、この論文は
日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄
ごていねいに英文まであるのが余計に痛い
Was Japan an Aggressor Nation ?
英語の方は読まないほうがいいよ、気絶しそうになるから
論文中で触れられてる、当たった文献(らしきもの)というのが・・・
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」・・・等々
・・・泣いていいですか?
で、VENONAもいいけど、我が国の史料にも当たって欲しい・・・ってことで、後日それに関連するエントリを書きます
田母神さん、悪い人じゃないんだろうけど、あなたの熱意を買わないわけじゃないけど、
最低限、私程度の知識は得た上で事を起こしてください
できれば私の3倍は「まともな」本や資料を読んで下さい
うちみたいな、ネットの片隅の個人ブログじゃないんだから、あなたのような人が実名で発言するということの重みを認識してね
おまけ
VENONA関係の産経さんの記事
(NHKの方はハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦 (文春新書)を読んでください)
ルーズベルト政権 日本爆撃計画立案者はソ連のスパイ “共産寄り”明確に1999年08月04日 産経新聞 東京朝刊 国際面
【ワシントン3日=前田徹】真珠湾攻撃より五カ月も前に作成された米軍による日本本土爆撃計画の立案者が実はソ連のスパイだったことがわかったことで、米ルーズベルト政権の中国政策当事者がいかに共産主義寄りのスタンスへと傾いていたかを浮き彫りにした。
当時、米国が日本と対峙(たいじ)するのに中国支援は欠かせない政策だったが、カリー大統領補佐官が中国の蒋介石政権顧問に推薦した中国学者、ラティモア氏も戦後、共産スパイとして追及された経緯がある。
戦前の米国務省内などで対日非難の世論を形作る中心的役割を果たした「太平洋問題調査会(IPR)」が戦後、反共運動のマッカーシズムなどの攻撃を受け、解散しているが、そのグループの中で特に追及されたのがラティモア氏だった。
同氏は当時の米知識人の中国派リーダーのような存在で、IPR機関誌の編集長として「中国侵略の日本追及」という論陣を展開していた。カリー大統領補佐官はそんなラティモア氏を蒋介石政権の政治顧問に推薦し、ルーズベルト政権との直接のつながりを提供している。
ラティモア氏は戦後の日本政策策定で非常に強硬な姿勢を示し、厳しい占領政策を提案したことで知られる。
カリー大統領補佐官のスパイ活動を裏付けることになった暗号解読記録「VENONA」資料では、ラティモア氏や同様にスパイ容疑をかけられた国務省職員らの活動を裏付ける記録は結局は見あたらなかった。しかし、より政府中枢の地位にあったカリー氏の記録があったことで、当時の米政権の中国政策に親共産主義的な傾向があったことがむしろ明確になったといえるだろう。
一方、ソ連を対象にした暗号解読作戦「VENONA」は、戦前、戦中の日本の外交交信や海軍交信記録を早い段階で解読した「マジック作戦」に比べ、困難を極めたという。これまでに公開された資料でも、解読不能部分はかなりあった。
しかし、結局はソ連スパイの存在を突き止めるまでには解読に成功しており、米国の暗号解読能力のすごさを示す結果になった。
「ハル・ノート」作者の実像明らか 日本参戦の背後にソ連工作 米に強硬提案提示
1999年08月22日 産経新聞 東京朝刊 国際面
【ワシントン21日=前田徹】米国の対日最後通告「ハル・ノート」を作成したルーズベルト政権の財務次官、ハリー・デクスター・ホワイト氏が実はソ連スパイだったことがわかったことで、「米国の対日政策の背後にソ連工作があった」というショッキングな事実が明るみにでた。当時の日本はいずれ参戦せざるを得ない状況にあったとの見方はあるが、参戦の過程にソ連の工作があったという事実は歴史解釈の見直しを迫るものだ。
ホワイト氏がハル・ノートの原案を作成したことは、ニューヨーク郊外にあるルーズベルト大統領記念図書館に残されたホワイト氏作成の対日強硬提案から明らかにされている。しかも、そのホワイト案をモーゲンソー財務長官がルーズベルト大統領に提案し、より穏健なハル国務長官の対日妥協案を押しのけることになったというエピソードも四五年にスタートした米議会真珠湾攻撃調査委員会で明らかになっている。
だが、経済専門のホワイト氏がなぜ米外交を左右するほどの影響力を行使するようになり、しかも、対日強硬案を作成した意図は何だったのかという疑問が残されてきた。
ホワイト氏とハル・ノートをソ連工作が結んでいたという解答は、VENONA資料によるスパイ活動の証明とともにソ連NKVD(人民内務委員部=後のKGB)工作員で、後のKGB高官、パブロフ氏の退役後の回顧録が埋めることになった。
同回顧録によると、当時のソ連指導部は、日本の軍事的脅威を取り除くために米国の対日参戦を早急に進める「スノウ作戦」にとりかかっており、その作戦に最も重要な役割を果たしたのがルーズベルト政権内で最も影響力のあるホワイト氏だった。パブロフ氏はホワイト氏と四一年五月にワシントン市内のレストランで接触し、米国が日本に対し中国および満州からの撤退、さらに日本軍の所有する武器の三分の二を米国に売却しなければならないとする提案を早急に作るよう指示したという。実際、その指示どおりの強硬なハル・ノート原案が同年六月に作成されている。
当時、米国は対日禁輸などいわゆるABCD包囲網を展開し、日本は追いつめられた状況だったが、一方で、平和解決のための日米交渉が続けられた。また、日本側でも宣戦やむなしとの強硬意見の一方で、米との妥協を求める声もあったのである。米側の交渉当事者であるハル国務長官も対日宣戦は避けられないだろうが、まだ時期尚早とし、あの時点での強硬な提案には消極的だったことが回顧録で明らかにされている。
そうした中、日本側でさえ驚いたほど強硬な「ハル・ノート」が提示されたことが歴史上の謎(なぞ)とされてきたが、VENONA資料などによってソ連の存在が明らかにされ、新たな歴史解釈の必要性がでてくると考えられる。
◇
ホワイト氏は三四年に米財務省勤務となったあと、通貨政策専門官として頭角を現し、四一年には同省ナンバー2の次官にまで上り詰めている。戦後の世界金融システムを形作ったブレトンウッズ体制はホワイト氏が考案、創設したもので、四六年にはIMFの初代米国理事にもなっている。
しかし、四八年にソ連スパイであることを告白したエリザベス・ベントレー氏らによる告発で米下院・非アメリカ活動委員会に召喚されたが、スパイ容疑を否定したあと、三日後に心臓まひで死亡している。ホワイト氏の直接の部下だったコー氏ら二人の財務省高官も同様のスパイ容疑をかけられたあと、中国に亡命、同地で客死している。
【写真説明】経済学者、ケインズと談笑するホワイト米財務次官(左)。同次官はブレトンウッズ体制の考案者だった
「真珠湾」直前、米の対日最後通告 「ハル・ノート」はソ連指示で作成?
1999年08月22日 産経新聞 東京朝刊 1面
【ワシントン21日=前田徹】日本の真珠湾攻撃の直接の引き金になったとされる米最後通告「ハル・ノート」を作成したハリー・ホワイト米財務次官(当時)がソ連側スパイ網に属し、極秘情報を提供するなどの活動をしていたことを示すソ連情報機関の暗号交信記録十五通が、暗号解読を任務とする米特殊機関の「VENONA資料」の中から発見された。また、当時のソ連工作員がホワイト氏に直接、対日強硬策を提案するよう指示したとの回想録が発表され、ハル・ノートが実はソ連の指示で作成された可能性がでている。(国際面に関連記事)
問題の交信記録は一九四四年から四五年にかけてのもので、ニューヨークとワシントンにあったソ連人民内務委員部(後のKGB)代表部とモスクワの内務委員部本部との交信を米特殊部隊「米陸軍電信傍受機関」(戦後の国家安全保障局=NSA)が傍受し、暗号解読したものだ。
それによると、コードネーム「ジュリスト」、あるいは「リチャード」などで表記されるホワイト氏は、ソ連が戦後の領土確保に有利になるような情報を入手、提供していた。ソ連占領地の返還を期待しているポーランド亡命政府を米国がどこまで支援するかのほか、ソ連が併合していたリトアニア、エストニア、ラトビアのバルト三国の独立要求に対し米国がどこまで支持を与えるかなどの重要な内容が含まれていた。この情報を元にスターリンは戦後の領土拡張を有利に進めたとみられる。
また、同氏は国連創設や国際通貨基金(IMF)、世界銀行の創設などで重要な役割を演じており、そのさいもソ連に有利になるよう貢献したことを示す交信記録もあった。ホワイト氏はソ連から定期的にスパイ報酬を受け取っていないが、「不定期ならば、受け取る」との交信記録もあり、実際、娘の教育資金として年間二千ドル以上の現金を授受したことを示す記録も見つかっている。
戦後、米上下院が合同で開設した「パールハーバー(真珠湾)問題委員会」の公開記録によると、日本の真珠湾攻撃の直接の引き金となった対日最後通告「ハル・ノート」は、ハル国務長官ではなく、モーゲンソー財務長官が提案したものとわかっている。しかも、ルーズベルト大統領記念図書館に残る資料によると、当時のルーズベルト政権の中でホワイト氏は優秀な経済担当官僚というだけでなく、政策立案者としてモーゲンソー財務長官の絶大の信頼を得ており、ハル・ノートもホワイト氏が四一年六月に作成していたことが記録に残されている。
また、ホワイト氏はソ連と中国への米軍事支援を合法化した一九四一年成立の貸与法を強く推進したことがわかっている。
これらの資料によると、ハル・ノートの原案は四一年六月ごろにホワイト氏がまず作成、モーゲンソー・ホワイト試案と呼ばれるようになり、日米交渉大詰めの同年十一月十八日、ハル国務長官が九十日間の停戦を骨子とする緩やかな妥協案を作成したのに対し、この試案が大統領の強い支持の下に採用された。真珠湾攻撃は、ハル・ノートが日本側に手渡されてから十一日後に実施された。
VENONA資料は、対日政策にこうした重要な役割を演じたホワイト氏がソ連スパイだったことを明確に裏付けたわけだが、加えて当時のソ連人民内務委員部の工作員だったパブロフ氏が四一年五月にワシントンでホワイト氏と密会し、日本と米国が交戦するよう仕向ける外交案の作成を要請していたことが、ソ連崩壊後の同氏の回顧録で明らかになった。
パブロフ氏によると、ホワイト氏に与えた指示書では、日本軍の中国および満州からの完全撤退など日本側が到底受け入れられない内容を含んでおり、ほぼハル・ノートと同じ内容になっている。さらにホワイト氏が試案を作成したのはその直後で、ホワイト氏がパブロフ氏の指示を忠実に守ったことをうかがわせている。
◇
■ハル・ノート 日米開戦前に米国が対日石油禁輸・在米資産凍結を行った中で続けられていた日米外交交渉で昭和16年11月26日、ハル国務長官がワシントンで野村吉三郎駐米大使に対し、(1)中国、仏領インドシナからの日本軍・警察の全面撤退(2)重慶国民党政府(蒋介石)以外の政府の否認(3)日独伊三国同盟の死文化-などの要求を提示、これがハル・ノートと呼ばれる。米国側の最後通告と受け取った日本は、翌日交渉打ち切りを決定した。
おまけ2
一連の記事を書いた産経の前田さんが、ワシントン日本商工会に寄稿した文章の抜粋(WEBに現存せず)
それで日本はやっぱり日米関係だというので、ワシントンへ行ったときからその切り口を考えていたのです。98年に赴任してきたのですが、たまたま99年春にマイケル・シャラーという面白い男に会った。彼はアリゾナ大学の歴史学科教授だが、国務省の委託を受け、公文書を自由に見る権限を持つ非常に優位な立場にいる、民主党系の学者でした。シャラー教授はどちらかというと日米問題、中国問題が専門で、学生時代に書いたヒット作が「中国にいるアメリカ十字軍 (U.S. Crusade in China)」という滅茶苦茶に面白いもので、それを読ませてもらっているうち、ルーズベルトが日本爆撃を計画していたということを知ったわけです。どう証明したんだと聞くと、彼は「公文書にあった」というんで、それがきっかけなんです。そういうのは日本で知らないから調べさせてもらおうじゃないかというので、彼の手ほどきを受けて色々なところにあたって、やっと見つけだしたのが、要するに、真珠湾攻撃の6ヶ月前に、アメリカが先に先制攻撃で大阪、東京に焼夷弾を落とす計画をしていたということが分かった。ほぼ直前まで行っていたのですが、後で分かった事情があって実現しなかったんです。その事情はこの本に書いてありますが、それがきっかけで、それをニュースで書いたら東京の反応が非常に良くて、やはり日本人は興味があるんだと。それなら、次は開戦のきっかけになったハル・ノートを調べてみようと思いたった。
今度はシャラー教授の紹介でまた議会図書館にいるジョン・ヘインズという学者に会った。
これがまた面白い人で、彼はソ連のアメリカに対する工作を調べているので有名な人でした。それで、超国家機密だったKGB暗号解読文「VENONA」資料の存在を知って、その資料の公開を働きかけた。97年に民主党のモイニハン上院議員を焚き付け、クリントンもそれに乗っちゃったんだよね。米議会も良いだろうというので、もちろん最高秘密は出していないけれど、段階的に公開に踏み切ってしまった。その中にFRDの周辺にいた高官がスパイだったことなどが、伝聞で明らかにされているということが書かれていて、それが非常にショックでした。それを記事にしたら、日本の一般史家から文句がくるほどの反響があった。喧嘩腰でくるようなのは良い。書く価値はあるということで、東京本社に言ったら、「面白い。しかも、うち(産経)は毛沢東秘録で大変儲かったし評価も受けた。だから今度はルーズベルト秘録をやろう」というのがきっかけです。実際に書き始めたのは2000年の1月ですが、調査はシャラー教授に出会った99年からで資料は蓄積していました。連載がもう始まる、間に合わないと、時間的に追い詰められて、会社としてはチームで書いてほしいとのことで著者は複数名になっていますが、了解を得て104回の連載を実質僕一人で書きました。
おまけ3
京大の中西輝政センセの文章
「VENONA資料」一九九六年にアメリカのNSA(米安全保障局)によって初めて公開された「VENONA資料」は、第二次大戦中在米ソ連公館とモスクワとの秘密交信を傍受したものを、アメリカの暗号解読部局が一九七〇年代まで三十年以上をかけて解読した秘密資料として有名だが、それを基にして近年アクセスが可能となった旧ソ連情報文書の分析を行った最新の研究によると、一九四三年の時点でアメリカ政府内には二百人近いソ連への情報協力者がいて、その中には所謂”エージェント”と言えるのかどうかは別にして、ルーズベルトの側近中の側近ハリー・ホプキンズも含まれていたとされる。("Intelligence and National Security", summer 1998, pp.1-31所収のEdward Mark論文。 なお上掲の『ルーズベルト秘録(上)』二一一~二二〇頁にも、その要約的な引用がなされている。 またVENONAについては、センセーションを巻き起こしたJ.E.HaynesとH.KlehrのVENONA: Decoding Soviet Espionage in America, Yale Univ. Pr.,1999にも詳しく掲載されている。しかし、同様に世界史を転回させた二十世紀情報史の一大偉業(フィート)として、この「ウルトラ」や「コミンテルン=KGB網」と並んで、どうしても挙げられねばならないのは「BSC」である。「BSC」とは British Security Co-ordination の略号であり、大戦中ニューヨークに置かれたイギリスの情報機関で、イギリスの殆ど全ての情報部局を西半球全域において代表する役割を果した。大戦期を通じてその長官であったのが、有名な「イントレピッド」の暗号名で呼ばれたサー・ウィリアム・スティヴンソン (Sir William Stephenson) である。(中略)
スティヴンソンのこの組織については、すでにいくつかの信頼の置ける本が書かれており、日本の読者の中にも知る人があるいは多いかもしれない。一九六二年という早い時期に、The Quiete Canadian というタイトルで、スティヴンソンのBSCでの下僚の一人モンゴメリー・ハイド(H. Montgomery Hyde)の手によって、BSCのアメリカでの活動をかなり詳細に描いた本が出版されている。(邦訳は『三六〇三号室--連合国秘密情報機関の中枢』ハヤカワ文庫、として出ているが、残念なことにその底本となっているのはアメリカ版で、それは当時、アメリカ側の関係者--おそらくは米政府の依頼によって重要な部分の削除が行われたものである)
さらに一九七六年にも、スティヴンソン・マウントバッテン自らの手になる(やはりもとの下僚W. Stevensonとの共作の形ではあるが)、よりカラフルなBSCの内幕を描いた本が A Man called Intrepid のタイトルで出版されている(邦訳『暗号名イントレピッド』早川書房)。これらは、当時日本ではいわゆる「スパイもの」と受け取られ、歴史家の真剣な関心を引かなかったが、九〇年代に入って各種の文書が間接的ながら公開され始めたことによって、その叙述の大半の正確さと、それがアメリカの参戦をめぐる歴史の暗部を照らし出すものとして、半世紀ぶりに再び大きな注目を浴びている。
ケント州立大の外交し研究者トーマス・マールが最近刊行した『必至の欺騙(ぎへん)工作』(Despereate Deception, Brassey's, 1998)は、モンゴメリー・ハイドやスティヴンソンらの本を、厳密には未公開だがほぼその内容が明らかになりつつあるイギリス情報部の公文書(いわゆる"BSC Account")と突き合わせつつ、ルーズベルトとの秘密の連絡役だったアーネスト・クーネイオーらBSC関係者・協力者の私文書を丹念に参照した。それにより一九四〇年から四一年にかけて、ルーズベルト政権がイギリス情報部(BSCとその協力者)と緊密に協力して行った、国内世論へのきわめて広汎な秘密工作や一九四〇年秋の大統領選挙における徹底した政治工作を描き出している。またのちのCIAにつながるアメリカの情報体制(戦時中はCOIそしてOSSとして)が、実はBSCを始めとするイギリス情報部の手によって四〇~四一年の時期に作られていった過程も明らかにされている。
唯後で詳しく見るとおり、BSCなどイギリス情報部が、OSSやCIAの文字通りの「生みの親」であったかどうかについては若干の論争がある。CIA勤務の歴史家トーマス・トロイや、先のモンゴメリー・ハイドの個人文書をすべて読んだと称するハワイ大学のT・ナフタリなどは、そこまでいうことは「イントレピッドの欺瞞工作」として割引いて評価すべきだと主張する。
(Thomas Troy, Wild Bill and Intrepid: Donovan, Stephenson and the Origin of CIA, Yale Univ. Press, 1996 及び、Timothy Naftali, "Intrepid's Last Deception", Intelligence and National Security, July 1993, pp.72-99)
しかしケンブリッジ大学ではいったん公開されていたハイドの文書は、九〇年代に入って急にイギリス政府の手によって閉鎖され、2041年まで非公開の処分にされてしまっている。ということは、ルーズベルトの参戦工作やOSSまたはCIAの出自に関し、よほど秘匿すべきことがあると考えられる。あるいは「真珠湾の真実」に関わるものは百年間非公開という秘密の方針がアメリカにあり、イギリス政府がその要請に応じたのかもしれない。
おまけ4
用語解説
アメリカ合衆国
CIA(Central Intelligence Agency)中央情報局 - (第二次世界大戦中の戦略事務局OSSの後継機関。NIA、OPC、CIGなどの名称を経て現在のCIAに至る)
NSA(National Security Agency) - 国家安全保障局
CSS(Central Security Service) - 中央安全保障機:NSAの軍事部門
DIA(Defence Intelligence Agency) - 国防情報局
NRO(National Reconnaissance Office) - 国家偵察局
INR(Bureau of Intelligence and Research) - 国務省情報調査局
USSS(United States Secret Service) - 財務省検察局
他、三軍にもG2、ONI、A2という情報部がある。 アメリカ政府は、国家情報長官のポストを新設すると発表し、初代長官にはジョン・ネグロポンテ駐イラク大使を指名した。国家情報長官はCIA(中央情報局)などアメリカの十五の情報機関を統括するポスト。国家情報長官には国防長官に匹敵する権限が与えられている。
イギリス
Security Service(SS,MI5) - 保安局。内務大臣指揮下。
Secret Intelligence Service(SIS,MI6) - 秘密情報局。外務大臣指揮下。
BSC(British Security Coordination) - 英安全保障調整局 第二次世界大戦中の特別機関(米ニューヨーク州)。
SOE(Special Operation Executive) - 特別作戦部:対枢軸ゲリラ戦本部 第二次大戦中の特別機関。
GCHQ(Government Communications Headquarters) - 政府通信本部。旧・政府暗号学校GCCS。
Special Branch - ロンドン警視庁特別課。
旧ソビエト連邦
KGB - 国家保安委員会(ヴェー・チェー・カー=ジェルジンスキー委員長率いる「テロと反革命のための全露非常委員会」=の後継。途中VCK、国家保安部MGB、内務人民委員部NKVDなどと名称変更)
GRU - 赤軍情報本部。
おまけ5
VENONA を一冊の本で理解したい人に
当ブログの関連エントリ
ルーズベルト側近にソ連スパイが・・・VENONA資料(リンク切れあり)
このエントリーのトラックバックURL:
http://tech.heteml.jp/mt/mt-tb.cgi/1431
このリストは、次のエントリーを参照しています: 田母神航空幕僚長論文について:
» 今日の論点!ブログ意見集: 田母神航空幕僚長を更迭 by Good↑or Bad↓
from 今日の論点!by 毎日jp & Blog-Headline+
「田母神航空幕僚長を更迭」に関するブロガーの意見で、みんなの参考になりそうなブログ記事を集めています。自薦による投稿も受け付けているので、オリジナルな意見... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2008年11月02日 08:12