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街角:ローマ 「日本軍のせいだ」

 「大体、日本人があんなことをしなければ……」。元兵士はようやく言えたという顔をした。1941年12月の旧日本軍による真珠湾攻撃のことだ。「アメリカは参戦せず、我々は勝てたんだ」

 ローマ南方の海辺の町ネットゥーノに暮らすサンテ・ペリッチャさん(85)は連合軍と独伊軍が激突した42年のエジプト戦線、エル・アラメインの戦いの生き残りだ。独伊軍は兵員で13倍、戦車数で70倍もの敵と戦い、2300人の犠牲者が出た。

 当時19歳だったペリッチャさんは穴に隠れ、敵の戦車を地雷や火炎瓶で襲う体当たり攻撃を続けた末、捕まった。部隊340人のうち残ったのは80人だった。

 「人は簡単に、静かに死ぬ」「英国人はずるいね。自分たちは戦車に乗り、歩兵はアフリカやアジアの植民地人にやらせていた」。戦場や虐殺などを目にした人によくあるが、実体験を淡々と、時に冗談交じりに語る。

 「日本軍もそのころ」と口をはさむと、険しい顔になり、冒頭の言葉が飛び出した。「米軍が英軍の後方支援をしなければ、我々はあれほど死なずに済んだはずだ」との思いは強い。

 イタリアでは最近、ムソリーニ政権のファシズムを再評価する声がよく聞かれる。背後には「パルチザン、左派の台頭で戦後ずっと無視されてきた」と語るペリッチャさんらの声もある。

 「歴史は勝者が好きなようにつくる。我々だけが悪かったのではない」。ムソリーニの元兵士にはそんな思いが、くすぶっている。【藤原章生】

毎日新聞 2008年11月2日 東京朝刊

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