大阪市福島区の野田に伝わる「21人討ち死にの合戦」を歌った「野田の嵐二十一人戦死の巻」が26日、琵琶演奏に乗せて語られる。昭和初めごろまで歌われていたとみられ、福島区歴史研究会などが主催する「福島区の歴史と伝承を語る」会で、数十年ぶりに復活することになる。
戦国時代の天文2(1533)年、本願寺第10代宗主、証如(しょうにょ)上人が、野田で南近江守護、六角定頼の手勢に襲われた時、近在の門徒約500人がすきやくわを手に駆け付け、上人を救った。この戦いで門徒21人が落命。舞台は市立下福島中学(同区玉川1)の付近だったという。
上人は門徒衆に感状をしたため、これを「野田御書(ごしょ)」という。同研究会理事、藤三郎さん(68)=福島区玉川=の家の氏神、玉川春日神社にも野田御書が残っていた。藤さんが調べるうち、門徒の子孫で近所に住む吉沢千代子さん(74)が親類から譲り受けた中に、印刷物をコピーしたとみられる「野田の嵐」があった。
「浪花津の名所彩る藤の花」で始まる歌本には、文句の脇に「三」「六」といった数字や「中ノ二」などと付されている。語る会で、琵琶を演奏する松原孔水さん(68)は「文語体の七五調で、琵琶歌には間違いないが、符号は琵琶のものではない。たぶん音の高さや速さを示すものでは」と推測。時代的には「琵琶が盛んだった大正から昭和初期のものだと思う」という。
江戸時代中期の東本願寺の文書に「野田石山の亀鑑(手本)」という言葉があることなどから、「21人討ち死に」は本願寺門徒には広く知られていたとみる藤さんは「琵琶で語られ、江戸末期には全国に広まっていたのでしょう」と話す。
吉沢さんは、昭和初めまで、この伝承の語り部がいたという話を聞いており、琵琶や語りで受け継がれてきたようだ。
琵琶歌の節は不明なので、松原さんが独自に節を付けた。「門徒たちのひたむきさを出せれば」という。藤さんが解説する。語る会は午後1時、福島区役所で。堂島窯についての講演会もある。無料。先着150人。問い合わせは同区役所(06・6208・9625)へ。【松井宏員】
毎日新聞 2008年10月26日 地方版