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薬剤性精神病 -家庭内暴力の日々
(薬を使って精神病を造り続ける精神科医たち)
2007年10月29日 仮福真琴 筆
今、社会的に問題になっているのは、昔なら病気の範疇に入らなかった人が、○○病と名前をつけられ、薬が出され薬の量がだんだん増えていき、それと同時に今まで無かった症状=薬剤性症状がでたし、やがて、薬剤性精神病が作られる事実です。製薬会社と精神科医との癒着の性で、薬を飲ませるために病気にさせられます。それで、一生を無駄にしては、もったいないです。そんな思いから、このページを開く事にしましたが、母である私としては、はらわたを引き裂かれる思いです。このページを伸ばし伸ばしにしてきたのは、そんな訳です。
長女の家庭内暴力ですさまじかった2年間。
あれから、もう6年が過ぎたのか。
再び、我が家は平和を取り戻したかのように見える。こんな静かな日々が、再び我が家に訪れようとは、思わなかった。
だけど、これはあくまで表面だけの話だ。
あの2年間は、思い出したくもない。毎日が嵐だった。
次女は、中3で高校受験を控えていた。細い体で愚痴ひとつ言わず、私たちの前で涙一つ見せず、懸命に姉の暴力から母を守ってくれた。夫も、不甲斐ないとは言うものの、家族を守り、毎日会社では携帯電話の電源を切っていた。というより、朝一歩出るともう、電源は切られていた。
18歳だった長女は、毎晩包丁を2つ持っては、私たちの寝室に入ってきて、チャリチャリならしあばれた。隣のベットの夫を見ると、仕事で疲れているのか、そんな中でもいびきを寝ている。私が起こすと、「うーん、むにゃむにゃ。」
次女が、騒ぎを聞きつけて来て、包丁を取り上げ、長女を縛り上げてくれた。
そんな毎日が続く中で、夫は私に 「耳栓を買ってこい。」
夫らしい発想だと思った。私が買ってくると、その日から夫は、黄色い耳栓をしてぐうぐう寝ている。こんな神経の人は、ありえない。長女は、夫の黄色い耳栓に気づくと、更に切れだし、
「ふざけやがって!!」と、楊枝を持ってきて耳栓をつついた。
「わぁーっ!!」と、夫は跳ね起き、
「静かにしろ!」
全てが、万事だ。
また、ある日長女が台所からフライパンを持ち出し、すごい勢いで風呂に入っている夫めがけて走り次女とすれ違ったらしい。これは、後から次女に聞いた話だが、入浴中の夫の頭をフライパンでたたき、「わぁーっ!!」と、夫は悲鳴を上げたらしいが、何もなかったように出てきた。
うちは、2階がリビングダイニングだ。料理をしていた私に、何も言わないので気づかなかった。
夫は、いつもこういう人だ。あまり、動じることなく、顔色一つ変えず、口数も足りないが、何かが足りない。
この2年間で、私は神経衰弱で、食事も殆んどとれなくなり、心因性失声になり薬で太った63kgの体が、1月半で50kgを割った。不幸は重なるもので、避難場所になるはずの実家の母は、アルツハイマーになりとても非難などできなくなっていた。
しかたなく、昼間は、私は作業所へ非難し、また、叔母の家へ受験生の次女を連れて何日か泊めていただいた。怖くてとても家には居られなかった。昼間、家にはダックスフントが一匹取り残され、毎日長女からたたかれていたらしい。食欲もなくなり、生理もなくなり、家具の下に隠れて、鬱状態だったのだろう。
次女は、夏休みの受験予備校、美術系アトリエへ叔母の家から通った。私は幾度となく主治医(私と長女と同じ主治医)に、長女を入院させてくれるよう頼んだ。
もう、私は限界だった。主治医は、こんな様子を見ても、「あなた(私)が、入院すればいいでしょう。」だけど、私には、受験を控えた次女が居る。入院などできない。長女も心配だ。いくら主治医に頼んでも、弱っている私にだけ毎週通院のたびに、注射を射ち続けた。
この時は、嵐の真っ只中で、私も大量の薬と注射とで冷静になれなかったのだが、今考えてみればおかしな話だった。長女の暴力で、参っている母親に毎回注射を射つよりも、長女を入院させ家族と離し、入院病棟から短大に通わせる方法もあったはずだ。この方法が、一番よかったように思う。
だけど、カルテを開示し、長女の14歳から19歳までの薬歴を見ていると、14歳からSSRIを処方され、パキシルに変わったあたりから、カルテに「人格が変わってしまう。」とある。
初診は中3の受験前に、長女はごく軽い強迫症状で、夫と二人で相談して、ごく軽い気持ちで私の主治医に診察を受けさせた。強迫障害と診断されていた。その時は、私たち夫婦もこんな結果を招くとは、思いもしなかった。
わずか14歳の少女の人生は、音を立ててここから崩れていった。
薬物療法が始まってから、眠い、だるいと訴えているのに、薬は減るどころかどんどん増えている。抗鬱剤の投与の開始から数ヵ月後、長女は高校入学の内申点になるはずの、期末試験を放棄した。それまで、4と5のトップの成績は、見込み点で2と3になった。長女の進学した高校は、当然そのレベルの高校になった。その中でも、負けず嫌いな性格から学年でトップの成績をとり東進スクールにも通いだし、成績上位優秀者に選ばれた。でも、もう誰とも学校では口を利かなくなり、友人は一人も作らず、心を閉ざした。
薬を飲む前は、こんな娘ではなかった。主治医に聞くと、
「病気が進んだんだと思います。」と、答えが帰ってきた。そして、2年生で高校中退した。そして、昼夜逆転の生活が始まった。薬を飲むまではなかった症状が、次から次へ出てくる。そのたびに、薬の量が増え、私も長女もこれが薬剤性症状とは夢にも思わず、長女も医者の支持通り服薬し、症状に耐えていた。このままではいけないと、自ら選んだ大検予備校に通い、薬を飲みながらも大検(今は、高卒認定という)は一回で合格した。そして、短大に進んだ。そして、短大の2年間が嵐の時代だった。主治医に娘の事を聞くと、「遅れてきた反抗期のひどいの」と、答えが帰ってきた。
私は、幾度となく刃物屋の店の前で、鍵をかけられたケースの中の刃物を見ていたことがあった。眠剤で、寝ている長女を刃渡り15cmの包丁で刺して、その後母もいく。お前を一人いかせはしない。返り血がすごいだろうな、と想像した。だけど、私を引き止めたのは、次女の存在だった。私たちが死んだ後、次女はどうなる。今度は、次女の人生が目茶目茶になる。その一点が、私を引き止めた。
朝、長女を短大へ送り出すのが大変だった。次女に、「着ていく服を選ばなければ学校は休む!」と、荒れ狂う。その場に私が居ると、「お前は、下に行ってろ!」とガラスのような目になっていた。もはや、私の娘の目ではなかった。
次女は、タンスから服を2~3引き出し、「この組み合わせで、とっとと行って来い。こんなことを、中学生にやらせる短大生が、どこに居るんだ。」次女は、決して負けなかった。父親の居ない間、母を守り、犬をかばい、そして後で言った言葉だが、そのときの私を見て「自分は、決して子供など生むまい」と心に誓ったそうだ。
そして、長女の就職活動の時期が来た。一向に家では切れて、やろうとしない。夫が発破をかけまくった。長女は、「行くよー」と言いながら、家では切れながらも会社を13社まわり、13社目に薬局の医療事務の仕事につくことができた。
今でも覚えている。12月の雪の降る寒い日だった。電話のベルが鳴り、ナンバーディスプレイで長女の名前で「電話です」と呼んでいる。
「もしもし、○○○ちゃん。」
偶然、長女の携帯がバックの中で、自宅にかかってしまったらしい。
「もしもし、もしもし。」
「ザックザック、ザックザック・・・・・・」
雪の降るなかを、家で暴力を振るわなければ居られないほど苦しんでいる長女が、今、懸命に会社に向かって歩いている。一人でがんばっている。
私は、頬に涙が次から次へと流れた。
「ザックザック、ザックザック・・・・・・」
「○○○ちゃん。○○○ちゃん。」
「ザックザック、ザックザック・・・・・・」
電話は、「プッツン。ピーピーピー」とそのまま切れた。
長女は、紛れもなく薬剤性精神病の症状だった。行動化も激しかった。14歳から19歳までの、公立病院のカルテ薬歴は、全てを語っている。
ここで、私が書いた薬剤精神病のページは、長女が、私が、そして私たち家族一家が、精神医療から受けた被害のほんの一部分です。
長女は、この後、心の傷を抱えながら、薬局で1年3ヶ月、通院、薬なしでがんばり続け、その後分裂感情障害、保護入院、精神障害1級となった。今は、自宅から週1回通院し、週2回ディケアに通っている。
おかげさまで、漢検準2級だった長女は、すっかり漢字が書けなくなり、ピアノが趣味でショパンの雨だれ、革命、ノックターン、全て今は弾けません。
精神医療って、いったい何のためにあるのでしょう。
私のホームページを知っている元主治医、このページを見ていたら、もうこのような被害者を出さないでください。悲劇は、これ以上うまないでください。今は、代々木で、クリニックを開業している先生、クリニックは評判が一番と聞きますから、決して出さないと思いますが、勉強してしっかり臨床力を上げてください。
そして、毎日私たち家族は、長女に言い聞かせている。
毎日毎日、心の傷を嘆く長女に向かって、
「お前の、あまりに厳しすぎた人生の中でも、勝ち取ってきたものを考えてごらん。よく、あの状態で、大検をとり、短大を卒業し、就職し、それだけで意味のある立派なことだよ。」
と、ほめ続けている。
だけど、あの時、パキシルであのようにカルテに「人格がかわってしまう」
こわれた長女の心、脳には、なかなかこの言葉は届きません。
だけど、私たち家族は、毎日言い続けなければなりません。
毎日
毎日
毎日
【2007.12.28 ここから下を追記】
長女の家庭内暴力は、主に精神科の治療の結果、被害。薬害に薬剤による暴力性でした。
それが解ったのは、ごく最近です。カルテを開示してからでした。早く解っていれば多少の事では精神科の門などたたかず、薬も医者の言いなりには飲まなかったでしょう。
恐いことに、副作用は飲んでいる本人には解らないということです。また、家族も事実を知らされていないと副作用なのか病気の症状なのか解りません。
医者は多分解っていてやっていると思います。なぜって、お金が儲かりますから。クリニックなど特にそうだと思います。製薬会社の接待も豪華ホテルゴルフ付で凄いと本で読みました。
しかし、これからの時代、もう、こうはいきません。私は、今情報を発信するのみですが、もう少ししたら、活動する側にまわりたいと思っています。
東京クリニックの院長が逮捕されました。続き数件のクリニックに逮捕状が出ています。このような、手口の精神科医はまだ甘っちょろい方です。本当にひどい事をしている精神科いたちは、こんなボロはださず、もっと巧妙な手口で患者の人生、生命を奪い続けています。
長女の主治医は、目立たない大学ノートをいつも持っていました。患者たちの間で「○○先生のノート」と、有名でした。裏カルテでしょうか?時々机の隅で大学をノートを出し、チョコチョコと何か記録していたことを覚えています。
以下に、精神科医はあまり話さない各薬剤の衣料品添付文書を添付しておきます。一般には知られていない副作用が沢山あります。
抗うつ剤国内シェアNo1.「パキシル」
使用上の注意:18歳未満の患者で、自殺念慮、自殺企画のリスクが
増加するとの報告がある
副作用:激越、興奮、錯乱、幻覚、せん妄、神経過敏、感情鈍麻
統合失調症国内シェアNo1.「リスパダール」
使用上の注意:興奮、誇大性、敵意等の陽性症状を悪化させる可能性がある
副作用:不安、焦燥、興奮、抑うつ、妄想、幻覚、自殺企画、性欲異常
中枢神経興奮剤国内シェアNo1.「リタリン」
使用上の注意:連用により薬物依存を生じることがある
副作用:興奮、不機嫌、不快感、注意集中困難、易怒、攻撃的、行為心拍、幻覚、妄想