源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり
大学が記者発表として流した情報を、よく確認もしないですべてのマスコミがそれを鵜呑みにして報道する、ということに直面しました。
マスコミの限界と存在意義を疑うようになりました。
朝日新聞だけは、鍵を握る人物に電話取材をする、という、いいところまで追いかけたのですが、それが記事にはまったく反映していませんでした。惜しいところで転んでしまいました。あと一歩で事実を報道できたのに、お気の毒なことでした。
さて、昨日の夕刻、突然、神戸新聞の記者から私のところに電話取材がきました。
それは、甲南女子大学で「梅枝」巻の古写本が発見されたので、記者発表を受けてのコメントをもらえないか、というものでした。
取材内容は、今回見つかった「梅枝」巻は、保坂本とどうちがうのか、ということでした。
私は、甲南女子大学の「梅枝」巻と聞いて、すぐに3年前にその本を調査したことを思い出しました。
しかし、どうやら記者発表では新発見としてなされたようなのです。
この写本の調査については、私が指導を担当していた大学院生が論文にしてまとめ、出版社から公表しています。それなのに、3年も経った今ごろ、何を騒いでいるのだろうと訝しく思い、電話取材には適当にとぼけました。手元に資料がないのでわからない、ということにして。
すると、電話口の記者は、後でまた別の者が話を聞くかも知れない、と言って電話を切られました。コメントを入手するのにお急ぎのようでした。他の先生への取材をして、思わしいコメントが得られなかったらまた頼む、ということのようです。
いつまで研究室にいるかと聞かれ、おおよその時間を伝えました。しかし、その時間になっても連絡はなかったので、いつものようにお客さんと一緒に夜の食事に出かけました。
とにかく、無礼な電話取材でした。質問がくだらないのです。
それにしても、変な話だな、と思いました。
こちらとしては、3年前に調査報告書としての成果を公表しているのですから。
そして昨夜、ネットのニュースを見て、仰天しました。
ほとんどの新聞社が、次の内容の報道をしていたのです。
源氏物語の鎌倉時代中期の写本が発見される=29日、神戸市東灘区の甲南女子大〔共同〕(「NIKKEI NET」の写本の写真に付けられたキャプション)
この本については、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻・国文学研究資料館の博士後期課程の大学院生であった大内英範君(現在は研究員)が、3年も前に原本を甲南女子大学の図書館で調査をした後に、詳細な考察を加えた論文にまとめ、「伝為家筆梅枝巻とその本文」(『古代中世文学論考 第14集』、平成17年5月17日発行、新典社)と題して公表しています。
この論文を掲載した本は、平成17年6月21日に、2冊を甲南女子大学付属図書館に寄贈しています。写本の調査を許可していただき、写真掲載等に高配をたまわったお礼としての献本です。
また、私も3年前に同図書館で本書を調査し、大内英範君の論考を追認しています。図書館への献本は、この時のことです。
また、「梅枝」巻の本文は、大内君の博士論文において翻刻されています。この博士論文は公刊されていませんが、要望があればいつでも公開できる準備は整っています。もし、これから当該「梅枝」の本文を翻字しようとしておられる方がいらっしるのであれば、大内君に連絡をすれば配慮してもらえることでしょう。
さらには、現在刊行を続けている『源氏物語別本集成 続』全15巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成一七~刊行中、おうふう)の第7巻に、この「梅枝」は校合本文の一つとして入ることになっています。
1年ほどお待ちになると、他の20種類の「梅枝」の本文との違いを、容易に見比べられるようになります。現在は、第6巻の編集中なので、しばらくお待ちください。
その「梅枝」巻が、なぜ今ごろ新発見ニュースとなっているのか、わけがわかりませんでした。
十数社のネットニュースを確認しました。
その中で、代表的なものとして「毎日新聞(ネット版)」の一部を引きます。
甲南女子大(神戸市)は29日、所蔵する源氏物語54帖(じょう)の一つ「梅枝巻(うめがえのまき)」の「別本」系統の写本が、鎌倉時代中期のものと確認されたと発表した。梅枝巻としては、東京国立博物館所蔵の写本と同時期で、現存するものでは最古。他の写本にはない表現があり、紫式部が書いた原文を知る手がかりになる可能性もあるという。 1973年に古書店から購入したもので、縦15.4センチ、横15.6センチ。「斐紙(ひし)」と呼ばれる紙に書かれ、文字を記した「墨付」は65ページあった。Y教授(日本文学)が「源氏物語千年紀」を記念した書展を開くため、書庫で保管されていた梅枝巻を確認。T教授(同)に鑑定を依頼し、書体や紙質などから、鎌倉中期の1240~80年ごろの写本と確認した。
この記事を読み、「「別本」系統の写本」という物言いが引っかかりました。
また、なぜ東京国立博物館所蔵の写本(「保坂本」)を引き合いにだされたのでしょうか。古いものとしての参考なのでしょうが、その意図がよくわかりません。大内英範君の論文を読めば、ますますこの小細工が見え透いてしまいます。
さらに、「書庫で保管されていた梅枝巻を確認」とありますが、我々は3年前にホームページでその存在を知って閲覧を許可してもらいました。今も、ホームページに堂々と貴重書として紹介されています。申請すれば、いまでも誰でも、調査研究目的であれば閲覧できるはずです。
この記事には、2人の識者のコメントが添えられています。しかし、偶然だとは思いますが、核心をうまく外したものとなっています。このかわし方は、なかなかうまいと思います。
▽伊井春樹・国文学研究資料館館長の話 古ければ古いほど紫式部の原文に近いとは単純には言えないが、「青表紙本」により固定化された世界観とは違う新しい源氏物語が見えてくる。▽加藤洋介・大阪大准教授の話 鎌倉時代にどのような形の源氏物語が読まれていたのかを考える手がかりになるだろう。
次の朝日新聞の記事は、本文に関しては正確な説明です。「別本」は系統ではないのですから。
しかし、千年紀に対する理解が浅いようです。なお、産経新聞も「別本系」という表現をしています。
〈源氏物語〉 紫式部が創作した平安貴族の恋愛物語。紫式部日記の内容から、1008年11月までに書かれたとされる。原本は残っておらず、これまでに見つかった写本では鎌倉初期の4冊が最も古い。鎌倉時代前期に藤原定家がまとめた「青表紙本」、同時期に源光行らがまとめた「河内本」の2系統と、それ以外の様々な「別本」に分類される。
『源氏物語』は、1008年11月までに書かれたのではなくて、この時には『源氏物語』が存在していたことが確認できる、というのが正しいのです。
産経新聞は、伊井館長のコメントを、少し長く引いています。
国文学研究資料館の伊井春樹館長の話 「源氏物語は藤原定家が編纂した『青表紙本』が一般的になってしまったので、これまで『別本』と呼ばれるほかの写本にあまり注目が集まらなかった。鎌倉時代中期と古く、表現の異なる部分がある写本が出たことで、青表紙本とどういう違いがあるかなど、さまざまな研究が進む史料になると思う。今までと違う源氏物語の世界を読み取ることができるのではないか。そういう意味で、別本に光が当たるのはいいことだと思う」
今、『源氏物語別本集成 続』を刊行している時なので、この援護射撃はありがたいものです。
私に取材をしようとした神戸新聞は、Y教授の談話として「所蔵本は紫式部の原文に近い可能性があり、従来の注釈が書き換えられるかもしれない」と話しているとします。
「おいおい」、と言いたくなります。もっと、『源氏物語』の本文研究の現状を知ってほしいものです。
マスコミ相手とは言え、思いつくままに発言するのは、無責任すぎると思います。
ここで、大内英範君と私の、本書との係わりを整理しておきましょう。
2004.10 大内英範君が2日間にわたって甲南女子大学で原本調査。
当初は、伊藤も閲覧調査申請をだしていたが、
母の急死により、大内君だけが調査を実施。2004.12 調査の成果を甲南女子大学の紀要か論集に投稿することを
大学側に問い合わせる。
ただし、結果的には、学外者という掲載条件の関係で、
掲載許可が下りなかった。2005.05 『古代中世文学論考 14』に大内論文が掲載刊行される。
2005.06 伊藤が甲南女子大図書館で当該書を調査。
その折、大内論文掲載書2冊を甲南女子大図書館に寄贈する。2006 大内英範君の博士論文に当該資料の翻刻を掲載する
許可を得る。2007.3 大内君が「源氏物語 鎌倉期本文の研究」で学位を取得する。
2008.10 甲南女子大から鎌倉中期の古写本発見という記者発表がある。
今回の報道の内容に関して、大内君にコメントを求めましたので、受け取ったものを以下に引用しておきます。
すでに甲南女子大学図書館のwebページから、・伝為家筆の鎌倉期の書写本であること、
・勝海舟の蔵書印が捺してあること
などは発信されていましたし、
私の論文中には
「非常に特異な本文を有する」
「他本との異同がはなはだしく」
「大島本等よりは陽明本等に近い傾向をみせつつ、独自異文も多く有する」
「平安時代の本文の姿の一つを伝える貴重な写本ではないか」
とあって、要するに異文の具体例を除けば、今回の記者発表には何も新見がなかったといえる気がします。
ということでした。
また、大内英範君の所には、昨日、朝日新聞から電話取材があったようです。
彼は、調査の経緯や論文として成果を公表していることを、記者に電話口で言ったそうです。
しかし、記事ではそのことはまったく現れていないのです。
折角、3年前に当該原本を調査した者に辿り着いていたのに、それが朝日新聞の記事には反映されなかったことになります。
なぜ、こんな不正確に記事になってしまったのでしょうか。
いいところまで追い込んだ朝日新聞には、もう一押しが足りなかった、ということに尽きるようです。
なお、産経新聞の記事に、以下のようにあります。
「「これだけ古い別本が出てくることは、今後ほとんどないでしょう」と話すのは、同大文学部のY教授(53)。同大の「梅枝の巻」の写本は、主流である「河内本」とされていたため、長年保管庫に保存され顧みられることはなかった。が、千年紀を機に再読していたY教授はこれまでの写本と異なる記述があることに気づいた。(略)Y教授は「まさか別本では」と胸が高鳴ったという。」
よく言うよ、という印象しか書けません。
若き学徒とともに、着実に『源氏物語』の諸本を精査することを続けています。『源氏物語別本集成 続』をご覧になれば、それがどれだけ気の遠くなる作業を伴うものであるか、実感していただけると思います。
そのような地道な調査と研究を積み上げている一方で、所蔵者側はこんな能天気な発言をしているのですから、学問や研究が軽視される一端をかいま見た思いがします。
『源氏物語』の諸本研究は、遅々とした歩みではありますが、着実に前に向かって進んでいます。
さらには、青表紙本とか河内本とか別本ということばが、最近のマスコミで再度ばらまかれていることに、私は心を痛めています。
時代が変わろうとしている時に、時計を逆に戻すような役割をマスコミがしていることに、私は憤慨しています。
このことは、また日を改めて述べることにしましょう。
さて、こうした一連の記事を見ると、3年前に甲南女子大学のホームページで当該書に興味を持ち、調査を実施して論文にまとめて報告したことの意義が、まったく生きていないことを悲しく思います。
繰り返しますが、一人の若き学徒が、真剣に原本調査をした結果を、3年前に論文集に収録して公表しました。今も市販されている本です。
しかし、それが、今回の報道発表の経緯の中で、まったく評価されていません。知らなかった、では通らないことは、上記の経過説明で十分でしょう。
学問の成果の公表が、大学の場で軽視されていることを、非常に残念に思います。
これでは、若者たちは調査をして研究をする意欲を無くします。
今回問題となっている「梅枝」は、同大学図書館のホームページでは、今も「源氏物語 梅ヶ枝 河内本伝藤原為家筆」として写真入りで紹介されています。あのような報道発表がなされたのですから、少なくとも「河内本」を「別本」と書き換えたほうがいいのでは、と思いますが……。
公開された研究成果は、正しい評価を受けて、そのいい所を共通の情報として継承すべきです。
大内論文は、当該「梅枝」の本文の内容を詳細に検討しています。
冷静沈着に、写本に書かれた本文を例に引きながら、詳細な考察をくわえています。
今回は、それが、所蔵先ではまったく顧慮されなかった、ということです。
私は、大内君というこの若き学徒がまとめた報告書としての論文の意義を、それも3年前に公表されたものであるということを関係者はよく認識し、それを踏まえた資料の有効活用を目指すべきだと思います。
たった一冊の『源氏物語』の古写本を、大学入試を控えた時期に、世間の注目を集めるための道具として利用することに疑念を持ちます。
それよりも、若き学徒が調査してこんな研究成果を【出している】古写本である、という形での公表が、本来あるべきものであり、学生たちへの学習・研究意欲の喚起に役立つはずだと思います。
貴重な写本を、学問の世界を無視して、源氏ブームに便乗した人集めのために転用してはいけないと思います。
少なくとも、大内英範君が成した成果を踏まえた公開にすべきでした。
研究成果を無視したり、踏みにじってはいけないと思います。
こんにちは。私もこの情報を日経と中日新聞で読みました。
しかし、こういう経緯があったとは知らなかったです。
私のような素人は新聞報道を信用するしかない部分があり、このような状況は困ります。
しかし、千年紀にあわせて新情報が次々と報道されていますね。
今年は源氏物語がすっかりブームとなっています。
投稿: piaopeng | 2008年10月31日 (金) 20時09分