今日11月1日は
新しい携帯型ゲーム機の発売日…ニュースサイトでも取り上げられてますね。
私自身,すごくゲーム好きとわけでもないけれど,診察室に来てくれるこどもたちとの挨拶代わりにゲームの話題ができるくらいには興味もあるつもり。
数年前,ポケモ○のダイヤモンドとパールが同時発売されたとき,
「ダイヤモンドとパール,どっちがオススメ?」
と小学生(たしかADHDの少年でした)に聞いたら,
「ダイヤモンドは(パッケージの)絵がよくて,パールは出てくるモンスターがいい」
という返事が返ってきたことがあって,なかなか物事を多面的に捉えてるんだな,と感心したことがありました。
それはさておき。
たとえば「ゲームがキレる子を作る」だとか,こどものこころの発達にゲームが悪影響を与える,といった説がささやかれることが昨今多いような気がします。
そんなことを反映してか,日本小児科学会は
電子メディアとの関わりを尋ねる問診表を作成した(毎日.jp)とのこと。
「ゲームは悪」という見解は確かにもっともらしいのですが,私個人としては素直にそれを支持したくない気持ちもあります。
特に,診察室で患者さん(こどもさん)とお母さんが口論を始めて,お母さん自身がこどもさんについて不満に思うことをすべて「ゲームするのがいけないのよ」のひとことで説明しようとしておられたりすると,ゲームをちょっとは養護してみたくなったりして。
あくまで私の勝手な意見ですが,きっとゲームそのものがすべて悪いわけではなくて,ゲームをすることによってやらなくなることやできなくなることがあるのがいけないんじゃないのかな,と思うのです。
たしかにゲームは楽しくて魅力的。
だからといって,ゲームをやりたい一心で本来やらなくちゃいけないこと(たとえば宿題だったり,おうちの手伝いだったり,ちゃんと早寝することだったり)をやらずにいたり後回しにしたりしていいはずがありません。
ある程度成熟したおとなであれば,ゲームのような趣味とか娯楽の魅力に打ち勝つだけの自制心・セルフコントロールが身についているから(いや,たまに身についてないケースもありますが),ゲームの魅力に負けることなく適切に自分のするべきことを済ませてから空いた時間で楽しむこともできるでしょうが,セルフコントロールがまだ十分でないこどもたちはやらなくちゃならないことが目の前にあっても,どうしてもゲームを始めることが待てなかったり,一旦始めてしまったら中断できなかったりして。
だから,学習とか生活リズムとかに支障が出てきてしまうんじゃないのかな,と思うわけです。
突然ですが,たとえばアニメ「サザエさん」くらいの時代感覚でいくと,遊ぶ=中島くんたちと草野球,というイメージ。
「やらなくちゃいけないことを終わらせてから遊ぶ」という難しい課題に対して,遊び=草野球であれば大人数で一緒に取り組むことができる…つまり,あるこどもがひとりだけ宿題を済ませる前に遊ぼうとしても,10数名集まらないと遊び始められない…けれど,遊び=ゲームだとたったひとりの意思で遊びたい衝動を抑え込まなくてはいけない。
草野球よりもゲームのほうが,セルフコントロールが難しい遊びだという考えかたができそうです。
そして,昔から「よく遊び,よく学べ」と言うけれど,草野球は遊びは遊びでも,大人数のなかで自己主張をしたり相手の感情に配慮して自分が折れたり,うっかり近所の家の窓ガラスを割ったら謝りに行ったり,とある意味ソーシャルスキルを「学ぶ」時間でもあったわけですが,ゲームはたったひとり画面に向かって遊ぶだけで,ソーシャルスキルの習得とはほぼ無縁。
もちろん,ゲームの内容にもあまり好ましいとは思えないもの(グロテスクなもの,残酷なものなど)もあったりするけれど,結局はゲームそのものが悪いというよりもゲームのために時間を割くことで本来身につけるべきことを身につけるための時間を失ってしまうことがいちばんまずいことのように思えるのです。
ゲームを楽しむのは結構なこと,でもそのデメリットにもちょっと意識を向けながら上手に楽しめたらいいですよね♪
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