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[聞き書き]料理人 程一彦さん (3)

人がいやがる仕事こそ

 戦後、両親が大阪・梅田の今のJR駅前で始めた「中華料理 龍潭(りゅうたん)」は大繁盛。私が勉強していても店が忙しくなると「はよ店を手伝わんかい」と怒られました。

 そうは言いながらも、両親は教育熱心で、米国人の家庭教師をつけてくれました。母から手ほどきを受けた生け花は、今も私の料理に生きています。

 中学は追手門学院に入りました。下町の「俺、お前」の世界だったのが、ここでは「僕、君」の世界。ギャップを感じましたが、出しゃばりで目立ちたがりの性格は変わりませんでした。

 自治会の選挙で、1年の時から会長に立候補。演説会では「会長として彗星(すいせい)のごとく登場した程一彦です」と自信たっぷりの第一声。皆、大笑いです。見事に落選しました。しかし2年で再び立候補して当選すると、3年までの2年間会長を務めた。そんな例は今でも私だけと聞いています。

 1952年、龍潭が新築ビルに移転し、元の店を喫茶店「茶房アポロ」に改装しました。店内にガラス張りのDJボックスを作り、自ら選曲したジャズとクラシックを流しました。当時はテレビのプロレス中継が人気。最盛期、320あった座席は満席でした。

 高校は灘に進みました。テニス部に友人がいて、私が登校すると彼はもう練習していた。下校時、彼はまだコートにいた。それでいて成績は常にトップクラス。「なぜ」と尋ねると「授業中に理解できるから家で勉強しない」という。人には天才秀才と、凡人の2種類がいるんだなと感じました。私は凡人ですが。

 高校進学を機に、父からは「店の手洗いの掃除はおまえの役目や」と命じられました。学校から帰ると毎日、小便器を磨きました。まだゴム手袋がなく、洗浄用の塩酸で指先がつるつるになりました。最初は「従業員がいるのに何で」と反発しましたが、今思うと父は正しかった。「人のいやがる仕事を進んでやれ」というメッセージだったのです。

(聞き手・山畑洋二)

2008年10月28日  読売新聞)

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